川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

ジンセイいろいろ

2005-01-22 00:41:44 | 日々のわざ
息子が、言うわけさ。

ジンセイいろいろあるよね。
パパ、いろいろあった?

そりゃあ、あったさね。

そうだよね、40年生きてるといろいろあるよね。

なんなんだそれ。

よくよく聞くと、テレビでそういうのを言っていたのだって。

でも、同級生のU君なんぞ、「おれも、ジンセイいろいろあったからな」なんて言っているのだそうだ。
彼の場合、両親の離婚とか、そういう意味でのイロイロの模様で、それなりに実感がこもってる。

とにかく、そんなわけで、ジンセイいろいろがプチ・ブーム。

息子のリクエストとしては、「ぎりぎりセーフで助かった」いろいろが面白いらしく、「雲仙で死にかけたこと」とか、「オーストラリアの砂漠で車のタイヤが同時に二つパンクしたこと」とか、「学生時代、年末に鼻血が止まらなくなりもう少しで失血死ってとこまでいったこと」とかを話しております。


美容室で困ること……

2005-01-20 16:09:18 | 日々のわざ
久しぶりにやられました。
予約していったのに45分待ち。
予約ってなんだ??

そこで、お店側と話し合いを持ち、今度は「手が空いたら電話をくれる」方式をためしてみよう、ということに。
ぼくが「きょう、髪を切りたいです」と電話しておくと、手が空いた時に携帯に電話をくれる、と。そして、ぼくは矢のように飛んでいって5分以内に到着。髪を切る、次第。

うまくいきますかどうか。


PTAで困ること……

2005-01-20 05:10:21 | 日々のわざ
久々の役員選出委員会。
時間と場所が決まったとメールがきた。
いつも困るのは、メールなのに、

連絡網

なのだ。

メーリングリストではなく。

ぼくは次の人にメールする。
すると、携帯のアドを変えたらしく、戻ってくる。

仕方なくプリントアウトして、ファクスする。

しばらくすると、ファクスしたNさんから電話が来た。

なんかへんなファクスが来たんですけどー。
佐倉井真子センセイがどうした、とか……。

あ、それ、表と裏、間違えましたすみません。
「影法師の……」のゲラの裏紙使ってました。

へいこら。ごめんなさい。

しっかし、あえて言うなれば、

諸悪の根元、連絡網。

ちがう?


さらに、週刊文春1月20日号「インフルエンザ予防注射は打っていけない」についてのコメント

2005-01-19 22:46:08 | 日々のわざ
週刊文春に掲載されている「インフルエンザ予防注射は打ってはいけない」という記事にちょっいとひっかかっていて、それについてのメモ。

反論したり、肯定したりする目的ではなくて、気になっている点のリストアップ。

まず前提として、インフルエンザ予防注射は「きかない」というのは事実。もしも、発病を防ぐことをターゲットにした場合、「きかない」というのは、もはや常識だと思う。
重症化をふせぐというのが唯一の効果として期待され、それが、特に重症化しやすい高齢者については「是非もので打て」というのが、今の厚労省の立場だし、また、国際的な公衆衛生共同体の立場でもある。例えば、WHOとか、CDCとか。
つまり、この記事は、日本の厚労省のデタラメデータを批判するものであるけれど、と同時に、国際的なインフルエンザ対策の方向性に逆行するものでもあって、それには「厚労省のデタラメ」以上の論拠が必要じゃないかと思われる次第。
CDCのサイトには高齢者への予防接種を勧める理由となっている、エビデンスがたくさん出ている。いちいち今論文をチェックすることも、また、その妥当性をぼくが判断することもできないけれど。
にもかかわらず、この記事には、国際的に動向にはほとんどふれておらず、厚労省のずさんなデータを批判するのみに留まっている。そこから一気に、国際的な動向への批判へは向かわない。
とにかく、基本的にはそういう部分でのひっかかり。

記事の冒頭で、予防接種の副反応(副作用)と思われる、二つのケースが紹介されているが、副反応の有無は、エビデンスで示すしかないのでは。予防接種のせいで喘息が悪化した、とか、その後発熱が一ヵ月続いた、といっても、予防接種しなくても、そうなった可能性を排除しきれない。個別の救済措置をとるばあいなどは、こういうのも含めて副反応として対処すべきと思うけれど、この記事の冒頭に持ってくるのは、むしろ、エビデンスだ。具体例が文章構成上必要だとしても、「具体例、プラス、エビデンス」だと思う。

同じく冒頭の「予防接種を打つ人が増えても、インフルエンザに罹る人が増えている」というデータ、インフルエンザの予防接種のキモは、罹るか罹らないかではなく、重症かするかしないかなので、ここで挙げるのは、不適当ではないか。

「副作用にによる死亡・重度障害者」の項目で紹介される、死亡・重度障害者は実数だけど、そういう紹介の仕方しかできないのか。ここでも、エビデンスとしては示せないのか。そいうデータないのかな。実数を示されても、判断はできない。少なくとも母数くらい知りたい。

ちなみに、ここで元国立衛生院疫学部感染症室長の母里氏の発言として、「子供にきかないワクチンがお年寄りに効くということはあり得ないはず」と記しているけれど、これって本当にその通りの発言なのだろうか。体の免疫が発展途上の子供と、完成後ゆるやかに衰えつつある高齢者とは、いずれも免疫の力が強くないので、同じくらいとみてよい、ということか。ちょっと首をひねる。
ちなみに、子供にはきかないけど、青壮年では効くワクチンは、よくあると認識している。

また、この項目でも、「罹る罹らない」が問題にされていて、重症化するかしないか、は問題にされていない。
罹る罹らないの問題なら、「効果ない」でとっくに決着がついているはず。

ちなみに、義務接種時代と、今のワクチンの製法は同じなのだろうか。
義務接種時代初期と今とはかなりちがうという認識なのだけれど、どうなのかな。

「精度の低い神谷データに依拠」の項目。
ここでは、はじめて、罹る罹らないではなく、重症かするかしないか、という部分での批判が出てくる。
近藤誠氏の発言として、「観念論で接種を推奨している」という主旨のことがかかれている。本当?
高齢者への接種となっている「神谷データ」も、CDCの文献も、調査条件の精度が低いとのこと。神谷データの方はなぜダメなのか書いてあるが、CDCの文献の精度の低さには言及されず。ぜひ、知りたいところ。

アメリカでも老人ホームなどで接種しても効果がないというデータが出始めているとのこと。
知りたい。具体的なナカミを。

ちなみに、アメリカのワクチンと、日本のワクチンは製法がどれくらい違うのか。
やはり同じに論じてはだめなんだろうな。
たぶん。

まあ、こんなところ。

いずれにしても、バシッと場当たり的じゃない調査をしなきゃだめだと思われ。


AERA「B型をいじめるな」のショートコメント

2005-01-19 18:37:22 | トンデモな人やコト
やっと読みました。全然寺さんありがとう。

読んで、クリアになったんだけど、ぼくが血液型の性格診断が「嫌い」なのには、二つの層があって、別々に考えた方がよさうそだってこと。

まず、血液型なんて四つしかないものに、性格の類型を押し込めるのって無理があるよってこと。
文中にも出てくる「たった一つの遺伝子に、大きな性格決定要素があるとは思えない」という意見をとても、説得力があると感じる。
つまり、血液型と性格の関連について、今の証拠で述べることは、かなり無理のある、時として(ほとんどの場合)非科学的なものだってこと。そういう違和感。

ついこの「非科学性」を言ってしまいがちなんだけど、実はそれほどこれは大事じゃない。
本当はもっと大事なことがある。
もしも、血液型によって性格が違うのだとしてもそれはあくまで統計的な差異、ニンゲン集団としての差異なわけで、それをもって、「あんたはこうだ」とか型にはめられたくないってことの方が大きいんだよなあ。

型にはめる言説や、型にはめる場所が、ぼくは嫌いだ。
本能的に嫌いになる。

日本人だからああだ、男だからこうだ、トーダイだからこうだ、元新人類だからこうだ。
ぜんぶ、イヤだね。
集団としてある個性を共有しているとしても、そういう型から入るニンゲン理解(個人としての)は受け入れられない。

また、型にはめる場所、例えば、学校なんて大嫌いだったし、教師も、上司もきらいだった。組織一般がダメ。本当にだめ。かりに上に立つ立場でも、居心地が悪い。
そんじょそこらの不登校児よりも、学校に不適応だった自信をあるものな。

たぶんこういうのと、ぼくの血液型性格診断嫌いは連動していると思われました。


「環境リスク学」についてのメモ

2005-01-19 17:17:57 | ひとが書いたもの
とても話題になっている中西準子「環境リスク学」。大変おもしろく読んだ。
最初に書いておくけど、この人の著作は一冊は必ず「読め」だ。
リスクセンスを養う上での基本。
たぶん、リスクセンスは、リスクに対するひとつのアプローチを知るだけでは身に付かない。だから、これだけではダメなのかもしれないが、とにかく、ひとつの「定点」を提供してくれる。

思ったことなどについて、簡単にメモ。

第一部「環境リスク学の航跡」が、本書のキモ。中西氏の横国大での最終講義がもとになっており、自身の研究歴が述べられている。
ぼくはリスク論の中西氏しか知らなかったので、下水道問題に深くコミットした研究者人生の前半がとても面白かった。
大規模な下水システムを構築するメリットがある人口密度を算定するやりかたなど、目から鱗。
大きな下水は最終的に直径の大きな「管」のかたちになって、管渠と呼ばれるのだそうだ。これは、ぼく自身の水系問題とも絡む。興味深い。

リスク論の前提となるひとつの考えとして、現在は、かつてのような「大きなリスク」「目に見える現実としてのリスク」が少なくなっているがゆえに、環境ホルモンやら、狂牛病やら、かつてなら問題にならなかった程度のリスクが目につくようになってきているという指摘。よく「最近はいろんな怖いモノがたくさんあって、リスクの多い社会だー」というようなことを言う人がいるけれど、大きなリスク(たとえば、幼児が感染症で死ぬリスク、女性が出産で死ぬリスクなど、昔はとんでもなく高かった)がなくなってきて、はじめてそういうものも目立ってきたのだ、と。そして、分かりやすく、バタバタ人が死ぬようなリスクでない以上、その評価の方法を考えなければならない時に、役立つのがリスク論。

誰もが使える物差しを作る作業。ということ。

でも、こいつはひどくやっかいなしろものでもあって、「なんでも計る」がゆえに、たとえはぼくらが依拠する「ヒューマニズム」というやつにも、抵触することがありえる。
公衆衛生政策として、一人の人間の命を救うのにどれだけのコストがかかるか計算することが常になるし、逆にそれをしないと、同じコストで何千人何万人の命を救うチャンスをみすみす逃すことにもなる。これはこう書いてしまうと、「命」をコストに還元する、すごく抵抗のある議論でもあるのだけれど、「今ほとんど人を殺していないダイオキシンの被害を限りなくゼロにするためには莫大な費用がかかり(どうしても費用対効果が悪くなる)、その一方で毎年10万人近くを殺している喫煙に対しては比較的「安価」にアクションを起こすことができる、ということ。
我々のリソース(使うことができるお金、労働力、時間など……)が有限である以上、こういう計量、評価、は必要なことなのだ。
実はぼくはこの考えにはとても「なじむ」ことができる。しかし、命の値段を付けるのがどうしてもイヤだという言う人が世の中にはいるらしい。だかこらそ、リスク論がどのような時に有効に機能しえるか多くの「素人」が知っておくのは大事だと思える。

さらに、リスクの比較にQOLなんぞを使い始めると(もちろんこれも時として「必要」だから、やらざるをえない)、「健常な人1000人の一年分の損失余命」と「体の不自由な人2000人の一年分の損失余命」などを比べなくてはならない局面に立たされることすらありえる。
これはもう、どうしようもない。我々か素朴に信じてきた、あるいは、ポリティカル・コレクトネスだと思いつつも信じることにしてきた、ヒューマニズムとの間で軋轢が生まれる。
こんな決断はしたくない。でも、しなきゃならなかったとしたら、どうしよう。
そんなところへ、リスク論は我々を連れて行く。

結局、リスク論が、不安の海の羅針盤であるためには、リスク計量の技術と、運用の技術の二本立てでなければならない。ってことなのだろう。
研究者である中西氏はリスク計量の技術を精緻化、あるいは適用範囲の拡大をはかってきたわけだけれど、「運用の技術」の方も、なんとかしなければ、だと思う。こういうのは、はたしてお役所に任せておいてよいものか。

第二部は、「多様な環境リスク」と題されていて、環境ホルモンやBSEなどについて論を張っている。環境ホルモンについては「さわぎすぎだった」と大枠での「社会的合意」ができていると思うが、今もホットなBSEについて論考がおもしろい。
これだけクリアな基準と提言があるなら、それをなぜ我らが政府は活用できないか。
今たまたま新書で「もう牛を食べても安全か」という本を買ったので、それを読んでからちょっと考えてみるとする。

あと、今読み返してみて、どこに書いてあるのか発見できなかったのけれど、日本の環境保護団体など、いわゆる市民団体は、「自分が為政者ならどうするか」という視点に欠けることが多いとの指摘がどこかにあって、まったくその通りだと思った。
我々の社会は、市民社会として、ちょっとねじれた成熟の仕方をしてしまったのだろうか。


影法師の長さが、すこし違う

2005-01-18 05:28:48 | きうらきら光ったりするもの
現在書店に並びかけているはずの、小説すばる二月号に短編「影法師の長さが、すこし違う」が掲載されています。

連作中の「都川リパブリック」もの(今、連作にコードネームをつけた)です。
これまでの作品の中では比較的小粒。
ほかの作品との関係の中で活きる部分が多い作品なので、これだけ読むとちょっと分かりにくい可能性があるのが反省点。

それと、この号では、白黒ながらグラビアで、「ぼくらは『川』に立っている」というタイトルのエッセイを書いています。
顔出ししてます。
なお、自分が写っている写真以外はぼくが撮ってます。

アイウェアな情報としては、目次なんぞで使ってもらったのは、Marsに赤偏光レンズをいれたもの。
グラビアページで着けているのは、Minuiteに「ブラウンにブルーミラー」という変なレンズをいれたものです。

後者とはともかく、前者は?ですね。
アイウェアのセレクトが、かなり違う、かも。

でも、いいのです。
本当にこれでいいのです。
Mars好きです。
なんたって火星っ子ですからね。

あと、余力のある人は、自力でぐぐって、小説すばるのサイト、行ってみてください。
笑えます。


Kaenon仲間をつくりたい!

2005-01-18 00:37:09 | きうらきら光ったりするもの
koreぼくが大好きなKaenonのスポーツラインの大定番Kore。
これをちょっとばかし買ってみました。オークリーのハーフジャケット的なシロモノで、ウリとしては、某超一流メーカーの偏光レンズが最初からはまっていること。ミラーがうっすらかかっているのもナイスなかんじです。あとポリカよりも強く、NXTでもない、最新の(?)が素材が使われている模様。少し前にeBayゲットしたものなんですが、そろそろデビューさせようかな、と。今週から水辺にはかならずこいつをしていくことといたしましょう。

実はカワバタはKaenonは「絶対来る」と疑わないわけですが、これまでのところイマイチ盛り上がりに欠けるわけです。ブレイクする前に旬がすぎちゃうのかと残念!このKoreなんぞ2003年のサングラス・オブ・ザ・イヤー(なんかの雑誌が選んだ)に輝いて以来の大定番なんですが、きっとほとんど知られてないでしょう。
そこで、今回、このeBayゲットに際して、余分に購入しておいたのですよ。
だって、仲間ほしいじゃない。

というわけで、アイウェアなみなさんで、欲しい方がいらっしゃれば個別に連絡くださいませ。
おゆずりします。日本での定価はないけれど、アメリカでの定価の半額以下で手に入れているので、水辺で遊ぶ人にはオススメですよ。だって、某超一流メーカーのレンズオンリーの値段よりも安いもの。

中野島あたりで直接顔を合わせる方なんかだと理想だなあ。
一緒にKaenonしようぜってことで。

え? 買いすぎた余剰品を放出だろって?
いえいえとんでもない。
仲間がほしいんです。
本当です。
本当だってば!


eBAYのトラブル

2005-01-16 22:33:09 | 日々のわざ
カワバタはeBayerです。
eBayというのは、ご存じの通り、アメリカのヤフオクのようなものので、歴史は長く、よりダイナミック。カワバタは、サングラスやら、デニムやらを、結構、買っているわけです。この前など、バーバリーのカシミア・マフラーを0.01ドルで落札したり、ラッキーなことも転がっております。

しかしっ、はじめてのトラブルが発生。
まあ、発生したのは去年の11月なんだけど、ここにきて、それが本格的にトラブルであったと判明しました。
ロンドンの売り手から買って、入金したジーンズ(3900円相当)が、送られてこない。
大変評価の高い売り手で(240の評価があって、そのうちネガティヴなのは1つだけ)、連絡をとったら「じゃあ、郵便局でトラッキングしてもらう」「届かなかったら返金する」などととても誠実な対応をしてくれていたのです。

ところがっ。
今からちょうど1ヵ月前のやりとり最後に、ぱたっとメールの返事が来なくなり、年末年始だし、いろいろ休暇にでも行ってるのかなと思って待っているうちに、これまでたくさん出ていた商品がすべて終了し、これまでプラスの評価だった評価欄が、ネガティヴ評価がだーっと続くようになり……、あゃーこれはやられた、となった次第。
どうも、eBayをやめるつもりで、評価の維持には興味がなくなったみたいなかんじ。

でも、こーゆーの悔しいじゃないですか。
3900円のため、というか、後学のために、ねちっこく追及する姿勢。
とりあえず、eBayのセキュリティセンターに報告。
調査が始まりました。
さてさて、どうなるか。

問題は売り手がイギリス在住ってこと。
これがアメリカなら、ネット犯罪に対する取り締まりが厳しくて、きちんとやってくれるそうなのだけど、ヨーロッパは一般論としてゆるいそうで……。

なんか進展があったら、また書くかもしれません。




河野義行さんの『妻よ!』を読んだ

2005-01-15 18:50:28 | ひとが書いたもの
松本サリン事件で、犯人扱いされてひどい目にあった河野さんの本。新風舎文庫。
ぼくの興味としては報道被害、および警察の見込み捜査あたりなので、同じ新風舎の文庫に入っている「新版松本サリン事件報道の罪と罰」を読まなきゃだ。

でも、この本でつくづく思ったのは、強い信念だとか、強いパーソナリティだとか、そういうのを持った人が、人とは違う生き方、生活習慣、言動を、貫いた場合、ひょんなことで、何かの犯人に仕立て上げられる可能性があるってこと。

河野さんはかなり独特の強いパーソナリティの持ち主。
それ自体、すごくまっとうなことなのだけれど、とことん貫くと「変人」になってしまうようなことってあるでしょう?
例えば、何年かつとめたら、半年休むとか、リフレッシュのことを考えればとてもまっとうなのに、我らの社会ではそれは変だってことになってしまう。

こういう人に、たまたま、容疑のかかる条件かいくつかそろってしまえば、「怪しい」に信憑性がまして、見込み捜査が過熱する。犯人は作られる、という仕組み。

ぼくは、小学生の時に、ちょっとした事件で、犯人に仕立て上げられた原体験があって、犯人は作られるってすごくリアリティがあるんだ。

河野さんは、信念を貫けちゃう人だから、疑われ、闘い、名誉回復した後には、今度はオウムに対する事件の時などに、捜査の行き過ぎや、報道の行き過ぎについて、きちんと意見でるようになった、本当に希有な人。
今まで間接的にしか知らなかったけれど、はじめてその直接的な「言葉」に触れて、ますますその希有さを、貴重なものだとかんじた。


悪魔のマーケティング

2005-01-15 02:17:30 | ひとが書いたもの
疫学者の津田敏秀さんらが翻訳した、タバコ関連本が出ます。
きょう見本が送られてきました。

「悪魔のマーケティング」日経BP社、2000円税+税

帯の文句は、

タバコなんざ、ガキや貧乏人に黒人、あとはバカに吸わせておけ??米国大手タバコ会社役員の発言
欧米タバコ産業の内部文書があきらかにしたタバコ・ビジネスのすべて。世界保健機関WHOも公式に取り上げた驚愕のドキュメント、ついに邦訳。

とのこと。
読みます、ぼくも。

ちなみに、今「環境リスク学」をやっとこさ読んでます。


郵便が……遅い!

2005-01-13 02:20:56 | 日々のわざ
最近、困ったことというと、郵便が遅い!こと。

以前は午前中に来ていたのが、午後遅い時間、それも平均5時過ぎなんですよね。
夕刊より遅いのは日常茶飯事。
きのうなんて、とうとう6時すぎ。

なんでなんだろ、と思って、郵便屋さんに聞いてみました。

回答。
人が減らされたため。
以前は二人で回っていたところが一人になった。

なるほど。
そういうことですか。
郵便局もコストカットで大変なのね。
納得。

いや、納得しちゃいかんだろ。
午前中に届く人もいるわけで、たまたまこのエリアが後回しになってしまうのは、どうにかならないものか。
だって、午前中に郵便が来るのと、夕方に来るのでは1ビジネスデイの差なわけで、一応、自宅でビジネスしているぼくにとっては、死活問題(ごく稀に)なんですよね。
たまたま住んでる場所が違うだけで、こういう不公平が生じるのはどうよ、と思うわけですわ。

じゃあ、たとえばね、一日交替に、逆ルートからまわるとかして、公平を期すなんてことはできないのかな。
なんて聞いてみました。

回答。
できません。
なぜなら、機械で郵便物を区分けするので、順番を変えるにはプログラムを変えねばならず、膨大なコストがかかるのだと。

むー。
困った。じゃあ、ぼくなんかは時々死活問題なだけだけど、会社なんかじゃ困るでしょ。
と人の心配をしてみたりもします。

回答。
いや、オフィスが多い地区は先に配るようにしてます。

おいおい、やっぱ、そういう差をつけられていたのか。
まいった。

いったいどうしたもんですかね。
郵便ってこれまで便利すぎたのかな。
たしかに、安いもんなあ。
民営化問題について定見ナシのワタシですが、はじめてその意味するところ、深く触れた気がする今日この頃です。




元旦チョコケーキ

2005-01-12 15:34:13 | 日々のわざ
冷蔵庫のタッパーの中にチョコケーキがあった。
ひとつだけポツリとあった。
淋しげだった。
食べた。

冷蔵庫の中で淋しげなやつは、食べる。
これ、鉄則だ。
じゃないと、古いものが溜まっていく。

食べてから気づいた。
これ、元旦に実家で食べたやつの残り、だ。

ま、いいか。
チョコケーキって長持ち、だよね??

はたしてどうなるのか。人体実験気分。