川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

「みんなのPTAを探して」のブログ版を紹介します

2007-10-30 20:56:45 | 婦人公論連載PDF
今、しのぶんの協力を得て、公開開始しているPDF版ですが、さらに専用ブログが開設です。


みんなのPTAを探して・ブログ版


管理人は、Pさん。
保育園の保護者組織を立ち上げるのに、この連載を参考にしてくださったそうです。


で、Pさんのブログはこちら。
連載のブログ化を買って出ていただいた経緯も、さっそく書いて下さっているので、パーマリンクも張っておきますね。


どろんこあそび
「みんなのPTAを探して」|どろんこあそび


Pさんとは、この件をめぐって私信をなんどかやりとりしていますが、目下、とりくんでおられる保護者組織が素敵なんです。以下、設立理念。


(1)【すべての園児のために】
本会は、会員世帯か否かを問わずすべての園児のために活動を行います。
「何かをしてもらう」ではなく、「何かをする」という姿勢を大切にします。

(2)【楽しく】
企画をする人、参加する人が皆で楽しむことが第一です。
楽しくない活動は、長続きしません。
楽しいと思うことをやり、楽しくないことは、さっさと止めてしまいましょう。
だけど、楽しくする努力は必要です。「楽しい」と「楽(らく)」は同じではありません。

(3)【できる人ができる範囲でやる】
会員は皆それぞれの都合の中で、活動に参加しています。
「できる人ができる範囲で活動する」を原則とします。
互いの立場や事情を尊重し、「できない」「やらない」ことを批難することなく、
「やってくれた」ことに素直に感謝の気持ちを持ちたいものです。

(4)【来るもの拒まず、去るもの追わず】
誰も何も強制されません。参加したいところに、参加したい人が参加してください。
参加したい企画が無いと思う方は、ぜひご自信で参加したい企画を立ててみてください。
いつも来る人も、たまにしか来られない人も、
同じように笑顔で向かえ入れるような雰囲気を大切にしたいと思います。





ぼくはこれを読んだ時、一瞬、「理想的」と思ったんですね。
しかし、そうじゃなくて、これは、基本です。
でも、基本を押さえることの難しさときたら!
すっごく刺激されました。



Pさんのところの保護者組織が、元気になかよく楽しく、子どもたちに豊かな体験をもたらすものになっていったらいいなあ。
心からエールを送ってしまう次第です。
うん、きっとそうなれる。


最新の画像もっと見る

17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今ぼんやりと思った疑問なのですが、 (サトヤマタヌコ)
2007-10-30 23:42:36
PTAとNPOって、どこが違うのでしょうか…?
PTAもNPOの一種と考えていいのでしょうか…??
返信する
PTAは、NPO法人ではないから、狭い意味での... (カワバタヒロト)
2007-10-31 09:00:02
でも、非営利団体だから、広い意味ではNPOですよね。単に、法的に認定されていないだけで。
返信する
レス、ありがとうございました。 (サトヤマタヌコ)
2007-10-31 14:48:28
今回は日頃から感じている疑問です。。


①PTA活動において、
「できる人ができることを」という言葉をよく耳にしますが、
「活発に活動するより静かに見守りたい。」と思う人はこの場合、どうなりますか…?


②活発に活動する人の中には
「やってあげているんだから感謝するのは当然よ。」
といった感じの人もいますが、
「特にしなくてもいいのでは…。」と感じることに対しても、
やはり感謝の気持ちを持たなくてはなりませんか…?
返信する
カワバタさん、過分なお言葉をありがとうございます。 (Pさん)
2007-10-31 16:16:55
こんな方針を掲げてはみたものの、実践するのはこれからで、本当にうまくいくのかどうか、今後が問われています。そういう意味では、なんか「おこがましい」なと小さくなってしまします。
もっとも、これが(すぐに、あるいは永遠に)実現できないからといって、しょげたり、方針を撤回する必要はないだろうとも思っています。これらは、確かに「理想」かもしれません。到達できない気もします。だけど、少なくとも向かうべき方向として掲げておくことに意味があると考えています。

さてさて、サトヤマさんの指摘。
(1)たぶん、サトヤマさんは「時間的、能力的に『できる(can)』人は、『やりたくなくても』やらなきゃならんのか?」と問われているのですよね。答えは否です。それは「できない人」ですよ。だって、やりたくないんだから。静かに見守りたい人は、見守ればいいじゃないですか。
(2)確かにボクは、「感謝の気持ちを持ちたいものです」とは書いていますが、これを「持て」「持つべき」と読まれたわけですね?
感謝の気持ちが、「強制されるようなものではない」という点では、ボクもサトヤマさんに同意しますよ。だから、「当然よ」なんて輩は、あまり褒められた考えではないと思います。
「持ちたいものです」は、「持ってくれたらいいなぁ」くらいのニュアンスですかね。願望です。何かしてもらって、嬉しかったり、楽しかったりしたら、素直に「ありがとう」と言う。強制されるべきではないけれど、ボクはそういう気持ちの人が多く存在する社会であって欲しいと思っています。

たぶん、サトヤマさんの疑問って、PTAに存在する「同調圧力」に起因しているんじゃないかと想像します。そして、きっとPTAに限った話ではなくて、複数の人間が関わっていれば、避けられない現象なのではないでしょうか。
ボクは、ウチの会を進めていく中で、この「同調圧力」を最小限にしたいとは思うけれど、皆無にはできないんじゃないかと考えています。
ただせめて、そのことに自覚的でありたいと考えています。

返信する
Pさん、レスありがとうございました。 (サトヤマタヌコ)
2007-10-31 17:46:55
同調圧力と言えば…。
こちらのPTAでは、前の学校のPTAと違って
クラス単位のPTAの他に、地区PTAというのがありました。
クラスと地区、両方から同調圧力がかかるようになっていて、
とても息苦しい環境でした。


Pさんのところは、その部分に注意されているようなので、
ちょっと安心しました。。
返信する
Pさんへ (まるお)
2007-10-31 18:55:22
****
何かしてもらって、嬉しかったり、楽しかったりしたら、素直に「ありがとう」と言う。強制されるべきではないけれど、ボクはそういう気持ちの人が多く存在する社会であって欲しいと思っています。
****
<ありがたい>ときに、「ありがとう」と言うのは、ごく自然なことです。
問題は、<ありがたい>と思えるかどうかです。
「設立理念」やPさんのお話には、このあたりの微妙なところが飛ばされているようにも思いました。


****
「やってくれた」ことに素直に感謝の気持ちを持ちたいものです。
****
「設立理念」にこのように書かれたら、それは個人の願望を超えて、「あるべき姿」を指し示すものになるのではないでしょうか。


「婦人公論」でも確かとりあげられ、かく言う私も躓いた問題ですが、旦那の実家からの贈り物が、嫁にはありがた迷惑となることがあり、往々にしてトラブルの元になるそうです。
この嫁姑問題は、PTA問題を考える時に参照すべきことのように思っています。
返信する
ああ、そうだ。 (カワバタヒロト)
2007-10-31 20:38:01
ここには書かなかったけれど、Pさんのところの保護者組織は、任意加入で入っていない人も今のところ2、3割いるんです。
その情報を織り込んだら、印象はかわりますか?
それとも同じ?
>まるおさん、さとやまさん。
返信する
そうでしたか。 (まるお)
2007-10-31 21:32:21
以前、「任意加入を徹底したかったが、難しいようだ」というPさんのご発言を聞いたような気がして(記憶違いかもしれません(汗))、「全員加入」を前提に読んでおりました。
任意加入なのですか。
それはすばらしいことですね!
それなら、印象は、かなり変わります。


でも、何を<ありがたい>と思うかはひとそれぞれだというところは、ご一考いただきたいなと依然思っています。
返信する
※以下、上のカワバタさんのコメント投稿前に、書い... (Pさん)
2007-10-31 21:48:46
風呂に入っている間に、任意加入の件を明らかにしていなかったことに気付いたら、カワバタさんからフォローが入っていました。ありがとうございました。
で、以下本文。


>まるおさん
まず最初に、「設立理念」と紹介されていますが、原本では「運営方針」と表現しています。まあ、似たような意味だし、厳密に定義しているわけでもありませんが。


さて前半なのですが、<ありがたい>と思えるかどうか、すなわち感謝の気持ちを持てるかどうか、ですよね。その点については、強制されるべきものではないと、書いた通りです。
「何か」に対して、<ありがたい>と感じる人もいれば、<迷惑>と感じる人も居る、その点はもはや仕方がないと思います。
ただ普通は何かを企画したりするときに、「楽しんで欲しい」「喜んで欲しい」という意図があると思うのですが、それって「ありがたがって欲しい」と表裏一体だなぁ、とこれを書いていて思い当たりました。う~ん、そのあたりは解釈が難しいですね。今のところ整理しきれていません。


さて、「個人の願望を超えて~」のご指摘、ごもっともです。この方針を書いていたとき、どのような表現にするか、実際に気になった点です。多くの人たちに読んでもらうために、冗長になりすぎず、直接的な表現をしたために、押し付けがましいものとなってしまったかもしれません。
正確な意図を的確に、短い文章だけで表すことは本当に難しいと感じています。


サトヤマさんや、まるおさんが懸念されている「問題点」は、ボクなりに理解しているつもりだし、それを避けたいと考えています。しかしそれを本当に完全に避けることができるのか、今でも自信はありせん。
しかし、「問題」を避けるために枠組み(ここでは、保護者会)自体を無くしてしまおうという気はありません。たとえ「問題」を皆無にできなかったとしても、ほかに評価すべき点があると考えているためです。


上のコメントで、ボクは「自覚的でありたい」と書きました。また、サトヤマさんからは、「その部分に注意されているようなので、ちょっと安心しました」とのお言葉をいただきました。
たぶん、とりあえずできることは、その「問題点」を孕む危険性について、参加者が思い至るようにすることのように思います。
ただ、ここで書いているような(理屈っぽい)言葉が、全員に受け入れてもらえるとは思えず、そのあたりに工夫が必要だと感じています。
返信する
私は「人それぞれ」を認めていただければ (サトヤマタヌコ)
2007-10-31 22:43:15
何の文句もありませんです。はい。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。