まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春の夜は 静かに緩く 音もなく

2015年03月22日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6度から20度、湿度は95%から40%、風は1mから6mの西北西の風が一時強かったが、初夏のような1日になった。今日は黄砂を観測する可能性があると言うてたが、どんなだっただろうか。明日の23日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

  

 昨夜は三男のたっくんと娘家族4人がやってきて、お彼岸参りとはやて君、なぎちゃんの卒業祝賀会になった。呑んで食べて騒いで楽しい時間を過ごしたものだったが、今朝の6時過ぎには一斉に帰ってしまった。

 

 今日は地区の「出事(でごと)」で、この「地神(じじん)さん」の掃除をする日になっていて、7時集合ということだったので、6時半前に行ったら、もう既に全員が集まっていて、すぐさま、掃除が始まった。

 

 明日の23日が「社日(しゃじつ・しゃにち)」だが、最近は近くの日曜日におまつりをするようになった。社日とは、春分と秋分に最も近い戌の日を指す。「戌」という文字には「土」という意味があるらしい。また、「社日」の「社」は「示す」と「土」から成り立っているともいう。 農業の視点から見ると、春の社日は種まきの時期にあたり、秋の社日は収穫の時期にあたる。これらは農業において忘れてはいけない大事な時期であって、そのため社日は全国的に重要な節目の日とされるようになった。春には五穀豊穣の祈願が、秋には無事に作物を収穫するための祈願が行われてきた。 農業を中心として生きてきた我々の祖先にとって、大地の恵みである「土」との関係は切っても切れない縁なのかもしれない。

 

  社日を祝う習慣は元々中国にあった。その土地の守護神であった「社」を祀り、作物の豊熟を祈ったことが始まりとされている。この風習が日本に入ると、土地の神様を信仰する習慣と融合して全国に広がり、一般的に豊穣を祈願する節日になったといわれている。古来から自分の土地の神様をとても大切にしていた日本人には、受け入れやすい風習だったのであろう。

 

  社日は元々土地の神様、また農耕を司る「土の神様」の日と考えらているか らこの日に土をいじる、掘り起こすなどの行為をしない風習があった。土いじりは神様の歩行を妨げるとか、土掘りは神の頭を掘ることだとか考えられたようだが、今はそんなに深くは考えず、気楽にやっているようである。

 

 最近、神社名鑑を作るために、各町の町史を調べているが、「山神社」というのはちゃんと登録されているが、この「地神」はない。ということは、宗教法人法上の「神社」には属していない。だから、「地神社」とか「地神宮」というものはない。ま、全国を細かく調べたらあるかも知れないが、このあたりにはない。あくまで、「社日」の行事ということらしい。また、若い方は、「地鎮祭」と混同することが多いが、これは、「じじんさん」という音を聞き間違えているのらしい。

 

 その後、7時からは自治会の集会場付近のそうじになった。草がたくさん生える前に、草掃除をしようということになった。

 

 30分ほどで、すっかりときれいになった。

 

 その後は、引き続いて「寒川町」の町史から神社と寺院に関する部分を読み込んでいたが、さすがに4町目になると飽きてくる。

 

 今日は久しぶりに、さぬき市長尾西にある「うどん亭いわせ」に行ってみた。奥方のおすすめの一般店である。

 

 食欲もなかったが、天ぷらうどんを注文した。けいこばぁは、いつも通りの「かけうどん」であった。

 

 15時からは「直来(なおらい)」ということで、お茶とパンで座談会になる。世間一般のあれこれを話題にするのだが、サルとイノシシ、シカの話がみんなの共通の話題。「社日」や「地神さん」の話題は一言も出ない。

 

 今日の掲示板はこれ。「執らわれると目が狂ってくる 欲が出ると耳が聞こえなくなる」というもの。あることに執着すると、そのことしか見えていないことが多くある。幾度もある。咸臨丸だったら咸臨丸のことばかり。レキの墓だったら、そのことばかり。周りのことなど見えてはいない。欲が出ると、そのことしか考えずにいて、他人の忠告なんぞまるで受け付けない。そういうことって、いくらもあることだ。それが私たちなのである。そのことに気づくことがまずもって先決問題なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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