まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

コスモスは 別れ必然と 揺れている

2016年09月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は22.1度から30.8度、湿度は88%から52%、風は1mから5mの東南東の風が少しばかり。明日の3日は、湿った空気の影響で概ね曇りで、昼前から雨の降る所があるらしい。

 

 朝の迷犬ごんの散歩の時、ゴンが動かないと思えば道路にこんなものが・・。近くにサルがいるらしい。犬猿の仲・・・とは言うけれど、普通は犬を怖がってサルが逃げるもの。うちの迷犬ごんは、全くの弱虫でサルの声を聞いただけで動けなくなる。

 

 サルにはサルの世界があるのだろうけれど、私たちにすれば「狼藉者」でしかないと思ってしまう。

 

 さて、水曜日だかに県立図書館で借りた本も読んでしまったので返却に行った。今夜のことがわからない、明日のことがわからないこの身だから、早め早めに物事は片付けておく。

 

 観音寺市の資料の中に「古銭」という言葉があった。江戸時代に使われていた「寛永通宝」は、江戸時代では「古銭」とは呼ばない。明治時代でも「古銭」とは呼ばなかったはず。あの寛永通宝の銭形は大正時代以降のものではないのか・・と考えていた。

 

 でも、ここには、それ以上の資料は見つけられなかった。私的なグループが、何のために「寛永通宝」を砂浜に描いたのか・・・。砂浜の雑草の中に埋もれていた寛永通宝を発見したのが、天理教の信者さんだった。昭和10年から、その信者さんたちが全国一斉の「ひのきしん:日の寄進」の日に合わせて、年に一度の大掃除をするようになって、みんなに注目されるようになったのだと知った。

 

 観音寺市(かん・おん・じ・し)の市史を借りてきたが、ここには銭形の文字すら印刷されてはいなかった。市史にすら記録されていない謎の銭形が、なんで、マンホールや橋の親柱に使われているのか。

 

 とか・・・

 

 謎はふかまるばかりの観音寺市である。

 

 そのお話は一旦、棚上げにして置いて、今度は詫間町の両墓制である。少し涼しくなったならば、お墓探しもやっておきたいもの。「讃岐における両墓制の祭祀と埋葬の空間論」という論文をまとめておきたいからである。

 

 それはさておき、わが家の花おくらも最盛期。毎日、一五枚ほどの花が咲くが、これは一日だけの花。でも、わが家でも食べ飽きるほど食べたので、奥方の勤務先に届けることが多くなった。

 

 最初は、奥方の仕事場の介護支援センターに届けたが、連日ともなると、デイサービスセンターにも届けるようになった。

 

 で、野菜サラダにしたり、

 

 酢の物にして、利用さんたちも食べていただいているらしい。なくても困るが、有り余っても困るのことよ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「偶然の出会い 必然の別れ その中に人間は生きている」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板からである。「偶然の出会い、必然の別れ。その中に人間は生きている。だからこそ、人は出会いを大切にしなければならないのではないだろうか。別れが必然だから、人はかろうじて優しくなれるのかもしれない。」松本梶丸師がある本の中でこんな言葉を書いておられた。「一期一会」という言葉がある。一生に一回の機会という意味である。よく人と人との出会いを表す言葉として使われるのだが、出会いは偶然、別れは必然 だからなんだろう。人が避けられない苦しみの一つとして愛別離苦という言葉があるように、死が必然である以上、別れも必然なのである。出会いの奇跡、出会いの大切さは、別れが教えてくれるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>