さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

伊豆・下田にも「和歌の浦」 市民や観光客に人気の遊歩道

2014-05-25 14:09:30 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

静岡県下田市。伊豆半島の南東部に位置するこの地に「和歌の浦」という地名がある。
嘉永7年(1854年)に函館とともに日本で最初の開港場となった下田港に程近い入り江。

伊豆急下田駅から南へ約2キロ、ペリー上陸碑や下田海中公園がある下田の景勝地で、三島由紀夫の小説にも登場する風光明媚な土地だ。
近くに市街地、高台にはリゾートホテルがあり、入り江を囲むように整備された「和歌の浦遊歩道」を多くの市民や観光客らが散策している。

 

【写真】「和歌の浦遊歩道」と、「黒船」を模した遊覧船(下田市)


遊歩道は全長約2.5キロメートル。相模灘に面し太平洋のどこまでも青い海が広がり、日本版ミシュラングリーンガイドで「寄り道する価値がある場所」として二つ星に認定されるほどだ。

和歌の浦遊歩道は、高い崖と海の境の僅かな部分が整備されており、リアス式の地形は和歌山市の和歌浦(わかのうら)とよく似ている。
なぜ「和歌の浦」という名が付いているのか、地元の方々に尋ねてみると「和歌に詠まれるほど綺麗な土地」、「来航した外国人が初めて見る日本らしい風景」だからではないかと教えてくれた。

下田市の観光交流客数は年間約300万人前後と、和歌浦が最も栄えていた頃に近い数だ。
それでも最盛期に比べ客数が半減しているという。
平成に入ってからの和歌浦しか知らない筆者だが、伝え聞くかつての賑やかな和歌浦の情景と重なるものを感じた。
和歌浦にも魅力が沢山。「元祖・和歌浦」の底力を発揮したい。

(次田尚弘/静岡)

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「恩」で繋がる和歌山と静岡 300年前の歴史を後世に

2014-05-18 21:16:36 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

静岡市葵区安倍川に程近いこの地に、和歌山県静岡県の有志により建てられた碑がある。
碑が建てられる機縁となったのは、今から約300年前の元文3年(1738年)のこと。

当時、この付近の安倍川には橋がなく、人を肩や輦台(れんだい)に載せて川を渡すことを職業とする「川越し人足(かわごしにんそく)」と呼ばれる人々が活躍していた。
川越しの料金は決して安いものではなく、自らの足で川を渡る人々もいた。

ここを通った紀州出身の漁夫も、川越しの料金を節約しようと自ら安倍川を渡った。
しかしこの漁夫は貯めていた百五十両もの大金を入れた財布を、誤って川に落としてしまった。
偶然、その場に居合わせた川越しの人夫の一人(喜兵衛)がそれを拾い、財布を落とした漁夫を追いかけ届けたという。
その行動に感謝した漁夫は礼金を渡そうとしたが、喜兵衛は「当然のことをしたまでだ」と決して受け取らず、困った漁夫は駿府の奉行所に礼金を届けた。
町奉行が喜兵衛を呼び出し礼金を渡そうとしたが受け取らないため、漁夫に礼金を返し、代わりに奉行所から褒美の金を渡したという。

この話に感銘を受けた駿河出身の僧侶「白隠慧鶴(1686-1769)」が自身の著書で紹介したことで全国に知られることとなり、昭和初期の小学校の教科書に採用。
それが契機となり、昭和4年、和歌山県静岡県の学童や有志の募金により碑が建てられるに至ったという。

【写真】安倍川から富士山を望む


碑には「難に臨まずんば忠臣の志を知らず」「財に臨まずんば義士の心を知らず」と書かれ、人の心の美しさや、あるべき姿を伝えている。
「恩」でつながる地域と地域の姿に触れ、このような歴史を後世に伝え、広めていく大切さを感じさせられた。

(次田尚弘/静岡)

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徳川吉宗公が愛した味 静岡名産「安倍川餅」

2014-05-11 16:50:11 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

前号では八十八夜に因み、和歌山県のお茶栽培と食文化についてご紹介した。
お茶といえば茶菓子と一緒にいただくのが楽しみのひとつ。
静岡茶のご当地で名物の和菓子「安倍川餅(あべかわもち)」は、徳川吉宗がこよなく愛したという。
今週は安倍川餅徳川吉宗公の関係をご紹介したい。


安倍川餅は静岡県葵区および駿河区を流れる河川の名に由来する。
江戸時代初期、徳川家康公が安倍川上流にある金山の検分に訪れた際、砂金に見立て黄粉と当時は貴重であった白砂糖をまぶした餅を「 安倍川の金な粉餅 」として近くの茶店から献上された。
献上した者の粋な計らいに感銘を受けた家康はこの餅を「安倍川餅」と命名し褒美を与えたという。

 

【写真】黄粉をふんだんに塗した「安倍川餅」


その後、東海道の街道で人気を博し販売され、参勤交代の際に通りかかった紀州徳川家5代藩主の頃の徳川吉宗公がこれを食し、「安倍川餅は街道一の餅である」と絶賛。
将軍となった後は、駿河国出身の家臣、古郡孫太夫に安倍川餅を作らせたという記録が残っている。

筆者も実際に食べてみた。現在は、小さく丸めた餅に黄粉がまぶされているものと、餡子がかけられたものの2種類がある。
おはぎのような米粒の食感はなく小さな黄粉餅に過ぎないのだが、一口サイズであるために、おはぎや一般的な黄粉餅と比べ存分に黄粉と砂糖の甘みを味わえる。
ご当地の砂金をイメージし、豊富に採れることを味で表現した先人の知恵だと思う。
静岡へ旅行の際はぜひ一度、徳川吉宗公が愛した安倍川餅をご賞味してみてはいかがだろうか。

(次田尚弘/静岡)

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和歌山県のお茶栽培と食文化 八十八夜、収穫期を迎える

2014-05-04 23:51:59 | WAKAYAMA NEWS HARBOR

夏も近づく八十八夜」。
2日、茶摘みの童謡で馴染みのある八十八夜を迎え、各地で新茶の収穫が始まっている。

先日、筆者が静岡県島田市のお茶農家を訪れた際、お茶の苗木をいただいた。
聞くと、和歌山県にもお茶の産地があり栽培が可能であるという。
かつては家庭栽培も一般的であったという歴史もうかがい、はるばる和歌山まで静岡茶の苗木を持ち帰ってきた。
鉢植えにして約1ヶ月。自宅の庭ですくすくと育っている。

 

【写真】鮮やかな緑の新芽


和歌山県におけるお茶の生産量は18トンで全国生産量の約0.02%(平成21年農林水産統計)。
ブランド名としては「川添茶」「音無茶」「色川茶」などがあり、総称として「紀州茶」とも呼ばれる。
生産地はそれぞれ、白浜町田辺市本宮町那智勝浦町色川地区
昼夜の温度差や綺麗な水や空気がお茶の栽培に適している。

特徴としては生産量のほとんどが一番茶で量産用の二番茶などは収穫されない高級茶。
川添茶」は徳川頼宣公に献上されたこともあるという。
音無茶」は収穫された約7割が県外へ出荷されるなど人気が高く、音無茶を名乗ることができるのは一番茶のみ。
熊野の伏拝地区や川湯地区で栽培され、熊野本宮大社で品質向上を祈願する「新茶祭」が行われるなど地域で愛される銘茶だ。

これらのお茶は和歌山県の食文化とも深い関係がある。
近年は食べる機会が少ない「茶がゆ」の存在だ。
かつてはお茶の木を家庭栽培し番茶に仕上げる家庭が多く、それらが家庭の味となっていた。
静岡のお茶農家の方が筆者にお茶の苗木を持たせてくれた理由がわかる。
地域の産物と食には必ず深い歴史がある。薄れかけていたお茶栽培と茶がゆの文化を再認識する機会になった。

(次田尚弘/静岡)

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