さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

「新居関所」と国道42号 紀州藩の御用宿が残る宿場町

2017-07-23 17:25:24 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では東海道三大関所「気賀関所」と、開設から明治維新まで12代に渡って関所を管理した近藤氏と紀州徳川家との歴史を取り上げた。
今週はもうひとつの三大関所である「新居(あらい)関所」を紹介したい。


国の特別史跡「新居関所」

「新居関所」は慶長5年(1600年)幕府直轄の重要な関所として設けられた。
浜松市の西隣、浜名湖の河口を挟んだ湖西市に位置する。
高潮や東海地震の津波被害を受け2度移転するも、安政5年(1858年)に再建された建造物は学校や役場の庁舎として使われ現存。
当時の建物が残る日本で唯一の関所として、大正10年(1921年)国の史跡に登録。
昭和30年には国の特別史跡に指定。渡船場の石垣や柵、大御門などが復元され、東海道の要所として風格ある佇まいが特徴。

関所近くの「新居宿 旅籠紀伊国屋」は元禄16年(1703年)に開業した紀州藩の御用宿となった旅籠屋。
昭和30年代に廃業されるまで250年に渡り営業を続け、現存する建物は明治7年築。館内は資料館になっており、当時の東海道の賑わいや文化を紹介している。

浜名湖を渡るとすぐ浜松市。以前、本コーナーで取り上げた国道42号(国道1号との重複区間)の東端となる「篠原交差点」まで僅か数キロの距離だ。
新居関所と国道42号に関係があるのではないかと筆者の記者魂を熱くしたが、国道42号は和歌山市と三重県津市の区間であったものを、平成5年、渥美半島と紀伊半島を横断し、更に紀淡海峡を超え四国・九州へと至る国土軸となる道路の構想が計画された際、現在の区間(和歌山市県庁前交差点~浜松市西区篠原交差点)に延伸されたという。
偶然であろうが、東西を隔てる関所を目前に主要な道路の境が設定されたことに浪漫を感じずにはいられない。

(次田尚弘/湖西市・浜松市)
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東海道三大関所「気賀」 歴代管理者・近藤氏と紀州の関わり

2017-07-16 18:06:44 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では井伊氏発祥の地で、菩提寺がある浜松市北区井伊谷の「龍潭寺(りょうたんじ)」を取り上げた。今週は気賀駅の程近くにある「気賀関所」を紹介したい。


【写真】再建された「気賀関所」

そもそも関所は家康の命により主要な街道の軍事・警備を目的に設置されたもの。
とりわけ気賀は東海道に沿った要所で、箱根、新居(浜松市)と共に東海道三大関所と呼ばれていた。
「入り鉄砲に出女」と言われたように、関所は人や物が移動する際、江戸へ鉄砲などの武器が必要以上に運ばれることが無いよう、また、人質として江戸に住む各大名の妻子が江戸から逃げないよう通行する人々を取り調べる機関として重要な役割をなしてきた。

この付近を通る幹線道路は現在でも「姫街道」と呼ばれている。
東海道は、浜名湖の南端を船で渡るルートが正式であるが、湖と海の境に位置することから危険を伴ったという。
そのため、浜名湖岸を大回りすることになるが、武家の妻子(奥方や姫君)などはより安全な気賀関所を通るルートが重宝されたことが「姫街道」の名の由来とされる。

関所開設より明治維新まで12代にわたり関所の管理を行った近藤氏は江戸幕府の旗本として活躍。
もとは今川氏に従う国人であったが、元禄11年(1568年)の家康による遠江侵略を機に家康に仕え、近藤秀用(ひでもち)は井伊直政の与力となった。

秀用の孫にあたる貞用(1606-1696)は、家康から頼宣に仕えるよう指示を受け、大坂冬の陣では頼宣が率いる部隊に属し功績をあげ、頼宣の紀州藩への転封に伴い自らも紀州に赴き、祖父の秀用に呼び戻されるまでの約1年間、紀州徳川家の立ち上げに尽力したとされる。

(次田尚弘/浜松市)
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井伊氏発祥の地 菩提寺「龍潭寺」と名勝庭園

2017-07-09 17:00:38 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では今年の大河ドラマの舞台で、大河ドラマ館が開設されている浜松市北区の「気賀駅」を取り上げた。
井伊氏発祥の地である「井伊谷(いいのや)」の最寄駅で、ここから多くの観光客が、井伊氏の菩提寺である「龍潭寺(りょうたんじ)」へと向かう。
今週は「井伊谷」と「龍潭寺」を紹介したい。

龍潭寺は臨済宗妙心寺派の寺で、天平5年(733年)に行基により開かれたとされる。
元禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで戦死した井伊直盛(直虎の父)の戒名から、龍潭寺と改められたという。
井伊氏の歴代当主の墓があり、生前に結ばれることのなかった直親と直虎の墓が隣り合って祭られている。

寺には井伊氏から拝領した品々が収められ、江戸時代建立の本堂や山門など伽藍6棟が静岡県指定有形文化財に指定されている。

また、約1万坪の境内は緑豊かで「龍潭寺庭園」として国の名勝に指定。


【写真】龍潭寺庭園

江戸時代初期に造園された「池泉鑑賞式庭園」で、不老不死や子孫繁栄を願い、池の両側に守り神とされる「仁王石」、正面に「坐禅石」、中央に「守護石」が配置されており、背景には山の峰と山脈が木々で表現され、手前の池は海を、多くの石組と築山で鶴亀を表している。
春は桜やサツキ、梅雨には紫陽花、秋には紅葉、冬には梅や椿が咲き、四季の変化により異なる表情を見せてくれる。

井伊氏の歴代当主や、次郎法師としてこの寺へ出家した井伊直虎も眺めた庭園。
時が止まったような静寂な空間で、歴史に思いをはせてみてはいかがだろうか。

(次田尚弘/浜松市)
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おんな城主 直虎の舞台 観光客をもてなす「赤備え」

2017-07-02 17:00:20 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では井伊直虎や徳川家康をはじめ、浜松ゆかりの偉人を紹介する施設「浜松出世の館」を取り上げた。
今週は舞台を井伊直虎が治めていた浜松市北部に移す。
大河ドラマの放送にあわせ「大河ドラマ館」が開設され、大勢の人々が訪れる今話題の地を紹介したい。

井伊直虎は遠江井伊谷(とおとうみのくに・いいのや)の領主で、徳川四天皇のひとりで彦根藩の初代藩主「井伊直政」の養母としても知られる。
幼少の直政の後見人として養育しながら女城主として井伊家を断絶の危機から救った。
直政を家康の家臣にするまでの物語はこれからのドラマで描かれるであろう。

天竜浜名湖鉄道「気賀(きが)駅」は井伊谷への玄関口で、駅に程近い、浜松市みをつくし文化センターホールに「おんな城主 直虎 大河ドラマ館」が開設されている。


【写真】井伊家の家紋と赤備えが目立つ「気賀駅」

気賀駅では観光客をもてなそうと、大河ドラマの放送に合わせ井伊家の家紋や「井」の字が入った赤い幕を駅舎に施している。
同鉄道は浜名湖の北岸を走るローカル線で、掛川駅と新所原駅を結ぶ。
1両編成のディーゼルカーがホームに着くと、大河ドラマ館や井伊家の菩提寺である「龍潭寺(りょうたんじ)へと向かう路線バスへ乗り換える観光客で賑わっていた。

土曜・日曜を中心に、市のマスコットキャラクターである「家康くん」と「直虎ちゃん」が大河ドラマ館周辺を散策することも。大河ドラマ館は来年1月14日まで開設。
関西からのアクセスは、浜松駅から遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道を乗り継ぐか、浜松駅バスターミナルから路線バス(約60分)でいずれも気賀駅下車。
浜名湖に近い豊かでのどかな井伊谷を訪れてみては。

(次田尚弘/浜松市)
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やらまいか精神を発信 期間限定「浜松出世の館」

2017-06-25 15:35:27 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では「出世の街」浜松の魅力発信に活躍する市のマスコットキャラクター「出世大名家康くん」と「出世法師直虎ちゃん」を取り上げた。今週は浜松市の魅力を発信する施設を紹介したい。

浜松駅から程近い市街地に、井伊直虎や徳川家康の活躍と、ゆかりの地を紹介する観光案内施設「浜松出世の館」が、大河ドラマの放映にあわせオープン。


【写真】「浜松出世の館」

直虎の生涯を説明するパネル展示をはじめ、ドラマで使用された徳川家康役の衣装(甲冑)の展示、さらに浜松市出身の実業家らの功績を紹介している。

29歳から45歳まで浜松で天下人への礎を築いた家康公にはじまり、楽器や発動機といったものづくりの街として世界に誇る企業を生み出したことは、鰻や餃子などこの地ならではの活力の源となる食、そして豊かな自然が、自己成長や夢の実現に向かって励む人々にとっての心の原動力になっていることを伝えている。

なかでも浜松ゆかりの偉人による語録の展示では、遠州地方の「やらまいか精神」の実例を紹介。
1900年に国産第一号のピアノを作った山葉寅楠氏(1851-1916)や楽器産業の発展を支えた河合小市氏(1886-1955)、日本のテレビの父といわれた高柳健次郎氏(1899-1990)、スズキの創業者で自動車やオートバイを開発し世界的な企業へ育てた鈴木道雄氏(1887-1982)、町工場を世界のホンダへと育てた本田宗一郎氏(1906-1991)などが残した語録は、どれも心に響くもの。ぜひ、実際に訪れ触れてみてほしい。

同館は来年1月末までの期間限定。入場料は無料。
土曜・日曜を中心に、家康くんや直虎ちゃんに会えるチャンスも。スケジュールは事前に家康くんのオフィシャルサイトにある「出陣カレンダー」で調べられる。

(次田尚弘/浜松市)
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出世の街をPR 「家康くん」と「直虎ちゃん」

2017-06-18 22:43:41 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、秀忠公の産土神として信仰を集める「五社神社・諏訪神社」を取り上げた。
浜松は家康公が17年にわたり居城したのち天下統一を果たしたことから、市は「出世の街」を前面に押し出し魅力を発信している。
今週はその役割を担う、家康公をモチーフとした市のマスコットキャラクター「出世大名家康くん」を紹介したい。

家康くんは市政100周年を記念し平成23年に誕生。「はままつ福市長」の肩書を持つ。チャームポイントのちょんまげはウナギ、羽織の紋は蜜柑、袴はピアノの鍵盤、といった浜松の特産品があしらわれている。
この家康くん、誕生から今日までの経歴が面白い。

平成25年に行われたゆるキャラグランプリで「優勝を逃した折には自慢のちょんまげを落とし出家大名に改名する」と宣言しいざ出陣。
家康くんのやらまいか精神(遠州地方の方言で「やろうじゃないか」の意)に浜松市民が懸命に応援するも、準グランプリに終わる。
その後、公約を守るべく断髪式を催しウナギのちょんまげを落とし出家。
養鰻場や料理店での修行、犀ヶ崖資料館(先に紹介)での座禅、うなぎ観音への参拝など修行を行い、出家から約1ヵ月後、うなぎ観音からのお告げにより「出世大名」の名を復活させるに至り、注目を集めた。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎も浜松ゆかりの人物。平成28年8月「出世法師直虎ちゃん」として、家康くんと同じく市のマスコットキャラクターに。
市内を走る路線バスには二体が大きくラッピングされ、井伊直虎ゆかりの地としての浜松もPRしている。

(次田尚弘/浜松市)


【写真】二体が描かれた路線バス


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秀忠公の産土神 「五社神社・諏訪神社」

2017-06-11 13:36:18 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では浜松市で生まれた第2代征夷大将軍である徳川秀忠の産湯として使われたとされる「誕生井戸」を取り上げた。
今週は秀忠公の産土神(うぶすながみ)として信仰を集める「五社神社・諏訪神社」を紹介したい。


【写真】「五社神社・諏訪神社」

産土(うぶすな)とは人の出生地の意味で、一般的に産土神とは生まれた土地の守護神をさす。
浜松市の中心市街地に位置し浜松城まで直線で約500メートルに位置する五社神社・諏訪神社はこの地で生まれた秀忠公の産土神として崇拝されてきた。

五社神社は家康公入城前の曳馬城(浜松城)主であった久野越中守が城内に創建したとされ、秀忠公誕生を機に現在の場所に社殿を造営し遷座(御神体を他の場所へ移すこと)。
寛永11年(1634年)、3代将軍の家光公が参拝の際、改めて社殿が造営され寛永18年(1641年)に竣工。国宝に指定されるも、昭和20年、先の大戦による戦災(浜松大空襲)で焼失している。

諏訪神社は延暦10年(791年)坂上田村麻呂により創建され、秀忠公誕生にあたり五社神社と同様に社殿を造営したという。
家光公により現在の地に社地を移し、五社神社と時を同じくして竣工。国宝に指定されるも戦災により焼失している。

昭和37年に両社は合祀され「五社神社・諏訪神社」として現在に至る。
いずれも相殿として家康公を御祭神とし、子守り、子育ての神として崇拝され、安産祈願の祈祷や御守りを買い求める参拝者も多く、七五三の時期にも多くの親子で賑わう。

浜松駅から北西へ徒歩約10分。筆者は語り部さんのすすめで今秋誕生予定の実兄の子の安産を祈願した。
徳川家のような末長い発展と子孫繁栄に肖りたい。

(次田尚弘/浜松市)
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徳川秀忠公生誕の地 産湯として使われた「誕生井戸」

2017-06-04 22:19:03 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では三方ヶ原の合戦で敗走する家康が、楠の幹の洞穴に身を隠し武田の追手から逃れたとされる、浜松八幡宮の「雲立の楠」を取り上げた。
合戦の後、武田軍は遠江国で年を越し元亀4年(1573年)東三河へ侵攻し野田城を攻略するも、信玄の病状が悪化し甲斐国へ撤退。信玄はその帰路で息を引き取っている。

それから6年後の天正7年(1579年)4月、後の第2代征夷大将軍である徳川秀忠(ひでただ)が、ここ浜松に産まれている。今週は今も残る秀忠公ゆかりの地を紹介したい。

徳川秀忠(1579-1632)は家康の三男に産まれ幼名を竹千代成と名付けられた。
家康の長男・松平信康は武田軍への内通を疑った織田信長からの銘により自害、次男の結城秀康(ゆうき・ひでやす)は豊臣秀吉の養子となったため、三男の秀忠が後継者となった。
秀吉による小田原攻めの際、人質として10歳で上洛し元服。秀忠の名は秀吉から賜ったもの。

家康の側室である西郷局が秀忠を産んだ際、産湯として使われたという伝承をもとに作られた井戸が浜松市の中心部にある。
実際にはこの地点から西へ約50メートルにあったとされ、当時は下屋敷が構えられていたという。

井戸は明治頃まで現存したとされ「誕生井戸」と呼ばれたことから、ここから北にある橋に「誕生橋」という名が付いている。
徳川家ゆかりの地名が残り、第2代征夷大将軍を輩出したという浜松市民の思いが伝わってくる。


【写真】秀忠公の産湯「誕生井戸」

「誕生井戸」は遠州鉄道・遠州病院駅下車すぐ。高架下の小さなスペースだが、浜松城周辺の散策コースに設定され観光客らが訪れる。

(次田尚弘/浜松市)
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徳川家代々の祈願所 家康が身を隠した「雲立の楠」

2017-05-28 13:32:56 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、犀が崖古戦場における戦没者のたたりを鎮めようと始まった伝統芸能で、浜松市の無形民俗文化財に指定されている「遠州大念仏」を取り上げた。
三方ヶ原の合戦で敗退をきした夜、夜営する武田軍を攻めた家康であるが、その行動にはひとつのきっかけがあった。
それは浜松城を目前に身を隠した「浜松八幡宮」にある。今週はここで起きた「雲立の楠(くもだちのくすのき)」という出来事を紹介したい。

浜松八幡宮は浜松城の北東約1キロに位置する。源頼家が東征祈願をしたという由緒があり、元亀元年(1570年)に家康が浜松に居城を移してからは城の鬼門鎮守の氏神として武運長久を祈ったという。
境内には楠の巨木があり、三方ヶ原の合戦で敗れ城へ敗走する家康がこの楠の幹に空いた洞穴(どうけつ)に身を隠し、武田軍の追手から逃れたとされる。
洞穴の中で武運を祈った家康は、楠の上部に、めでたいことの前兆として現れるとされる瑞雲(ずいうん)が立ち昇り、神霊が白馬に跨って城の方へと飛び立つ姿を見たという。
そこで、敗走中であるがこの戦いに利があるはずだと確信した家康は城内へと逃れ、犀が崖で夜営する武田軍の襲撃を決意したという。
以降、家康はここを徳川家代々の祈願所と定め、旗や弓を奉納し武運を祈願したとされる。


【写真】八幡宮の境内にある「雲立の楠」

境内には現在も幹回りが13メートル程、高さが15メートル程で、樹齢1000年を超える楠の巨木があり「雲立の楠」として静岡県の天然記念物に指定され、厚い信仰を受けている。

遠州鉄道「八幡駅」から徒歩すぐ。市の中心部に4500坪の境内を誇り、緑の木々が豊かで厳かなところ。ぜひ訪れてみてほしい。(次田尚弘/浜松市)
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家康公推奨の伝統芸能 無形民俗文化財「遠州大念仏」

2017-05-21 22:44:58 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では浜松市の「布橋」という地名の由来とされる「犀が崖(さいががけ)古戦場」を取り上げた。
崖下から聞こえる人馬のうめき声や付近で起きる不幸な出来事に対し、家康が講じたとされる奇策を紹介したい。

一連の原因を武田軍のたたりであると考えた家康は、三河から了傳(りょうでん)という僧侶を招き7夜に渡り鐘と太鼓を鳴らし供養した結果、たたりは収まったという。

以後、家康は鐘と太鼓を鳴らす「念仏踊り」を推奨し、その際に三葉葵の紋が付いた羽織を着ることを許したという。
さらに了傳の後を継いだ宗円という僧侶が遠州地方の広域に布教を行ったことから「遠州大念仏」として各地で盛んに行われるようになり、約280の地域で行われていたという。

三方ヶ原の合戦での戦没者を弔うために始まったものであるが、やがて初盆を迎える家の庭先で大念仏を演じるという風習が根付き、浜松市は遠州地方の郷土芸能として昭和47年3月、無形民俗文化財に指定している。

大念仏は30人を超える隊列を組み、「頭先(かしらざき)」と呼ばれる隊の責任者の提灯を先頭に、笛、太鼓、鐘、歌い手の声に合わせて行進する。
一行が初盆の家の庭先に入ると太鼓を中心に、「双盤(そうばん)」と呼ばれる並列に吊り下げた2個の鐘を撞木(細い布を束ねたもの)で叩く独特な楽器を置き、音頭取りに合わせて念仏や歌枕を唱和。踊るようにして太鼓を勇ましく打ち鳴らし故人の供養を行うというもの。
現在も約70の組が保存会を形成し活動を続けている。


【写真】遠州大念仏の模型(犀ヶ崖資料館所蔵)

犀が崖古戦場近くには遠州大念仏と三方ヶ原の合戦を紹介し、郷土の文化遺産の継承を目的とした資料館がある。
興味がある方はぜひ訪れてほしい。

(次田尚弘/浜松市)
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