さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

個性的な料理に姿を変える 名古屋の味の決め手「八丁味噌」

2018-07-29 13:34:13 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、地域の身近な食材や人々の暮らしから生まれ親しまれる「おにぎり」で、名古屋めしのひとつ「天むす」を取り上げた。
今週は、家康生誕の地、愛知県岡崎市名産の八丁味噌を用いた「味噌カツ」を紹介したい。


【写真】八丁味噌が使われた味噌カツ

味噌カツは濃い赤褐色をし甘辛い味が特徴の八丁味噌をベースに、鰹出汁などを加えたソースを並々と豚カツにかけたもの。
天むすと同様に三重県津市が発祥の地とされ、主に中京圏で親しまれている。

八丁味噌は原材料の全てを大豆とした豆味噌。直径、高さ共に約2メートルの桶に約6トンの味噌を仕込む。麻布をかぶせ、合計約3トンに及ぶ大小様々な石を均等に載せ、二夏二冬、じっくりと熟成。味噌汁など、調味料として広く活用される。

昨今は、味噌に含まれる遊離リノエール酸という成分が、シミ、ソバカスの原因となるメラニンの合成を抑えることから美白効果が期待され、また、コレステロールを抑制することから心筋梗塞や脳梗塞の予防にも効果があるなど、健康食としても注目されている。

味噌カツのほかにも「味噌煮込みうどん」「味噌おでん」「どて煮」など、八丁味噌をベースとした名古屋めしが存在するなど、地域の食文化を支えている。

和歌山県の特産品である「金山寺味噌は、八丁味噌とは異なり、米、麦、野菜などが加えられた、おかず味噌。
熟成期間は1週間から3ヵ月程度と短い。調味料にはならないが、おかずや酒の肴にそのまま食べられる。
徳川吉宗が幕府に献上したことから全国に広まったとされる。

個性的な料理に姿をかえる八丁味噌と、おかず味噌として倹約に貢献する金山寺味噌。
いずれも家康の精神が今に息づく伝統的な食文化といえよう。

(次田尚弘/名古屋市)
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地域の歴史と文化が凝縮 ご当地のファストフード「おにぎり」

2018-07-22 14:22:04 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
災害現場や避難所で提供される手軽な食べ物として重宝される「おにぎり」は、いわば、日本古来のファストフード。
おにぎりは、地域の食文化を知るうえで参考になるもの。今週は名古屋めしのひとつとして親しまれる「天むす」の歴史を紹介したい。


【写真】津市発祥、名古屋で愛される「天むす」

天むすは小エビの天ぷらを具にしたおにぎり。1950年頃、三重県津市の天ぷら屋の賄い料理として生まれた。
車エビの天ぷらを切り、おにぎりに入れたのが始まりとされ、現在は安価な「アカシャエビ」が使われている。

おにぎりの中にエビを包み込むのが初代の形であるが、昨今、一般的なのはおにぎりの上部に乗せられているもの。
一目で見て天むすであると識別でき、海苔巻きとのコントラストが食欲をそそる。
食す前からその美味しさを目で楽しませる仕掛けは、ご当地ならではの工夫なのだろう。

なぜ、名古屋で天むすなのか。伊勢湾はエビの漁獲高が多く、物流網が発達する前は地域内での早めの消費が不可欠。車エビを使った名古屋めしの代表格「エビフライ」の存在にも関係する。

三重県北部から広まった天むすであるが、三重県南部の熊野地方(東紀州)から和歌山にかけての紀伊半島で親しまれてきたのが「めはりずし」。
握り飯を高菜の葉で包んだ、読者の皆様もお馴染みの郷土料理。山仕事や農作業へ出かける際に持参し、その大きさや美味しさからその名が付いたといわれる。

作りの簡便さと持ち運びが容易であること、作業の合間でもボリュームと栄養を摂取できることが、この地域でのファストフードとして根付いたもの。

地域の身近な食材や人々の暮らしから生まれるおにぎり。そこから地域の歴史と文化が見えてくる。

(次田尚弘/名古屋市)
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孤立・帰宅困難への備え 知恵と工夫で外出時の災害対策を

2018-07-15 20:23:50 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
「家康紀行」のシリーズ中ですが、先週に続き大雨関連の話題をお伝えします。
 
◇  ◇

西日本豪雨では、各地でかつて体験したことがない大雨に見舞われ、現時点で200名近い死者を出す未曾有の災害となっている。

前号では有事の際の情報収集と自主的な判断基準の設定により、自ら考え行動する防災意識の向上について取り上げた。今週は外出時の対策について紹介したい。

おすすめしたいのが自動車への防災キットの搭載。


【写真】車載用の防災キット(筆者使用)

例えば携帯型のトイレ。尿をかければ中身が凝固し消臭機能があるもの。日頃の思わぬ渋滞の際でも活躍が期待される。
ミネラルウォーターはペットボトル容器が一般的なものよりも分厚い仕様で長期保存可能なものが最適。
ボトルに直射日光があたり集熱することにより起きる思わぬ発火や、高温の車内で水が劣化する可能性があるので、光を透過しない収納ボックスに入れるかタオルで巻くなどの工夫が望ましい。
車に水が浸水し立ち往生した場合、水圧で扉が開かない、電気系統の故障でパワーウィンドウが開かず車内に閉じ込められるケースも往々にある。
ガラスを粉砕する車載用のハンマーなどが市販されているので準備しておきたい。

交通遮断による帰宅難民の発生も都市圏においては深刻な問題となっている。
今回は始発から運転を見合わせる交通機関が多かったが、大阪北部地震の際は緊急停止した電車から降ろされ、復旧まで最寄りの避難所に待機したという人が筆者のまわりでも多数おり、土地勘の無い場所での被災は怖いと口を揃える。
無理をして帰ろうとせず安全な場所で待機する我慢強さも必要と話していた。

いつ、どこで発生し遭遇するかわからない災害。備えあれば憂いなし。知恵と工夫で来る災害に備えたい。

(次田尚弘)
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府県間の移動が困難に 自ら考え行動、防災意識の向上を

2018-07-08 13:34:34 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
「家康紀行」のシリーズ中ですが、大雨関連の話題をお伝えします。


6日未明から明け方にかけての激しい雨では平年1ヶ月間の総雨量(7月)の倍以上を記録。大阪と和歌山を結ぶ鉄道や空港バスは長時間運休し、阪和道や第二阪和国道をはじめ風吹峠や孝子峠を通る主要道路も一時通行止めとなり、府県間の交通網が麻痺した。

唯一、通行ができた岬と加太港を結ぶ県道・府道65号でも、山の斜面からは多量の水を含んだスポンジの如く水が噴き出し、こぶし大の落石や土砂が道路に広がり、茶色い水で冠水する箇所も見られた。


【写真】府県間の移動ができた県道65号(加太港-岬)

孝子へと続く府道752号和歌山阪南線(旧26号)の通行止めに伴い、阪南市付近から深日中央交差点までの和歌山方面車線では渋滞が発生。阪南市から和歌山市まで3時間以上を要する時間帯もあり、府県間の移動に大きな混乱をきたした。

明治以前では、和泉山脈は天然の要害となり海は輸送の要として重宝された。交通が発達し、労働や物資の調達を地域内で完結しなくなった現代において交通遮断による影響は大きい。
かつては重宝された特徴的な地形も、現代の異常気象にかかれば地域を孤立させる要因に。

いつ、どこで発生するかわからない豪雨であるが、気象予報サイトを見ればリアルタイムに自分に迫る危険を察することができる。
不要不急の外出を控え、やむを得ず出掛ける際には道路交通情報センターや県の道路情報サイトを使った情報収集も有効。

数十年に一度とされる水害が各地で起こる昨今。自ら情報を収集するアンテナの高さ、あらかじめ有事に備えた自主的な判断基準を設けておくなど、自ら考え行動できる防災意識の向上が求められている。

(次田尚弘)
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創意工夫で価値ある食材に50年前に誕生「手羽先唐揚げ」

2018-07-01 23:59:36 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、名古屋の朝に欠かせない存在である「小倉トースト」を取り上げた。
今週は、持ち帰りができ、人気が高い名古屋めしのひとつ「手羽先唐揚げ」を紹介したい。


【写真】スパイスが効いた「手羽先唐揚げ」

名古屋の居酒屋料理の定番として提供される手羽先唐揚げは何といってもスパイシーな味わいが特徴。衣をつけず、下味をつけた肉を素揚げする。
そこに甘辛で濃い口のタレを塗り、塩や胡椒、白ゴマを振りかける。中はふんわり、外はパリパリとした食感と濃厚なスパイスが絶妙で、お酒が進む。

手羽先唐揚げは意外と歴史が浅く、今から50年程前に誕生。出汁をとる程度でしか利用価値が無かった手羽先であったが、名古屋市内で飲食店を営む店主が活用法を考えた。
その店では鶏の半身を丸ごと唐揚げにしたターザン焼きという料理を提供していたことから、それに使用していた秘伝のタレを手羽先唐揚げにかけ、客に提供したところ好評となり、メニューとして定着したという。

一説には、当時は高価であったターザン焼きに手を出せない客を受け入れようと手軽なメニューを考案した。あるいは、鶏肉が品切れしたため苦肉の策で生まれたなど諸説あるが、身近にある食材を創意工夫し商品化することが得意な名古屋ならではの料理といえるだろう。

昨今、和歌山では梅酢エキスを混ぜた餌で育てた「紀州うめどり」を見かけることが多くなった。
かつてから夏場に弱った鶏に梅酢を飲ませ、健康維持に欠かせないクエン酸やアミノ酸を補給することで、食味・風味に優れた鶏に育てる風習があった。
2006年に大阪で開かれたコンテストでは、食味・風味、見た目で全国1位を獲得。
暑さに負けない紀州ならではの地鶏を使った名物料理の出現を期待したい。

(次田尚弘/名古屋市)
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