こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

王であるキリスト(ヨハネ18:33b-37)王であるキリストのために部下は戦う

2018-11-24 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/181125.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2018/11/25(No.973)
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王であるキリスト
(ヨハネ18:33b-37)
王であるキリストのために部下は戦う
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年間最後の主日「王であるキリスト」の祭日を迎えました。来週からは待降節で、新しい一年が始まります。ついでの話ですが、来週の待降節以降葬儀が入った場合、守るべき祭日・待降節・四旬節・復活節の主日はミサを伴わない「ことばの祭儀による葬儀」を行うことになります。ご協力をお願いします。

最近太ったなぁと実感する出来事がありました。バイクを動かすためにヘルメットを装着しました。するとほおがヘルメットの中で圧迫されて、非常に窮屈だったのです。顔に肉が付いて、窮屈になっていました。

ヘルメットはいちばん大きなサイズを買っているので買い換えることはできません。そこで安全の保証はできませんが、ヘルメットの内側は発泡スチロールなので、内側を金づちで均等にたたき続けます。すると発泡スチロールが潰れて、隙間ができ、少し楽になります。

ここで考えたのですが、ヘルメットの内側をたたくとヘルメットの安全性が犠牲になりますから、ヘルメットではなく、私の頬を金づちでたたいたら、ヘルメットの中で隙間ができるのではないか。そう思って金づちを手に取ってみたのですが、思い直しました。一月の駅伝大会にひょっとしたらまた声がかかるかも知れないので、顔がもう少し小さくなるように、努力しようと思っています。

さて今日与えられた福音朗読の中で、「わたしの国は、この世には属していない。」(18・36)という言葉に目を留めました。この言葉だけで、イエスの御国があること、そうであれば、イエスの御国に属している人々もいることになります。そこから考えて、では私はイエスの御国に属している人間なのだろうか、という問いもわいてきます。

ピラトの前でイエスは「わたしの国は、この世には属していない」と言い切ったので、ピラト自身もイエスの御国に属していないことを突きつけられ、態度決定を迫られています。その場ですぐにイエスの御国に属する人間となることを選べば、ピラトはイエスをユダヤ人に引き渡さなかったことでしょう。

実際イエスは、「もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。」と言っています。ですが実際には、その場でイエスがユダヤ人に引き渡されないように戦った人は現れなかったのです。

ではイエスの御国に属する人間が誰もいないということなのでしょうか。そうではないと思います。イエスが十字架への道を歩む中で、イエスの元を離れなかった人々、イエスの仲間に加えられた人々がいたからです。ベロニカという女性、マグダラのマリア、イエスの愛しておられた弟子、何よりもイエスの母マリア。こうした人々は、王であるキリストがお選びになった道を最後まで離れなかったのです。

また、イエスの代わりに十字架を背負ったクレネのシモン、一緒に十字架にはりつけにされたうちの一人もまた、王であるキリストの道を共に歩んだのです。いったんはイエスから身を隠した他の弟子たちも、あとでは王であるキリストの道を自分たちの選ぶべき道と思い直し、使命を全うしました。

では、私たちは王であるイエスの御国に属する人間なのかと問うてみたいと思います。イエスの御国に属する人間は、信じない人の手にイエスを渡すまいと戦う人です。わたしはイエスが引き渡されようとしている時に、このような態度を取ることができるでしょうか。

ではイエスが引き渡されようとしている場面とは何でしょうか。私たちの周りで、あからさまに不正が実行されようとしているとしましょう。それはまさに、イエスが悪を行う者の手に引き渡されようとしている場面です。そうした場面で私はどれくらい不正と戦おうとしているでしょうか。

不正行為、悪口、嘘、いろんな場面を見たり聞いたりしながら、戦おうとしないなら、そのたびにイエスは悪を行う者の手に引き渡されているのではないでしょうか。私たちは時代や場所は違っても、ピラトの前に立たされている王であるイエスに、自分が御国に属している人間であると証明する必要があると思います。

私たちキリスト者が、王であるイエスを、悪意ある人々や信じない人々に引き渡さないと言葉や態度で努力する時、私たちは今の時代にあって御国に属する国民です。イエスの教えに反すると言って、イエスを引き渡さないよう努力する。弱さや力不足を認めながらも悪の力に抵抗する時、神の国は今ここに存在しているのです。

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‥次の説教は‥‥
待降節第1主日
(ルカ21:25-28,34-36)
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ちょっとひとやすみ
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▼月曜日。ある韓国巡礼団が「ミサのために同行して来る予定の聖職者が来ることができなかったので、現地の主任司祭にミサをして欲しい」と案内所に依頼が入った。結論としては引き受けなかったので、その巡礼団には申し訳ないことをした。
▼いよいよ、勉強している韓国語でミサをする日が近づいているのかも知れない。実はオリジナルの韓国語ミサの本を、まだ二頁くらいしか直読直解できない。勉強そのものは韓国人司祭に指導いただいて一通り終わっているのだが、まだ「ミサ聖祭を終わります。行きましょう主の平和のうちに。神に感謝」ここまで韓国語で終わることができない。
▼せっかく指導いただいた韓国語のミサだし、韓国からの巡礼団はひっきりなしにやって来るのだし、これ以上の環境はない。与えられた機会を逃せば、勉強したことも無駄になりかねない。
▼そういうことで、せっかく勉強した韓国語のミサ儀式書を、何かの形で公開していこうと思う。そうやって、自分の勉強したことの再確認と、進んだ部分までは決して後戻りしない、その決意を表そうと思う。
▼勉強を指導してくださった韓国人神父様の恩に報いるためにも、半年後「五月連休後」あたりを目標にして、韓国語ミサ儀式書に沿ってミサができる日本人司祭デビューをしたい。誰も興味ないかも知れないが、それでもゴール目指していこうと思う。

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今週の1枚
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第580回目。日本シリーズが終わった時から、一年は始まっている。長い一年が。

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† 神に感謝 †
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