さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

「納豆消費量」で大きな差 文化の違いか、水戸と和歌山

2020-04-26 13:43:54 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、水戸の名物として有名な「納豆」の歴史と、納豆の製造が盛んになった理由を取り上げた。
関西では苦手な人が多いとされる納豆だが、実際のところはどうだろうか。
今週は全国から比較した納豆の消費について、水戸市と和歌山市を比較したい。


【写真】香り豊かな「納豆ごはん」

総務省統計局が調査し公表している「家計調査」。2人以上の世帯において、1世帯あたりの品目別年間支出と購入数量を調べ、どのような品目でどの程度の地域差があるのかを明らかにするもの。都道府県庁所在地(市)と政令指定都市の全国52箇所が対象。

公表されている2017年~2019年の平均値で「乾物・海藻,大豆加工品等」の中の「納豆」は消費金額でランキング。
水戸市は第2位にランクインし年間6171円。ちなみに第1位の盛岡市は6189円、第3位の山形市は5723円と、第3位に差を付け僅かに第1位に及ばずという結果。

一方、和歌山市は最下位の第52位で2306円、第51位の高松市の2589円から200円以上の差がついており、水戸市と比べれば約3分の1といっても過言ではない結果。
実は筆者も納豆は苦手で自ら進んで購入することは無い。

なぜ和歌山市の納豆消費量が少ないのか。一説には納豆の「匂い」を嫌う県民性が傾向としてあるという。
また、第49位に徳島市、第48位に高知市が入ることから海産物でタンパク質を摂取できるという説や、醤油や味噌などで発酵食品を多く食べるからという説など様々。

梅で共通の多い両市だが、納豆においては文化の違いが大きいようだ。

(次田尚弘/水戸市)
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偶然の発見と知恵 水戸名物「納豆」の歴史

2020-04-19 17:14:26 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、「光圀饅頭の別名を持つ水戸の銘菓「大みか饅頭」をはじめ、茨城県の特産品にちなんだ数々の菓子や土産品を取り上げた。
関西地区の私たちでもすぐにピンとくる水戸の名物といえばやはり「納豆」だろう。
今週は納豆の歴史を紹介したい。

諸説あるが、納豆の起源として知られるのは永和3年(1083)年、源義家が奥州の平定に向かう途中、義家の軍勢が常陸国で宿営。
義家が泊まった屋敷で家来が馬の飼料として作った煮豆を藁で包み保存したところ、煮豆が発酵し糸を引くようになった。

試しに家来が食したところ人も食べられる美味しい食料であることに気づき義家に献上。
義家は偶然にしてできた納豆を喜んだことから、将軍に納めた豆という意で「納豆」と呼ばれるようになったという。
常陸国で納豆文化が広まり、光圀は有事の際の非常食として目を付け、製造を推進し有事に備えさせたとされる。

水戸の納豆が全国的に有名となったのは、明治22年の水戸線開通の頃。
少年らによって駅前で土産品として藁に包んだ「藁納豆」を販売すると、小粒で柔らかい食感が人気となり、やがてホームでも販売されるようになり、汽車の窓から客が奪い合うほどになったという。


【写真】水戸の「藁納豆」

納豆の製造が盛んになった理由はもうひとつある。
台風のシーズンになると県内を流れる那珂川が頻繁に氾濫。台風が襲来する前に収穫できるのが、納豆の原材料として使われる小粒大豆であったことも、水戸と納豆の深い結びつきであるといえる。

(次田尚弘/水戸市)
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光圀にちなむ「大みか饅頭」 歴史・特産品を用いた土産品の数々

2020-04-12 22:02:31 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、鉄道の開通を機に開発された、梅の香りが特徴の水戸銘菓「水戸の梅」を取り上げた。
今週は、水戸藩2代藩主・徳川光圀にちなんで作られ、古くからご当地で有名な菓子「大みか饅頭」と、茨城県の特産品にちなんだ代表的な菓子や土産品を紹介したい。


【写真】光圀にちなむ「大みか饅頭」

大みか饅頭は、茨城県日立市大みか町にある菓子メーカーが製造する饅頭。
北海道の十勝で作られた小豆を用いて作られたこし餡を、米粉と大和芋を用いて真っ白な生地で包んだ「薯蕷(じょうよ)饅頭」。
多い日で1日に2万個以上販売される地元を代表する銘菓として広く知られている。
由来は、光圀が青年時代に愛用したとされる「一節切(ひとよぎり)」と呼ばれる笛に、自身の名である「光圀」と刻まれていたことから、それにあやかり十勝産の上等な小豆を用いて作られたという。
それゆえに、水戸市内の店舗で販売される同様の商品には「光圀饅頭」の名が付けられている。「大みか」の名は菓子メーカーの所在地の地名に由来する。

他にも茨城県の特産品にちなんだ菓子が多数ある。例えば、栽培面積・生産量ともに全国2位の「さつまいも」を用いた「干し芋」の菓子が多数存在。

また、20年連続で生産量日本一を誇るメロンを用いて、果汁100%で水を一切加えず作られた生地の中にクリームが入ったメロンパンは筆者一押しの菓子である。
生乳生産量全国8位の牛乳から作られたプリンやチーズも逸品で、人気のお土産品となっている。

長い歴史をもつ饅頭や地域の特産品を活かし趣向を凝らした商品が沢山。
最近はネット通販で取り寄せもできる。ぜひ、検索してお気に入りの逸品を見つけてみては。

(次田尚弘/水戸市)
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鉄道開通を機に開発 香りが特徴の銘菓「水戸の梅」

2020-04-05 13:43:07 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、水戸を代表する菓子として知られ、甘酸っぱさと弾力が特徴の「のし梅」と、
同じ名称で売られご当地ならではの工夫がされた和歌山県のものとの違いを取り上げた。
今週も、梅にちなんだ水戸ならではの菓子「水戸の梅」を紹介したい。


【写真】銘菓「水戸の梅」

「水戸の梅」は菓子そのものに付けられた名前。
見た目は熟した梅の実のよう。白餡やこし餡を、もっちりとした食感が特徴の「求肥(ぎゅうひ)」に包み、それを「赤紫蘇」で巻いたもの。この赤紫蘇にご当地ならではの工夫がされている。
それは、収穫した赤紫蘇を塩水に漬け、更に3ヶ月程度かけて梅酢に漬け込む。そして蜜で煮込むという手間暇がかけられているということ。

包み紙を開けるなり梅の香りが漂い、酸味と塩味の効いた赤紫蘇が、白餡やこし餡の甘さと絶妙にマッチする上品な味わい。
抹茶との相性がよく、茶菓子として親しまれる菓子。年中を通して梅の香りが楽しめ、梅で知られるご当地ならではの土産品として、市内各地で販売されている。

その歴史は深く、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が梅干しを紫蘇で巻いて作らせたとされる菓子を参考に、明治25年、水戸市内の和菓子店が考案。
明治33年の常磐線開通に合わせ、県知事に相当する当時の県令が、水戸ならではの観光客向けの土産品の開発を命じたことから、水戸を代表する菓子のひとつとして定着したという。
昭和40年に菓子業者で作る団体が商標登録し、加盟する5つの菓子店が製造・販売している。

偕楽園に広がる梅の香りを表現し、年中を通して梅に縁の深い土地であることを全国に発信する菓子。ぜひ一度、ご賞味いただきたい。

(次田尚弘/水戸市)
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