Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

「愛」の虚偽 

2008年03月24日 12時12分27秒 | Weblog
 近代日本人の発想の諸形式 所収
「近代日本(きんだいにほん)における「愛(あい)」の虚偽(きょぎ)」

西洋の考え方では、他者との組み合わせの関係が安定したときに心の平安を見いだす傾向がつよいこと、東洋の考え方では、他者とのまったき平等の結びつきにういて何かの躇(ためら)いが残されている・・
孔子の「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」という言葉を他者に対する東洋人のもっとも賢い触れ方であるように観じる。他者を自己のように愛することはできない。我らのなし得る最善のことは、他者に対する冷酷さを抑制することである、と。
140

「してもらいたいことを人にしろ」という命題と「してもらいたくないことを他人にするな」という命題が前提とする思想に違いがあるという洞察については、著者の慧眼であろう、しかし、彼のいう、キリスト教圏における、男女・夫婦の愛というのは腑に落ちない。
一解説によれば、
愛は「自己に対するときのように、他者に為す」という不可能への挑戦です。敢えてそこに近づくために、キリスト教では「神」という唯一で巨大なものを前にします。その前に立てば、隣人は自分と似ることができ、自分と同じ立場にあることができるという論理です。リンク

と言うことなのだそうだが、しかし、キリスト教圏において男女・夫婦にそのような愛を求めていたかどうかは定かではない。
確かに、結婚の誓い において、一生できることがないような誓いをし、それについての虚偽を云々するのは結構な話であるが、かといって彼らの愛の実情が彼が推定していたようなものであったかどうか?
 因みに、著者は、日本人にとっての男女間の関係というものは、
。それは「惚れること」であり、「恋すること」、「慕うこと」である。しかし、愛ではない。性というもっとも主我的なものをも、他者への愛というものに純化させようとする心的努力の習慣がないのだ。近代日本(きんだいにほん)における「愛(あい)」の虚偽(きょぎ)

ということなのだそうである。では、西洋ではどうだったのか?
We have moved from a time when marriage was important just for our sheer survival. The first evolution of marriage was meant to aid in continuing our species in a somewhat safer environment from that of a lone woman being impregnated by a passerby, then left to give birth by herself in a nest of leaves under a bush somewhere. Both the woman and child were in extreme danger, vulnerable to whatever came along, be it weather, beast or another human. Meanwhile, the lone passerby who impregnated the woman may have met his demise as well, by running into another, stronger human.

Together, marriage gave couples back then a better chance of making it through at least to their children's independence. Together they found shelter, fire, food and water - and defense against others.

From there we moved into marriages of convenience. These were arranged marriages, from the poorest of society to the highest bred. The poor married not only to combine together whatever meager ownings they had, but also to connect with whomever was most convenient geographically. The highest bred arranged marriages to combine wealth, landholdings and armies.

Love in these marriages was not even considered. Oh, it was an asset some thought in the wealthy set, while most others thought it a hinderence to accidently fall in love with one's wife. There were mistresses for that sort of thing. Here and there in history one finds an arranged marriage where love successfully existed, such as that which developed between King George III and his German wife. But such marrieages were novelties of sorts, rare enough to become fodder for romantic novels. リンク

西洋においても、結婚というものは、男女に社会生活の生存における実利的な共同体であったし、また、富を増やす方策でしかなったので、愛なぞというものは考えられてもいなかった。愛が語られる結婚などというものは、ロマンス小説でたまに現れる位だったのである。
 偶然ネットで拾っただけだから、なんだが、それが実情だろう。
(西洋人の考える愛に様々な点については、例えば、 Conditions of Loveを参照。また、愛に関する理論については、以前に記した記事
なども参照。)
 愛についての観念が東西問わないなどというつもりはないが、 どうもハーレクイーンロマンが実在すると錯覚するのはうら若き女性だけではなく、西洋に惚れた一部日本のインテリも同じらしい。

きっこのブログ

2008年03月23日 14時37分34秒 | Weblog
きっこのブログ二つのビデオを紹介している。
イラクで一つ目は劣化ウラン弾のによる被害のビデオ。
二つ目は白人は死ねの歌のビデオ。
結論は、
史上最低の売国奴、モリとコイズミとアベは死刑にすべし

 当たり前のことを当たり前に評論しよう。

劣化ウラン弾についてはもちろん問題は指摘されている。これについて実証的なデータに基づいて米軍を非難すること、これは正当な言説である。
白人死ね死ね、の歌は人種差別的ヘイトスピーチ以外のなにものでもない。
The white man call himself civilized
Cause he know how to take over
The white man come to pillage my village
Now he tell me I have to bend over
Oh yeah, kill all the white man
No I don't like the white man up in me
He rape my people as he rape my country
Everything I love and cherish, he try to take away
We will be rid of him, soon come the day
Oh yeah, kill all the white man
Oh yeah, kill all the white man
Oh yeah, kill all the white man
Oh yeah, kill all the white man NOFX - Kill All The White Man リンク

こんな歌をブログ人気ランクの高い自称、社民党支持ブロガーが自分の論説の根拠に使って使っているとは・・・・気がふれたのか?


チベット問題に沈黙する輩

2008年03月23日 04時30分43秒 | Weblog
  その産経新聞はチベット問題で全紙を埋め尽くしている。あたかもチベット問題が最大の国際問題であるかのように。なぜか。それは中国叩きの格好の材料となるからだ。中国たたきこそサンケイの売りなのだ。

  私はチベット問題についてこのブログで詳しくは書かない。なぜならば情報不足であるからだ。断言できるほどの意見を持ち合わせていないからだ。しかし次の事だけは言える。

  およそ人権問題であれ民族自決問題であれ、これは世界中で常に問題になる厄介な問題である。そして人権抑圧や少数民族弾圧は許されるものではない。

  しかしある国の人権問題や民族、宗教問題に国際社会が介入する時、そこには公平性がなければならない。政治的道具に使われてはならない。

  突然起きたチベット問題は、産経新聞の如く中国を批判するだけで済ませるには、あまりにも大きく、不透明な国際問題であるのだ。天木直人のブログ

 多少がっかりした。外務省や小泉首相に対する愚痴が多いとはいえ、中東問題など、私の知らない視点から斬新な意見を述べられていたが、チベット問題に対する彼の態度には失望した。
 私もチベット問題について中国を非難するなかに、そもそも反中勢力が声を大きくすることは承知している。しかし、だ。問題は、反中とか、中国バッシングとかいうことではない。
 歴史的にチベットが弾圧された民族であることは、今回の件がなくてもあきらかだろう。
 今回の件に関しても、中国政府が銃をむけ犠牲者が出ていることは中国も認めている。
 情報はある。死体の写真もある。しかも、それを虚偽だとする理由もあまりない。
 仮に情報不足というなら、なぜ、情報不足なのか、がまた問題になる。中国が外部からの調査を拒否しているからであろう。あえて、調査を拒否する政府が提示する情報を信じる理由があるか?
 国際的に、確かに他国でも人権侵害がまかり通っている。天木氏の携わっていたパレスチナなども惨憺たるものだろう。それに関して、より多くの日本人が怒りの意思表示をすべきである、というならそれは賛同できる。しかし、それとこれとはまた話が別だ。仮に天木氏の論理でいくなら、「パレスチナ?どうでもいいじゃないの、チベットでも人権侵害があったし・・・」ということになる。
 自国で是正できないような大規模な人権侵害があったときこそ、国際的な政治問題にすべきであり、国際的な圧力が必要なのである。それが国際社会の役割というものではないか。
 今回の件は、情けないといえるほど、武力をもたないチベット人が中国が侵略したチベットで装甲車と多数の中国人兵士により、虐殺され、拘束され、弾圧され、その情報を中国政府がひた隠しにしているのである。日中友好もいいが、しかし、政争の具にするな、というのは聞いてあきれる、としかいいようがない。問題にしないことこそ、中国の不当な政策を神聖視して政争の具にしているのではないか?
 
 東京では、中国大使館の前で900人のデモがあった。中国国内からも批判がでてきている、という。

 中国の不当な反撃を慮んばかって、ひたすら沈黙をまもる日本の進歩的知識人を私は理解できない。
 





アメリカはなぜNATOアジア版を推進しなかったか?

2008年03月23日 03時43分15秒 | Weblog
Why is There No NATO in Asia?ネットで拾った。
なぜ、アメリカはアジア版NATO
を推進しなかったが。
これまでいろいろ説明はされてきたが、どれも不十分であり、結論的には。
Perceptions of collective identity, we argue, played an underappreciated role in this decision. Shaped by racial, historical, political, and cultural factors, U.S. policymakers saw their potential European allies as relatively equal members of a shared community. America’s potential Asian allies, in contrast, were seen as part of an alien and, in important ways, inferior community.

という。
要するに、アメリカの政策策定者はヨーロッパの同盟を共通の平等な共同体とみなしたが、アジアの同盟は、部外者であり、劣等な共同体としかみなかった、ということ。
U.S. ofŽ cials believed that, despite
current disparities in capabilities due to the ravages World War II had in� icted on Europe, their European allies would soon rebuild their strength, while their Asian allies would remain permanently weak.

戦後ヨーロッパもアジアも惨憺たる状況だったが、アジアは弱体のままだが、ヨーロッパは直に回復するだろう。

As Dean Acheson saw it, the threat to which NATO responded
was posed “not only to our country but also to the civilization in which we live.” “To understand this threat,” Acheson continued, one had to “go back more than 2000 years, to the very beginning of Western ivilization.”46

NATOに対する脅威は「われわれ」の文明に対する脅威とみなされた。
U.S. policies in both
regions become less puzzling. Once the North Atlantic was constructed as a region that put the United States in a grouping of roughly equal states with whom it identi ed, multilateral organizing principles followed closely.

Once Southeast Asia, in the view of U.S. policymakers, was constructed as a region composed of alien and, in many ways, inferior actors, bilateralism followed closely.

ヨーロッパは多国間の組織を作るに値するほど信頼できたが、アジアとはそうした信頼がないから、2国間での条約しかできんかった。
In his testimony in support of NATO,
Clayton explicitly linked his support of closer U.S. and European relations to racial grounds in addition to cultural ones. He argued that “my idea would be that in the beginning the union would be composed of all countries that have our ideas and ideals of freedom and that are composed of the white race.”86

我々と同じ考えと自由への理想、そして白人からなる国家からの組織だからこそNATOを支持する、と。
Part of what made dealing with Asians rather than Europeans
attractive to Asia-Ž rsters was the sense that backward Asians could still be saved under American tutelage.102 Asians were viewed as “barbarian but obedient,” and Asia was thought of as “a region of vast resources and opportunities, populated by dutiful and cringing peoples who followed white leadership.”

アジア支持者がアジアを支持する理由はというと、アジアはアメリカの保護において救われる望みがあり、アジアは、野蛮だが、従順であり、資源や機会にに満ちているし、白人を支持してくれる義理堅い人が多い、と。
ーーまあ、これなんぞ有道くんの意識やろな。

there is a long tradition in U.S. foreign policy of dividing the world into a racial hierarchy, with the United States and Great Britain at the top, followed by other European peoples, and with Asians, Latinos, and Africans further down the list.110

英米、欧州人、アジア人、ラテンアメリカ人、アフリカ人という人種のヒエラルキーがアメリカの外交政策にはある、と。


 まあ、個々のアメリカ人が人種差別主義者かというと、そうではない。ほんまにいい人々が沢山いるわけだし、人種差別の歴史があるからこそ、反人種差別の意識も強い。その一方根強い人種差別意識があり、それが外交にも影響することもある、ということは知っておいてよい、と思う。

 要するに、アジア版NATOができなかったのは、アメリカにとってアジアは劣等で「われわれ」という共通の自己意識を共有できなかった、と。

 翻って我々日本人もアジアにおいて、同盟関係を結ぶさい、共通の何かを掲げたほうがよい。反米・反西洋は受け入れられやすいだろうが、生産的ではない。自由・人権・法の支配などでもいいが、それに加えて、アジア的な象徴がほしい・・・・・なんかいい宣伝文句ないかな?






アメリカの差別

2008年03月22日 21時02分49秒 | Weblog
更新Economist
が米国の黒人差別についての記事をかいている。魚拓
オバマ大統領候補とその心の師とも言われるライト氏との関係が取りざたされ、その弁解での発言

We would be making the same mistake that Reverend Wright made in his offending sermons about America - to simplify and stereotype and amplify the negative to the point that it distorts reality.
ライト氏の不愉快な説教と同じような誤りを犯してはいけません。彼の説教はアメリカの否定的側面を単純化・定型化・誇張しておりました。
March 18, 2008
A More Perfect Union
Barack Obama
wiki

という部分があるが、有道氏と同じやな。ライトさんも罪作りをしたものだな。
ところで、調べてみると、例えば、米豪の差別では格段の差がある。


By Matthew Bigg

ATLANTA (Reuters) - Black Americans still trail whites on such basics as income, education and health, a study showed on Wednesday, even as Sen. Barack Obama's barrier-breaking run for the presidency has renewed the national focus on race.

Across a range of economic indicators including measures of employment, poverty, housing, income and wealth, blacks were much worse off than whites. If whites scored 100 percent on such measures, blacks scored just 56.8 percent, a figure unchanged from last year, the National Urban League said.

On a broader index covering such issues as education, health, social justice and civic engagement, blacks stood at 73 percent, an increase of just 0.41 percentage points over last year, the league said.

Three times as many U.S. blacks as whites live below the poverty line, defined as an income of $20,000 for a family of four. The disparity between the races on unemployment narrowed slightly, but blacks were still twice as likely to be jobless.

The report, one of the most comprehensive on the subject, addresses more than 300 separate categories, which it uses to come up with an overall equality index.

"The disparities between black and white Americans remain consistent, nagging and substantial," League president Marc Morial told Reuters.魚拓


The average household income for Indigenous Australian populations is 60% of the non-Indigenous average

White Australia policy

 ニッポンの差別がないとはもちろんいわない。しかし、例えば、所得格差をみると、日本では被差別民との所得格差がかなり縮まっているのに対して(但し、男女格差はある)ニッポンの差別5,米豪では被差別民は非被差別民の6割程度しか所得がない。
 
 日本を差別国家だ、なんていうやつは、日本が西欧よりも進んでいるはずがない、というアジア蔑視の偏見で凝り固まった奴やろうな。
 

チベット問題ーーー日本の対応

2008年03月22日 02時34分33秒 | Weblog
チベット問題、対応苦慮する福田政権

ばかだね。毒餃子問題にせよ、チベット問題にせよ、中国に遠慮して何か得るものがあったのか?本件について厳しい発言をすることで失うものがあるのか?もちろん、中国は、本件と違う案件をごっちゃにして脅しをかけるだろう、しかし、それはそれ、これはこれとはっきり言ってやるべきだ。

仏外相「ボイコット、評価に値する」 北京五輪開会式

ドイツ、対中援助交渉中止を警告

米下院議長がダライ・ラマと会談、チベット情勢「良心への挑戦

ブラウン英首相、ダライ・ラマと会談の意向

「五輪ボイコット排除せず」 台湾国民党総統候補の馬氏

ーーーおれはこれでも甘い、とおもうが・・・・


日本はというと?

日本の五輪ボイコット否定 チベット騒乱で外相

情けないよ。

北朝鮮報道官「中国政府の努力を支持」 チベット騒乱

北朝鮮と似たりよったりかよ!!!


米流時評さんが「フリーチベット!チベット人の悲鳴が聞こえない輩は人間失格だ」と言って怒りをぶちまけているが、全くだ。


華は愛惜にちり、草は棄嫌におふる

2008年03月22日 02時08分17秒 | Weblog

諸法の仏法なる時節、すなはち迷語あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり、衆生あり、
万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく、衆生なし滅なし。
仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷語あり、生仏あり、
しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり』

現代語訳1
現代語訳2
現代語訳3


で、3行目までは、まあ、まあ、自分でも納得いくものだった。解釈もわりに一定している。いくつかあげると、
すべてのものごとを仏道の立場から見るとき、迷いと悟り、修行のあるなし、生と死、解脱した人とそうでない人との違いが明らかになる。全てのものごとを無我の立場から見るとき、迷いもなく悟りもなく、解脱した人もなく解脱しない人もなく、生も死もない。
もともと仏道は、有るという立場にも、無いという立場にもとらわれないものであるから、生死を解脱したところに生死があり、解脱のあるなしを問題としないところに解脱がある


一行目は仏法には迷悟、修証、生(死)、諸仏、衆生等々がある。二行目はそれらのすべての事象は個々に独自の特性というものはなく、種々様々な諸要素の有機的組み合わせで成り立ち、一体として流れている、運動し行動している。三行目は仏道的立場、行動する側に立てば、「迷」の時は「迷」だけの一法、一事象のみあり、そこには「悟」のひとかけらも入り込む余地はない。迷一如である。「生」の時は「生」一法のみあるのであって、「死」の介入は許されない。生一如である


 とくに3行目が面白い。「薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといへども、前後裁断せり」の段落にかかるのだと思う。エマソンなどが近い境地を示している。
These roses under my window make no reference to former roses or to better ones; they are for what they are; they exist with God to-day. There is no time to them. There is simply the rose; it is perfect in every moment of its existence. Before a leaf-bud has burst, its whole life acts; in the full-blown flower there is no more; in the leafless root there is no less. Its nature is satisfied, and it satisfies nature, in all moments alike. But man postpones or remembers; he does not live in the present, but with reverted eye laments the past, or, heedless of the riches that surround him, stands on tiptoe to foresee the future. He cannot be happy and strong until he too lives with nature in the present, above time.
窓の下に咲いているバラは以前の自分の姿や、もっとすばらしい自分の姿など想像しません。それはただあるのです。神とともにあるのです。バラにとって時間などないのです。たんにバラなのです。その瞬間瞬間が完璧な存在なのです。つぼみが開く以前も全生で花が開いても全生なのです。根っこのときも全生なのです。欠けるところがなく、どの瞬間も自然なのです。人は明日や昨日を思ったりします。人は現在に生きていません。過去を嘆き、他人をうらやんだり、まだ未来を当てにしたりしています。時間を忘れて、現在に自然とともにあって初めて幸せや強さが訪れるものです。
Emerson


 4行目については、ネットで専門家の解釈を見ると、花愛惜に散る、というところをわりに否定的にみるのがおおい。
花が散り草が茂るのは、自然の事であり、おのずからの事であります。それを人間は「ああ惜しい」とか「また生えやがった」とか勝手な思いを押しつけますリンク

四行目はそのような真理の中にあって、人間が花や雑草に対し感情を持って見るすなわち煩悩があるため、誤ってしまう

しかしなお、そのことがわかっていながら、解脱を愛し求めれば解脱は遠ざかり、迷いを離れようとすれば、迷いは拡がるばかりである。

至道無難 唯嫌揀択

真実の道(悟り)へ至のは難しいものではない。唯、好き嫌いだと選り好みをやめることである。三祖大師、鑑智僧燦の「信心銘」の有名な冒頭の言葉である。

「花は愛惜に散り 草は棄嫌におふるのみ」と道元禅師は人の心の有様を指摘される。わたし達は愛し、惜しむ心の上に花の存在をとらえ、嫌いに思う心の上に、すぐにはびこる草の存在をとらえるが、花しろ草にしろ真実の存在は私達の思いの外にある。個人もちの尺度を手放したところに、真実の世界は広がると言うのである

 しかし、こうしたとらえ方は腑に落ちない。確かに枯れ木のような境地もいい、しかし、こうした解説を書いている高尚な人々は、ほじゃ、愛する人を失って、あるいは、愛する人を失って嘆き悲しむ人を見て、あるいは、嫌な奴が来ても何の心も動かないのか、ロボットのような心持ちしか持ち合わせていないのか?ーーというとそうではないでしょう。
また、 このように解釈すると、現成公案の最終段落の麻浴山宝徹禅師の話が活きてこない。最終段落にかかってくると見た方が面白い。その話というのは、
麻浴山宝徹禅師が、扇をつかう〔ことに〕ちなんで、僧が来て問う、「風性(風の性質)は常住(常に住む)にして(いつも)、処として周(いた)らないことがない。どうしてさらに和尚は扇を使うのか」。

師がいうには、「なんじはただ風性常住をしっているとしても、いまだ処としていたらないということがない道理をしらない」と。

僧がいうには、「どういうことであろうか、処として周(いた)らないことがない〔ということ〕の底の道理〔とは〕」。

〔その〕ときに、師〔は〕、扇を使うだけである。僧〔は〕、礼拝する
仏法の証験、正伝の活路〔は〕、このようである。

常住であるので、扇を使ってはならず、使わない時も風をきくべきであるというのは、常住をしらず、風性をしらないのである。風性は常住であるので、仏家の風は、大地が黄金である〔の〕を現成させ、長河の蘇酪(発酵乳)を参熟しているリンク

 これとても、専門家たちはもともと悟っているのにことさらお悟りへの修行する必要があるのか、ということにつなげて解釈する。
A
B
 しかし、私はそうとらない。
 こんな話を聞いたことがある。、白隠さんのところで悟道したというある婆さんの孫が死んだ。婆さんは大泣きに泣いた。周囲の人がたずねる、「あんた白隠さんのところでお悟りをいただいたんじゃないか」婆さん曰く、「なにいうとる、こうして泣いていることがお経を唱えることなんじゃ」と・・
 こんな絵があるそうである。 イエスが教えを説く。一人の女はそれに聞き入っている。もう一人の女はぶつくさ不平をいいながら、イエスやその教えを聞きに来た人々のために、鍋やらなにやらをせっせと運んでいる。
 以前紹介したエックハルトトール は愛惜や棄嫌の念が生じたときについて、
・・・・don't deny or ignore the pain or the sadness you feel. Accept that it is there. Beware of your mind's tendency to construct story around that loss in which you are assigned the role of victim. Fear, anger, resentment, or self-pity are the emotions that goes with that role. Then be aware of what lies behind those emotions ・・・・that hole, that empty space. Can you face and accept that strange sense of emptiness? (page 109 "Stillness speaks")
苦しみや悲しみを否定したり無視したりしなで、それがあることを受け入れます。そこで、自分が被害者役を演じる物語をでっちあげようとしていないでしょうか? 恐れや、怒り、憤りや、自己憐憫と感情があるとき、同時に自分にそうした役柄を与えているものです。そうした感情の背後にある、空洞、空虚さを観じることができますか?そうした不可思議な空の感覚を味わえますか?

というように、愛惜の念の真裏にも空が作用していることを看てとっている。

 分別の世界あり(第1行)、それが拒絶され否定しつくされた、無分別・平等の世界あり、(第2行)、また、そこからこの世を覗いた前後裁断・無時間・永遠の今の世界がある。(第3行)、それでありながら再び、日常の世界に舞い戻り、時計が動き出し、そこで、泣き、そこで笑う(第4行)平等常住の世界があり、暑い寒いの世界があり、こうして扇を扇いで涼んでいる。庭に草が生えたなのと言えば、「やれやれ」と思いながらも、草むしりるする。愛する人が亡くなれば、大泣きする。これとても避ける心もなければ、抵抗する心もない、泣きなさ~~い、笑いなさ~い、がきらきらと輝いている世界。
 バラをみれば、バラ。そして、前後裁断、バラはバラになりきって、また、私はバラになりきって、枯れるだろう明日の世界を持たないから、そのまま永遠である。それはそれですばらしい境地である。であるにせよ、水もやらなくちゃならない。剪定もしなくちゃいけない。どれか一つの世界に住するのではなく、自由に横断し、そうした世界すべてを受用しそれらが収まっているこの一つの世界が仏性として黄金のように光り輝いているんだ、それを看よ、と。
 
 そうした意味では十牛図の第10図の境地に近いのではないか、と思うのです。
なお、十牛図については、
α
β



有道先生、どうにかしてやってくださいよ。

2008年03月21日 04時05分45秒 | Weblog
神奈川県横須賀市の路上に止まっていたタクシー内で19日夜、東京都品川区の運転手、高橋正昭さん(61)が運転席で首を刃物で刺されて殺害された事件で、タクシーの車内から米海軍横須賀基地に所属する兵士の所持品とみられるものが見つかっていたことが20日、複数の米海軍関係者の話で分かった。

東京都千代田区で20日、「三浦和義氏の逮捕に怒る緊急集会」が開かれ、市民団体のメンバーや弁護士などが集まった。2008.3.21



 米司法制度の説明のほか、三浦元社長の弁護士費用の支援方法について意見交換した。

 講演した青山学院大の新倉修教授(刑法)は、米国からの捜査協力の要請について「(要請を)排除することは認められるべきだが、無実の証拠についての協力はいいのではないか」と意見を述べた。
(2008年3月20日21時46分 読売新聞)
あっ!有道ちゃん、旅行中か?

世界的国家は必然?

2008年03月21日 03時52分25秒 | Weblog
Why a World State is Inevitable
ALEXANDER WENDT

 昔、カントが、永遠の平和へとかいう論文で、
永遠の平和に進んでいくための第2確定条項
国際法は自由国家の連邦制を基本にして創設すること
とかいって世界連邦構想をした。世界連邦じゃないけど、世界の国々は世界的規模の一つの国家になるんだ、というのが上記論文の構図。彼の言う国家とは、構成員(=各国)が協働し、正当なる合同的力の行使を独占する組織である。

 で、論文の最初のほうでは、方法論についてグダグダ述べる。アリストテレスはものがかくある理由として4通りの説明方式を用意した。この机を説明するのに、何から出来ているか(物質因)、誰が作ったか(作用因)どのような設計か(形相因)何のために出来たか(目的因)がある。いままでの国際関係論の説明には目的因による説明を意図的に排除してきたが、終局的収束相がない説明方式は不完全である、と指摘する。相互承認への対立・闘争を通じて、終局的には世界規模の国家が形成されるというのである。

 自己とは他ならない自己であるが、その他者と異なる自己、ということを前提に、身の安全のためにお互いがお互いを承認していく過程でお互いが共通のルールで自己規制しながら「われわれ」という自己意識を形成していく。現代社会は核兵器や弾道ミサイルの恐怖によって競争よりもむしろ協力への方向性を示している。

 ホッブスの想定するような全くの混沌状態は承認のない世界で不安定だから、各国は協約を結んでお互いの権利と義務を認めるようなロック的世界になるが、そうした世界でもいざ戦争となれば人民は犠牲となるから、各国は紛争を平和的に解決する国際社会を形成する。もっともこの国際社会でもならず者国家が出現があり得るから安定しているとは言えない。そこで、ひとりはみんなのために、みんなはひとりのためにという積極的相互援助を義務とするような、集団的自衛体制で、「われわれ」がならず者を制裁するような体制が合理的である。ここで、大国は別段小国への援助をする動機に欠けるようにも思えるが、しかし、そうしていれば、小国各国が逆に協力しはじめ大国の存亡を脅かすから、、むしろ、そうした小国を承認して体制に組み込んだほうが合理的であり、終局的には上記世界規模の国家体制が樹立される、というのである。

 これは、歴史的にこうだ、とかいつこうなる、というわけではなくて、これが論理的なシナリオである、というのである。
 武力の恐怖による絶えざる闘争というリアリストのシナリオよりも明るい未来だけども、やはり、ツメが甘いような気もする。あるいは、おれの理解力、ないし、想像力が不足しているのかもしれん。
 
 もっとも、カントは、恒久平和への構想で


「常備軍は段階的に完全撤去すること」

とかいって、日本ではそれをマジで信じちゃっている人がいるが、そんな非現実的なことはいっていない。むしろ熾烈な武力競争が逆に協力しあう関係を形成する、という点で、現実的ではある。
 また、日本では集団的自衛への参加を戦争の泥沼への一歩のようにいわれることがあるが、、それはむしろ平和的国際社会の形成には必須である、と論じている点が注目に値する。その意思決定方式に問題ははらんでいる。しかし、国際的な「われわれ」から島国的な「われわれ」が取り残されないためにも、そして、平和的国際社会の実現という観点からもっと、この問題を論じる必要があるのである。
 また、この観点からすれば、安倍・麻生のリムランド同盟構想もそのレトリックは別にして、真剣に考慮されてしかるべきであろう。
 中国の無法に眼をつむる世界の傾向を肝に銘じて粛々と日本も地固めしておくべきだ。
 

チベットと西側諸国

2008年03月21日 02時32分21秒 | Weblog
チベットの騒乱、中国経済の影響力を前に西側諸国は沈黙か
おれも、そんな気がしたな。取り上げ方によっては天安門に匹敵するような事件であるのになぜ、それほど騒がれないのか?
 やっぱ、中国はカネがあり、武力があり、なんか言ったら間接的な制裁がこわい、という感じじゃないかね。
 アメリカもへたったな。