さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

元紀州藩士・村山龍平氏の功績 三重県度会郡玉城町 2

2016-07-31 13:31:42 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、三重県度会郡玉城町にある、かつて紀州藩が治めていた「田丸城」の歴史を取り上げた。
今週は田丸城に縁が深くこの地域に多大な貢献をした人物を紹介したい。

田丸城の築城から明治維新までの歴史は前号のとおりであるが、明治2年(1869年)に廃城となり、以後長らくの間、国有林として管理された。

昭和3年(1928年)、城跡が払い下げられることとなり、玉城町出身でかつては紀州藩旧田丸領に仕えていた村山龍平(むらやま・りょうへい)氏(1850-1933)の寄付により町有となり、町民に開放された。

村山龍平氏は朝日新聞の創刊に携わった経営者として御存知の方もいらっしゃるだろう。
明治維新後、一家で大阪へ移住し父親と共に商いをはじめ、明治11年(1878年)に大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所)の議員に選ばれ、翌年、朝日新聞を創刊。
以後、衆議院議員や貴族院議員を歴任。玉城町名誉町民として地域が誇る偉大な人物だ。

田丸城跡の寄付に加え、没後の昭和12年(1937年)には三重県で初めての50mプールを田丸城跡のほど近くに寄贈。
日本の古式泳法のひとつで紀州藩古来の「小池流古式泳法」の指導や町民のスポーツ活動の場として現在も町営プールとして親しまれるなど、地域への貢献は多大なものだ。

来月7日に開幕する全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)の創設を決断したのも村山龍平氏である。
第1回大会では朝日新聞社の社長として開会式の始球式を務めたという。
高校野球の礎を創った功績が称えられ、昨年、野球殿堂特別表彰者に選出されている。

明治・大正・昭和の激動の時代を先駆者として活躍された紀州藩出身の村山氏の功績に、私たち和歌山県民も触れてみてはどうだろう。

(次田尚弘/玉城町)


【写真】田丸城跡の程近くに建つ記念館
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紀州藩 久野氏の居城「田丸城」 三重県度会郡玉城町

2016-07-24 16:58:20 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号まで多気町における紀州藩の歴史や地域の特産品について取り上げた。
今週は多気町の西隣にある「三重県度会(わたらい)郡玉城(たまき)町」を紹介したい。

玉城町は三重県の中央部から少し西側に位置する町で、人口は約1万5千人。
伊勢市と隣り合うことから伊勢神宮への参拝客の宿場町として栄えてきた。

玉城町の中心部に紀州藩が治めていた「田丸(たまる)城」がある。


【写真】美しい石垣が残る「田丸城」

田丸城は南北朝動乱期の1336年、後醍醐天皇を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)が南朝方の拠点にしようと築城したことに始まる。
南朝方の拠点である吉野から伊勢神宮へと通ずる交通の要所に位置することから、吉野朝廷にとって軍事面からも重要視され、北朝・南朝の攻防にもまれた地となった。

室町時代以後は伊勢国司となった北畠氏の支城として伊勢志摩地域の支配の拠点となり、戦国時代には織田信長の伊勢侵攻に伴い1575年に織田信雄(織田信長の次男)が本丸に三層の天守閣を設けたが5年後に焼失している。

その後、1619年に紀州徳川家が治める紀州藩の所領となり、徳川頼宣の紀州転封(紀州徳川家の成立)により御附家老として頼宣に付随した久野宗成(くの・むねなり)が1万石を与えられ田丸城代となった。
以降、久野氏は8代にわたりこの地で政務を執り明治維新を迎えている。

現在、天守閣は無いものの、かつてを思わせる天守台が残され公園として整備。城内には玉城市役所や中学校が建つなど、今もなお、町を司る地となっている。
12月から翌1月にかけてはイルミネーションが施され、天守閣を模した建屋が作られる。
闇夜に浮かぶ期間限定の幻想的な姿を見てほしい。

(次田尚弘/玉城町)




田丸城趾横で保存されている蒸気機関車C58

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みえ伝統野菜品目「伊勢芋」 三重県多気郡多気町 3

2016-07-17 14:00:02 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では三重県多気郡多気町の「五桂池ふるさと村」について取り上げた。
ミカンや柿、イチゴ、ブルーベリーなど農業の収穫体験が楽しめ、多気町の特産品の魅力に触れられる施設。
これらの他にも多気町には有名な特産品「伊勢芋(いせいも)」がある。今週は伊勢芋について紹介したい。


【写真】伊勢芋

伊勢芋はヤマノイモの一種。見かけはジャガイモのようだが、薄い皮とアクの少なさ、タンパク質の多さが特徴で粘り気が強い。
多気町を流れる櫛田川に沿った地域が砂地で形成されていることから水はけがよく、また、肥沃な土壌であることから、この地が伊勢芋づくりに適している。

秋に収穫期を迎えるが、収穫した芋のうち4割程度を種芋として確保する必要があるため流通数は多くなく、栽培が難しいなどの理由から栽培する農家も減少しているという。
種芋(親芋)を地中から上へ押し上げるように子芋が成長する特徴があり、そのさまを、親孝行に例え「親孝行芋」としての別名もあり、かつてから婚礼など祝い事の際の贈答品として親しまれてきた。
この地で栽培が始まったのがおよそ300年前。明治から栽培が盛んになり松阪商人により名古屋方面へ流通が始まったとされ、現在は「みえ伝統野菜品目」にも選定。
地域のブランド食材として広く発信されている。

主な料理としては、すりおろしにしたとろろ汁を温かい麦飯にかけたものや、伊勢うどんにかけたもの、鉄板焼きなどが一般的。短冊切りにし揚げたものや、プリンなどのスイーツ、芋焼酎など様々。
粉末状に加工し個別包装された土産品もある。

秀品であれば1キロ4千円程の価格で流通する高級食材だが、とろろのきめの細かさは一流。
ぜひ御賞味いただきたい。

(次田尚弘/多気町)
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地域に愛される「五桂池ふるさと村」 三重県多気郡多気町 2

2016-07-10 13:36:54 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では三重県多気郡多気町にある紀州藩が築堤した三重県内最大のため池「五桂池」と、紀州藩の薦めにより移入された「紀州みかん」の歴史について取り上げた。
今週は五桂池の畔にある「五桂池ふるさと村」を紹介したい。


【写真】「五桂池ふるさと村」のエントランス

「五桂池ふるさと村」は昭和59年にオープンした農業体験や動植物と触れあうことができる施設。
10月上旬から11月下旬にかけて「みかん狩り」、10月上旬から11月中旬には「柿狩り」、1月上旬から5月上旬には「いちご狩り」、さらに、9月中旬から翌5月上旬には「きのこ狩り」、現在の時期(6月下旬から8月下旬)は「ブルーベリー狩り」が楽しめる。

敷地内にある「花と動物ふれあい広場」では、ポニーの乗馬体験や記念撮影、ウサギやモルモットとの触れ合いなどが行われ、子供たちに人気。筆者が訪れた土曜の午後には子供連れの家族客で賑わい、地域の憩いの広場となっていた。

食事処も充実。テレビドラマ化されたことを御存知の方もいらっしゃると思うが、高校生たちが運営する「高校生レストラン」のモデルとなった「まごの店」は、県立高校の調理科の生徒が運営する実習を兼ねた施設。

三重県産の食材にこだわり、授業や試験が無い、土・日・祝日のみ営業されるというもの。料理の美味しさはもちろん、調理、接客を高校生自らが厳しい環境のなか一生懸命に行う様子を見るだけで応援したい気持ちになる。
料理に加え、スイーツの販売も人気。「まごの店」が休みの平日でも地元の女性方が運営する「ふるさと食堂」があり、おすすめ。

また施設内には宿泊可能なロッジや松阪牛のバーベキューが楽しめるコーナーもある。
この夏、紀州と縁の深い多気町を旅してみては。

(次田尚弘/多気町)




「高校生レストラン」のモデルとなった「まごの店」
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紀州藩が築堤、三重最大の溜め池 三重県多気郡多気町

2016-07-06 10:08:05 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号まで大台町の産業や文化について取り上げた。今週は大台町の北隣にある「三重県多気郡多気町」を紹介したい。

多気町は三重県の中央部に位置する町で、人口は約1万4千人。
かつてから、伊勢神宮へ続く「伊勢本街道」、「和歌山街道」、「熊野街道(伊勢路)」が通る交通の要所として発展してきた。近年は大手家電メーカーの製造工場が操業するなど発展がめまぐるしい。

海に面しておらず、高い山が無いことから、水不足による干害が起きたため、各地に溜め池が作られ今もなおこの地域の農業を支えている。

溜め池のひとつ「五桂池(ごかつらいけ)」は紀州藩が築堤したもの。江戸時代に作られた三重県内で最大の溜め池で、周囲3.75㎞、面積19.5haの広さを誇る。


【写真】五桂池ふるさと村

台風被害や干害に悩まされていた地域の有志らがこの地を治めていた紀州藩田丸郡の奉行へ灌漑用溜め池と新田開発を嘆願。
それを受け1672年に築堤工事を着工しのべ15万人以上が動員され7年の歳月をかけ完成したという。

池の築堤により住民25世帯が移転を余儀なくされ「池の完成後、まもなくして大粒の雨で満たされたさまを、地域のためを思い土地を手放した住民らの涙が表している」といった地域の民話が今も語り継がれている。

五桂池からの安定した水の供給が後押しとなり、紀州藩から「紀州みかん」が移入され、昭和20年代にはみかん栽培が盛んになった。
しかし、昭和30年代になり、みかんの価格が低迷したことから、農業体験ができる施設をつくる構想が生まれ、みかん狩りやいちご狩りが楽しめ、また、動植物と触れあえる施設が、昭和59年に「五桂池ふるさと村」としてオープン。
ほのぼのとした観光名所として親しまれている。

(次田尚弘/多気町)




【写真】五桂池ふるさと村

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