さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

信仰集め1900年 草薙剣を祭る「熱田神宮」

2018-04-30 08:55:06 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、価値ある古文書を後世へ残そうと、名古屋城築城時に家康が取り組んだ「大須観音」移転の歴史を取り上げた。
今週は、大須観音と同じく名古屋市民から信仰を集める「熱田神宮(あつたじんぐう)」を紹介したい。


【写真】熱田神宮の大鳥居

熱田神宮は名古屋城から南へ約6㎞の熱田区に位置する。年間670万人もの人々が参拝に訪れる名古屋を代表する神社。
熱田神宮には古事記や神話に登場する「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が持っていたとされる、三種の神器のひとつ「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」が祭られていることで知られる。

日本武尊が亡くなった際、神剣を現在の名古屋市緑区に留め置いていたことから、妃である「宮簀媛命(みやすひめのみこと)」が熱田神宮へ神剣を祭ることにしたという。

創建から1900年を超え、平成25年には千九百年年大祭が開かれた。約6万坪におよぶ境内は厳かで、全国から多数の崇拝を集めていることがわかる。

永禄3年(1560年)織田信長が桶狭間へ出陣の際、必勝祈願に訪れ、戦いに勝利した御礼として塀を奉納したとされ、「信長塀」の名で120m程度現存する。

天文16年(1547年)から約2年の間、家康(竹千代)は熱田の地に暮らしている。
松平から駿府の今川へ人質として預けられることとなった竹千代であるが、途中でさらわれ織田の配下に置かれてしまう。
俗に言う「竹千代事件」。織田信秀の命により、この地の有力者であった「加藤順盛(のぶもり)」の屋敷に預けられ、この地で2年を過ごしたという。

中部地方には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3武将を顕彰する「三英傑(さんえいけつ)」という言葉がある。
熱田は三英傑に縁の深い土地。神宮に秘められた力を感じてほしい。

(次田尚弘/名古屋市)
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価値あるものを後世へ 「大須観音」家康の思い

2018-04-22 13:31:13 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、名古屋城の築城に合わせ、都市計画に基づき開削された「堀留」の字と、うやむなく開削を諦めた和歌山市の「堀止」の字に込められた意図や思いについて考察した。
今週は、家康が貴重な古文書を後世に残そうと、名古屋城築城時に取り組んだ「大須観音(おおすかんのん)」の歴史を紹介したい。


【写真】大須観音(名古屋市中区)

大須観音は中区大須にある真言宗の寺。名古屋市で有数の観光スポットで門前にある商店街には外国人観光客の姿も目立つ。

当寺の開創は14世紀頃、「能信(のうしん)上人」による。開創は岐阜県羽島市。ではなぜ、現在の名古屋市に存在するのか。その鍵は家康にある。

大須観音には「古事記」などの重要な古文書を数多く写本されていたが、度々襲う水害により書物を失っていた。
重要な古文書の存在を知った家康は水害から守り後世に引き継ぐものにしようと、慶長17年(1612年)、寺と書物を現在の地に移転。以降、徳川家の庇護を受けた。

本堂は戦災により焼失するも昭和45年に再建。貴重な古文書を所蔵する大須文庫には、国宝の古事記写本を始め1万5千冊が収められている。

貴重な資料を守り、それらを継承していこうとする家康の精神は代々受け継がれている。
名古屋には尾張徳川家伝来の国宝や重要文化財を所蔵する「徳川美術館」、水戸には水戸徳川家の史料がみられる「徳川ミュージアム」がある。

紀州はどうか。徳川頼貞(よりさだ)により世界から収集された「南葵音楽文庫」がある。
所蔵品の寄託を受け、平成29年12月から県立図書館内に閲覧室が設けられる等、今その価値が注目されている。
価値あるものを後世へ残す、徳川の精神がここにある。

(次田尚弘/名古屋市)



「南葵音楽文庫」関連の番組が、4月29日(日)9:30~と再放送が18:30~テレビ和歌山「きのくに21」で放送される予定です。
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「堀留」と「堀止」 字に込められた開削への思い

2018-04-15 23:53:33 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、名古屋城本丸御殿の対面所に描かれた四百年前の風俗図に、和歌山市が描かれていることを取り上げた。
今週は名古屋城の城下町へとエリアを広げる。名古屋城の築城に合わせ作られた「堀川(ほりかわ)」と、その終着点にあたる「堀留(ほりどめ)」を紹介したい。

堀川は、名古屋城の築城と同じ慶長15年(1610年)、福島正則により、海に面した熱田地区と名古屋城下を結ぶ水路として長さ約6㎞、幅は最大で約87mにわたり開削された。
堀川の上端(源流)にあたる場所を、掘削した堀の終着点を意味する「堀留」とし、名古屋城外堀の「辰の口」と呼ばれる排水路とつながり、堀の水が堀川へ流入していたとされる。
名古屋城下では物資運搬のための要所となり、川に沿って多くの豪商の家々と蔵が建てられたという。

堀川から1.5㎞程東を並走する「新堀川(しんほりかわ)」は1910年(明治43年)に作られた河川。元々、熱田神宮の神職がみそぎを行ったとされる「精進川(しょうじんがわ)」が度々洪水を起こしていたことから運河として改修する計画が立てられ、新堀川として付け替えられたという。
新堀川の上端という意味から、ここにも「堀留」の地名がつけられ、現在もその名が残っている。


【写真】新堀川の上端に位置する「堀留」(名古屋市中区)

和歌山市にも「堀止(ほりどめ)」の地名があることを読者の皆様もご存知だろう。
和歌川から新堀川を開削し外堀とし湊地区まで掘り進める途中、幕府から謀反の疑いがかけられ中断したことから「堀止」と呼ばれるようになったという。

同じ読みでも、都市計画に基づき堀川の開削を留め置いた場所を示す「留」と、開削を止めさせられた場所を示す「止」の字の違いから、その字に込められた意図や思いがうかがえる。

(次田尚弘/名古屋市)
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400年前の和歌山市を描く 名古屋城本丸御殿・対面所の風俗図

2018-04-08 13:36:43 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、本丸御殿の復元を願い名古屋市で開催されている「春姫道中」の背景から、和歌山市と名古屋市の深いつながりについて取り上げた。
さらに「春姫」にまつわる両市の深い歴史が、復元された本丸御殿内部に存在する。
今週は、春姫が輿入れした当時の和歌山市が描かれた風俗図を紹介したい。


【写真】対面所次之間北東面(名古屋市観光文化交流局提供、名古屋城本丸御殿)


本丸御殿内にある対面所。ここは藩主と身内の者同士が対面する場や、宴席の場として使用されていた。
対面所には4室あり、そのうち「上段之間」と「次之間」の障壁には風俗図が描かれている。

上段之間には京都、次之間には和歌山を舞台に描かれた画が並ぶ。次之間には、紀三井寺、塩釜神社、玉津島神社、製塩風景、片男波、和歌浦天満宮、城下町の賑わいが順に描かれている。
名古屋城の初代藩主である徳川義直と春姫の婚儀の場として使用されたといわれ、一説には、故郷を離れた春姫を寂しくさせまいとの思いがあったとされる。

和歌山に縁のない拝観者からすれば壁画のひとつにすぎないかもしれないが、和歌浦の高台から和歌山市内を見回した現代も変わらない風景の数々と、400年以上前の生き生きとした人々の暮らしが、名古屋の地で見られることに筆者は感動を覚えた。
ぜひ、この感動をみなさんにも味わっていただきたい。

(次田尚弘/名古屋市)



名古屋城取材に同行した時に私が撮影した写真を掲載します。



【写真】 名古屋城本丸御殿対面所の壁画

復元された本丸御殿対面所の壁画の和歌浦天満宮が描かれていました。


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和歌山市と名古屋市の絆 本丸御殿の復元願う「春姫道中」

2018-04-01 18:17:08 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、木造天守閣の復元が決まった「名古屋城天守」と「本丸御殿」の歴史を取り上げた。
10年の時を経て復元工事が行われ、今年6月完成公開を迎える本丸御殿であるが、これは和歌山市と名古屋市の深いつながりを題材とした市民発信型のお祭りが後押しになったとされる。
今週は、本丸御殿の復元運動として知られる「春姫道中」を紹介したい。

春姫道中とは、元和元年(1615年)名古屋城の初代藩主である「徳川義直」に、紀州浅野家から13歳で嫁いだ「春姫」の御輿入れを再現した時代行列。
23年前、本丸御殿の復元を目指す市民の有志らが復元運動を実施。本丸御殿に最初に住むことになった春姫にスポットを当て、絢爛豪華な花嫁行列を総勢600名ものキャストで再現するもの。

春姫は紀州藩初代藩主・浅野幸長(よしなが)の娘で、紀州和歌山に生まれた。
歌を好み、琴の名手として成長。御輿入れの光景が非常に豪華であり、見物していた当時の人々がそれを良しとしたことが、現代に伝わる名古屋の豪華な結婚式の由縁になったといわれている。

平成27年の第21回では、春姫の輿入れから400周年にあたることから、和歌山市は主催団体より招待を受けイベントに参加。
城内に紀州浅野家や和歌山城の紹介が行われるなど、春姫の故郷・和歌山市と、嫁ぎ先・名古屋市の深いつながりが認識されるようになった。

今年の春姫道中は4月22日(日)の開催予定。熱田神宮を参拝した後、百貨店などが建ち並ぶ大津通をパレードし名古屋城へ。
名古屋城の特設ステージではイベントも行われる。6月に本丸御殿の完成公開を迎えることから、今回をファイナルと位置づけているという。

(次田尚弘/名古屋市)


【写真】復元が進む本丸御殿(左)




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