ハーフ?ミックス?ダブル?にコメントいただいた。
ぜひ、一度訪問してみたらどうだろうか?
特に、従来の日本人風でない人を外人だ!外国人だ!というのはやめましょう。
いままで数が少なくてめずらしかった、というのもわかるが、しかし、言われる方は、聞き飽きるし、除外された感じを与えて、傷つくというのもわかる。
このテーマに関して当事者の声を届けるサイト
"Die Kreuzungsstelle" の運営者のNikolausと申します。
イギリス、アメリカなど世界中で「ハーフ」の人たちが声を発する中、日本でもほぼ同時期に同じような動きがあります。
自分も、そのような流れの中にいることを、日々実感します。言葉の問題については「ハーフ」がいいのか「ダブル」がいいのかという議論が一時期ありましたが、いまは「ハーフ」で落着いているように思います。ただ、個人的にはただの名前で呼ばれたいとは思っています。
その辺りについてサイトに書いてありますので、良かったら一度ご覧下さい。
ぜひ、一度訪問してみたらどうだろうか?
特に、従来の日本人風でない人を外人だ!外国人だ!というのはやめましょう。
いままで数が少なくてめずらしかった、というのもわかるが、しかし、言われる方は、聞き飽きるし、除外された感じを与えて、傷つくというのもわかる。
幼馴染の女の子はいじめる側の人間でしたし、
なんだか、そんなハーフは絶対される側みたいに言われるのもちょっと……
コラムの一つの話を見て思うのは、
8回転校してほとんどがイジメにあって、
唯一いじめられなかった学校では親が学校でタバコふかして圧力かけたなんてさも武勇伝みたいに語られても、
結局本人に問題があって、罵倒する単語に「外国人」があっただけなんではないかと思ってしまうんですが…
転校初日ってことは、まだそこの学校がどうなのかなんてわからないはずなのに。
悩みがあるのはわかりますが、よく本人もこのエピソードもってきたなぁ、と。率直に思ったことです。
それこそ本人があげてる話みたいに、
固定観念に自分も縛られてましたーってことなら、落語の落ちとしてはよくできてますね。
おっしゃるようなことはたしかにある、と思います。
いわゆる白人あるいは黒人の方とのハーフというのは圧倒的にまだ少ない。そこで、従来の日本人としては興味をもったり、えって驚いてしまったりすることがあったり、いきおいその部分に興味をもってしまう。
そのような目にあった経験が少ない人もいたり、そうしたことをが繰り返しあっても積極的に受け止める子供たちもいる。
そして、サイトの作文などを読んでいても、お若い方もかなり多く、まだまだ、二つの祖国について、そして自分自身についての認識は変わっていくと思う。
ただ、「外人!」とか言われて、傷つく場合もある。「日本人じゃない!」とか言われて、悲しむ場合もある。
これはなんせ、子供時代のことですから、こうしたことからは、守ってあげたい。こうしたことは、いろんな人が「ああ、こういうこといわれてつらい人たちもいるんだ」ということが広く社会的に認識されれば、減少していくものだろうと思うのです。
そして、こうしたことを声を素直に出してくれることが非常に有意義だと、思いますし、そうしたことを素直に出せるような社会がいい、と思っております。
この手のものはどんどん発表してくださったほうがいい。
また、それに耳を傾け、かつ、疑問があればーーー例えば、tarouさんのようにーーーお互いにざっくばらんに話し合えるような社会であることが重要だ、と思っています。
彼等は育った環境からして多重な文化的視点をもった貴重な存在です。他の子供たちも貴重ですけど、やはり、いろんな才能をもったいろんな子供たちの大事にしていきたい。
子供や青年が傷ついたり、問題だと思っていることを広く社会で共有すること、そして、それをいっしょになって考えて、大人たちが自己反省したり、あるいはアドバイスしてあげたり、励ましてあげられるようになればすばらしい、と思っております。
ハーフよりダブルがいいという発想は、いかにもアメリカ的(ヨーロッパもそうなのか?)な発想に思えるなあ。外国人である親はそう思うかも知れないけれど、日本の文化で育った本人はそうは思わないんじゃないですか。リンク先ブログのコメント欄にも書いてあったけれど。私には、こういう議論はそれこそ外国の価値観の押しつけのように思えますけれど。
名前が変わっても差別がなくならなければ問題は解決しないし、ハーフだのダブルだの外国人だのという言葉をいじめに使わなくなれば、いじめられた本人に責任があるかどうかもはっきりしていいんじゃないですかね。
「外人」「外国人」論争でもなにかそこらへん勘違いするひとがいる。
彼等が言いたいのは、例えば、名前を教えたのに、「この外人がさあ」というように、名前を覚えてもらえない、ということだったり、道端で、「外人だあ!」とか奇異な目で見られるというのが嫌だ、ということで、「この外国人・non-Japaneseがさああ」とか、「外国人・non-Japanese だあ!」とか言われるようになればそれでいい、というものではない。
「ハーフ」という言葉にしても同様だと思います。
日本語でハーフというのは、半分という英語の意味とは相対的に独立に、片親が外国人の子供、というくらいの意味を中心に文脈に応じていい意味でも悪い意味でも使われているのだ、と思います。
それを英語のhalfから意味を読み込んでいこうとするとまた間違える。
これからは、いずれにせよ、まず○○くん、△△さん、という個人が先にきて、その後にその個人の個性の一つとして、ご両親のことや育った環境が話題になる、というふうになっていけばいいのかな、と思っています。
、
中国の帰化人、元在日の友人がクラスにいて、
そのどれも外国人と呼ばれたりして、アイデンティティに悩む、ってことが一度もなかったのでちょっと上のようなことを書きました。
いずれにしても、子供はデリケートだと思いますし、
ハーフに限らずイジメはなくなってほしいものですし、できることがあるなら考えたいものです。
ただ、ここのサイトを見るとどうも、やたら後ろ向きすぎてゲンナリしちゃいます。
モデルを見世物呼ばわりするってのもどうなんでしょうか。
背が高いだとか、顔がいいと同じでハーフも一つの武器だと思えば済むと思いますし、それを売りにする人を目の敵にして何になるんだろうか。
自分は外国人と呼ばれて深く傷つくのに、見世物呼ばわり………??
>「日本は同質性社会でよくない、もっと多様な価値観を認めないといけない」と言う人でも「ダブル」という言葉をなんの疑問も抱かずに使っています。私たちが多様な存在だということを忘れて「ダブル」という言葉を使う。どこか矛盾しているのではないでしょうか?本当に様々な出自をもった存在を認め合おうと言うのなら、この「ハーフ(ダブル)」という概念を取り払うことの方が大切なのではないでしょうか?
↑
以上のようなことも書いてあります。
いろいろな考えがあることはいいと思います。
しかし、申し訳ないんですが、正直ここまで行くと話し合う気も考える気もなくなってしまいますよ。
もちろん私の友人が悩んでるのなら、どんなに後ろ向きでもいつまでも付き合いますが、
インターネットってあくまで顔も見えない赤の他人に発信するわけでして、
より多くの意識を変えたいなら距離感を掴んで普遍的な書き方もできるんじゃないだろうか。
もちろん共感する人も多いのでしょうが、
私自身は仮に外国に行って帰化して「日本人、外国人」といわれても傷つかないタイプですし、そういう人間、結構多いと思います。
逆にそういう人間が見てしまうと、「めんどくさいから好きにして」になってしまうと思うんですよ。
とはいえ、いずれにしてもハーフに対して「外国人!」と言う子供がいると言うのはなんとかしたい問題でありますし、
いらぬ苦労を子供たちがしないよう望むのは自分も同じではあります。
私のクラスでは(私はいじめられたけど)その子をいじめなかったし、その子もクラスの一員としてうまく溶け込んでいました。
私は一度もその子を外国人だと思いませんでした。他の子もそうだったと思います。
昔とは違って、今の子はハーフの子達を受け入れる子が多いと思います。
人種や国籍関係なく、人とコミュニケーションを取ることが大切だと思います。日本人から(どこの国の人もそうですが)好かれない外国人は自分達のコミュニティで固まって、現地の人と仲良くしない人達だと思います。
このことは日本人同士でもいえると思います。
だから、日本人の子供達全員がハーフの子達を必ずしも人種差別的に見るわけじゃないと思います。