稲苗は、田植機で植える。機械なので植えられない所や植え残しが出る。
それを埋めるのは手植えである。水田で30℃近い暑さの中、背中を曲げ苗を植えると、
背中に容赦なく太陽が当たる。服の上からでも日焼けしそうな太陽光である。
これを、「甲羅干し」と呼んでいる。気分の悪くなりそうな作業である。
我慢して続けていると、熱中症になる。甲羅干しを長時間続けることは避けている。
我が家のHも、田植機の使用は素人なので、上手く植えてあるとは言えない。
そのうち上手になることを期待するが、今年は甲羅干しに時間がかかった。
丁寧にすれば、いくらでも時間が必要である。いい加減で、甲羅干しは止めよう。
鉢植えのクレマティスが、満開である。
田植の終わった田圃もあるが、代掻きの終わった田植え前の田圃が多い。
次の土曜日・日曜日が、田植の真っ最中になりそうである。
与 勇輝の人形展を観に行った。与氏は、昭和12年生まれである。
終戦に続く昭和の時代を生きた我々の生活を現わしている。
靴磨きの子供や、兄妹仲良く助け合っている子供、箱膳での食事、
草野球で遊ぶ子供たち、虫取りをする子供等々の懐かしい日常を表現していた。
顔の表情ばかりでなく、指先や足の位置などにも、 次の瞬間動くのではないかと思わせる微妙な姿が面白い。
現在の子供たちの姿を模した人形もあった。歩きながらケイタイをしている女の子である。
昭和と平成の大きな違いは、「絆」ではないかと思う。
昭和の子供たちは、自然を相手に遊ぶしか方法がない。
パソコンや携帯電話もない時代である。 田植も共同で仕事をしないと、なかなかはかどらない仕事であった。
特に棚田などの作業は困難を極める。 みんな貧しかったけど、明日えの希望に満ちていた.
Y氏からの写真である。棚田も田植えの準備を始めた。
認知症になり社会生活との別れを余儀なくした人。
病気や老齢でのこの世との別れをする人。
今年は特に多いように思う。有線で町内死亡者の放送をする。
「えっ!また。」と驚くようである。
今夜は、40数年間お世話になった人の通夜であった。明日は葬儀である。
全てのことが昨日のように思い出せる。月日はいつの間にか過ぎ去っている。
父母の葬儀に、娘の結婚にと迷惑の掛けどおしであった。
それなのに、入院されてからはチョット見舞いに行くだけで、何一つ恩返しもしていない。
通夜の会場での話の中に、「お別れに来たのではありません。お礼を申し上げに来たのです。」
との言葉があり、トタンに涙が止まらなくなった。
「今日私がこのように存在できるのは、あなたの心使いがあったからです。」と礼を言った。