川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

台風の夜

2004-10-08 22:08:11 | 日々のわざ
ぼくが子供の頃、すごく大きな台風が来て、父と母は我が子をテーブルの下で寝かせたそうです。

きょうさっき、ねんねする前に、子供たちがいっしょうけんめいてるてる坊主をつくり、それを部屋の中に張り付けました(ひもがなかったので、セロテープで貼り付けた)。台風に勝てるてるてる坊主って、そう簡単にはいないだろうと思いつつ。

子供が小さい間、自分の子供の頃を生き直している感覚がすごくあります。
守りつつ、守られていたことを思い出します。

湿度が高いと、気分もしんみり。


やっぱ、色気でしょ。メガネナカジマを紹介します

2004-10-08 16:50:56 | きうらきら光ったりするもの
CIMG0592ここのところ、ぼくの「きらきら光ったりするもの」、つまりメガネ、サングラスまわりで、非常にお世話になっている、メガネナカジマです。逆光でまともに撮れてなくてゴメンですが、さりげなくとまってるピンクのマングースがナイスでしょう? ちなみに、自転車乗りのメッカ、タマサイはすぐ近くです。
このお店でなにがすごいかというと、スポーツカーブ、通常カーブを問わず、ガンガン、オリジナルレンズを作ったり、あるいは、既存のナイスなレンズを紹介してくれたり、「提案型」のお店ってことなんですね。
こんなんできますけど、どう? という引き出しがたくさんあって、ぼくはその中で、「レンズ系」なところにはまっています。フィッティング系という大事な要素もあるんですが、これはスポーツする人にとって、より大事な要素。

CIMG0591そして、こちらが、ナカジマ店長とカワギシ(敬称略)。あ、左が店長で、右がカワギシです。あとドラゴン君という子(?)がいるのですが、いまだたくさん話したことはないです。いずれにしても、やる気も、茶目っ気も、色気も、山っ気もある人たちです。
というわけで、彼らの周りには、アイウェア好きのコミュニティがざっくりとできております。これもまた、キーワードですね。
これからも時々、ナカジマリポートをします。
オリジナルレンズなど、今季の新作、興味津々ですからね。


あと、ウェブサイトは、こちら↓

メガネ ナカジマ


血液型は悩ましい。

2004-10-08 02:42:08 | 日々のわざ
ちゃんと見てないんだけど、テレビで血液型バラエティみたいな番組をやっていて、性格はもちろん、ダイエット方法すら、血液型によって違うのだみたいなことを堂々とオンエアしてたみたいで、脱力。

ぼくは血液型の話になると、えらく、居心地悪いのですよ。
学生時代から、そういうことで盛り上がってる女の子に血液型を聞かれると、「じゃあ、なんだと思う?」と聞き返してみたりするわけです。
するとたいてい、最初はA型か、ABと言われることが多くて、その次にBのこともあれば、Oのこともあれば……というふうになります。
ちなみにぼくはOです。
Oが最初から言われることは少なく、三番目か四番目が一番多い。
それで、そのことが判明すると「そっかー、言われてみればOだよ」とか、「隠れO」とか言われて納得されるわけ。
そんな、四つしかない類型の中で、三番目とか四番目にならないと当たらず、なおかつそのぬるーい精度が容認されちゃう判定法、なんて意味ないっしょ。
というようなことを、言ってしまうものだから、リクツっぽい人になっちゃったりするのでした。

「類型」で人を見るのって、我々の日常生活の中では必要なことで(いちいち各人のディテールに降りていられないから)それはそれでありなんだけど、あまりに、安直で、わかりやすすぎて、なおかつ、現実的に「使えない」ものが、こうも大手を振っているのってやなかんじー、ですわ。
実際、血液型による性格の違いなんで、ぼくは感じたことがないし、日常レベルで全く関係ないと言い切れるよ。なおかつ、血液型と性格の関連をサイエンスが実証したことは一度もないとも聞いてます(違う、という人がいたら、論文おしえてください。日本語か英語なら読みます)。

でも、我々の文化には、どうやら、血液型類型についてのほとんど信仰めいた確信が根付いているよね。
たとえは「わたしは、AB型だしー」と、自分の性格を、あらかじめあるAB型的な類型に鋳込む形で、人格形成する人までいるんじゃないかと思えるほど。周囲も、「あの子、ABだしー」と認めたりするしね。

まとまりませんが、悩ましいです。
あ、星占いなんかも同じです。


静かな夜

2004-10-08 01:14:15 | 日々のわざ
きのう、おととい、と、宵の口からなぜかやたらとアクセスカウンターがまわり、なんとなくマツリ状態だったのですが、きょうは静か。
集中してお仕事できそうです。
いやいや、きのう、おととい、みたいなのも、別の意味で疾走感がありましたけどね。
その時に書いた文章って、たとえば、きょう書いたのと微妙に違うかもしれません。