川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

「瞳を閉じる」ことについて、その歴史のまとめ、です

2005-03-13 17:56:21 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
まとめます。しのぶんやHoly Grailさんが調べてくださったことなども入れ込んで、「瞳を閉じる」という用例の起源を探すと……。

まず大正時代に、小説で「瞳を閉じる」用例があるようです。

素木しづ『青白き夢』(大正4年)
「……彼女は、目の前に黒い影をチラと見たまゝ、又瞳は自然に閉ぢられて行った」

菊池寛『青木の出京』(大正7年)
「……が、今でも意識して瞳を閉じると、その女の顔が(略)記憶のうちに蘇ってきた」

この場合あきらかに「目」の意味で使われており、「ひとみ」ではなく「め」と読まれていた可能性もあります。
このあたりのこと、詳しい方いらしたら、是非教えていただきたいです。


さてさて、歌の中で「瞳を閉じた」のは、橋本淳氏。

ブルーコメッツ「青い瞳」(昭和41年)
ヴィレッジ・シンガーズ「瞳をとじて」(昭和42年)
ザ・タイガース「銀河のロマンス」(昭和43年)
ヤンガース「恋を教えて」(昭和44年)

といった曲でその表現を使い、いっきに日本語歌詞の中で、「目を閉じる」の詩的表現として「瞳を閉じる」を一般化させました。
ちなみに、ヴィレッジ・シンガースの「瞳をとじて」は、「亜麻色の髪の乙女」のカップリング曲。

さらに、ぼくなんかの世代にとって決定的だったのは、
荒井由美の「瞳を閉じて」(昭和49年)だってたってことになるでしょう。

以降、この表現は、本当に嫌になるくらい、「歌詞の中」「広告の中」でだけで使われる詩的表現として、かなり無批判なまま継承され、きょうにいたるわけです。

以上、まとめ、でした。

なぜこんなことを書いているのか、ぴんとこない方には、こちら過去ログをどうぞ。

リヴァイアさん、日々のわざ: たのむから瞳は閉じないでほしい
リヴァイアさん、日々のわざ: 「青い瞳」が起源なのか


近視矯正をめぐって、調べたこと。その3、PRKについて

2005-03-13 17:06:00 | きうらきら光ったりするもの
今の近視矯正手術のファーストオプションはレーシック、ということになっています。

角膜を薄くスライスしたものを蓋(フラップ)として残し、その内側にレーザーをあてて角膜の屈折率を変える、と。
痛くないし、翌朝目が覚めるともう視力が出ている、画期的な手術、ということで、今後もファーストオプションとして扱われるでしょう。

でも、このフラップというのは、のちのち再接着するとはいうものの、完全にくっつくわけでもなく、交通事故などで強い衝撃がかかるとずれてしまうという報告があるそうです。特に最初の1年くらいは気をつけなきゃならない。
そのあたりが嫌だなあと思って、ほかのやり方に興味を持ったのですね。

角膜と水晶体の間に眼内レンズを入れるやり方は、現在のところはレーシックでは矯正不可能な強度の近視の場合にのみ薦められるようです。もっとも、レーシックで問題になる見え方の質の低下(暗いところで見えにくかったり、まぶしさを感じやすくなったりする)も、眼内レンズを使えば起こらないので、今後、もっと普及する術式かもしれません。
とはいっても、ぼくがこれを選ばなかったのは、水晶体というデリケートなものの前に直接レンズを置くことの影響がまだよく分からないから。白内障になりやすいのではという懸念を抱く眼科医もいて、これもやめておこう、と。

結局、選んだのはPRKと呼ばれる手術です。
レーシックのようにフラップは使わず、角膜の表面に直接レーザーをあてて、屈折率を変えます。
角膜を保護している表面の層ごといったんはなくなるので、術後三日間は痛いというのが問題なのですが、フラップを作らずに済むというのが大きくて、まあ三日くらいならがまんしよう、と。

より正確には、epi-PRKという術式。
でもまあ、これはそんなに本質的な問題ではないです。
今、ちゃんと見えている目にメスを入れる(レーザーをあてる)わけで、多少の「痛さ」と引き替えにリスクが減るなら、そっちを選ぶというかんじて、レーシックではなくPRKにしました。

すでに予約済み。
手術を受けたら、人柱報告、する予定です。