ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

トロっと旅する北海道2006秋

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 1、ゆっくりでもギリギリ

 那覇発千歳行きは15時20分の出発。遅い時間である。洗濯をし、軽く部屋の掃除もし、旅の荷物の準備を終え、『笑っていいとも』を観ながら昼飯を食い、タバコに火をつけ、コーヒーを飲む。こういう”のんびり”は私の大好物である。
 コーヒーを飲みながら時間の逆算をする。出発30分前には着きたい。家から那覇空港までは約1時間かかる。ということは1時50分に出れば良い。で、その通り出る。バス停まで歩き、バスを待ち、バスに乗り、首里駅に着き、モノレールを待ち、モノレールに乗り、那覇空港に着く。待ち時間が意外に長くて、家から那覇空港まで1時間と予想したが、1時間10分かかった。「ちぇ、またもギリギリか」と自分の性格を呪う。
 ”のんびり”が大好物の私だが、こういう場合はそうもいかない。出発まで20分しかない。慌てる。早足で歩き、搭乗手続きをし、早足で歩き、搭乗口へ入る。額に汗を滲ませて出発ロビーに着いたのは10分前。コーヒーを飲む暇は無いが、一服はできる。喫煙室へ入りタバコに火をつける。その時、アナウンスがあった。札幌行きの便は定刻より25分遅れるとのことであった。慌てて損した気分で、旅の始まり。

 2、温度差15度

 家を出るときの私は、半袖のTシャツに長袖のYシャツ姿。周りの人から見れば「何だアイツ、こんな暑い日に」といった格好である。那覇の気温は29度であった。これから北海道へ行くのである。長袖のYシャツは最低限必要だろうと思ってのこと。
 機内アナウンスで、千歳の気温は14度とのこと。予想より低い温度であったが、準備は怠り無い。飛行機から降りる前に、バッグに入れてあったブルゾンを出して着る。沖縄の冬用のブルゾンである。ほんの3時間で夏から冬にやってきたわけである。

 今年春の四国の旅で、愛媛県の松山駅から高知県の高知駅までのJR区間、特急も含めどこでも何度でも乗り降り自由という切符を買った。私はそれが周遊券と呼ばれるものだと思っていた。ガイドブックを見ると、北海道にも周遊券があった。今回は稚内へ行くので道北ゾーンを選び、新千歳空港駅のみどりの窓口でそれを注文する。ところが、周遊券とは、そのゾーン内からある程度距離の離れたJRの駅からしか購入できないとのことであった。知らなかったぜ!電車に慣れないウチナーンチュなのであった。
 とりあえず、ホテルのある琴似駅までの切符を買おうと、「それじゃあ、コトジまで1枚」と言ったが、窓口の可愛いお姉さんは「はっ?何ですか?」と訊く。あー、聞こえなかったのかと思い、今度は大きな声で「コトジまで」と言うと、可愛いお姉さんはニッコリ微笑んで「コトニ、ですね?」と応える。琴似はコトニと読むのであった。知らなかったぜ!・・・まあ、そんな、ちょっとした恥をかきつつ琴似駅へ向かう。

 3、突然の雨で

 琴似駅は、新千歳空港駅から電車に乗って、札幌駅から二つ先の駅。駅では若い美女が一人、私を待っていた。美女は嫁いで、札幌に住んで数年になる。彼女の父親から託されていた彼女へのプレゼントを渡し、飲み屋街の場所を教えて貰う。時刻は既に8時、飲むこと以外はほとんど何もできない時間。ホテルにチェックインして、荷物を軽くして、教えてもらった飲み屋街へ向かう。その前に翌日の酒を購入しなければならない。
  飲み屋は遅くまで開いていようが、スーパーは9時とか10時には閉まるはず。明日は5時間の列車の旅、朝出るのが早いので、その5時間のための酒と肴を今日の内に用意しておかなければならないのだ。駅傍のスーパーでそれらを買い揃える。
 「さて、飲み食いだ」と思ってスーパーから出ようとしたら、外は雨であった。しばらく待ったが、すぐには止みそうに無い。で、しょうがなくホテルへ戻る。ホテルの自動販売機でビールを買い、明日のためにと買った惣菜を肴に飲む。当然、ビール1缶では足りない。明日のためにと買った日本酒4合瓶を開ける。湯飲みに4杯、ちょうど半分の2合くらいを飲む。それだけ飲むと、その分肴も食う。結局、明日のための肴は全部食っちまった。突然の雨で予定が狂ってしまった。何となく前途多難の予感。
     

 4、トロっと旅する

  「よし、日本の北の果てに行こう」と決め、「そうや、宗谷へ行こう」と駄洒落も思いついて、今回の北海道4泊5日の旅は稚内で1泊する旅となった。札幌から稚内まで特急で5時間かかる。ご、ご、ご、5時間も!!!かかる。電車の中で5時間!昼間の5時間を、いったい何して過ごすんだ?・・・そりゃあもう決まっている。飲むんだ!
 前夜に準備してあった日本酒4合は、その半分を飲んじまったので、前夜に準備してあった肴は全部食っちまったので、駅の売店で日本酒2合瓶とおかずの多い弁当を買う。おかずの多いというのは、そのおかずを肴にしようということ。さらに、 ビール1缶を買って、列車に乗る。列車に揺られて、酒に酔って、トロっと旅するの始まり。
     
 ところが、前途多難の予感は当たっていた。列車が混んでいて座れない。せっかく買ったビールも酒も弁当も手がつけられない。じつは、列車全体は混んでいない。4両ある内の1両だけが混んでいる。JRが何を考えているか知らないが、4両の内3両は指定席となっており、残りの1両だけが自由席であった。平日なのでそう混むことはないだろうという私の予想は概ね当たっていたが、自由席が1両しかないのは想定外であった。
 このまま5時間立ち続けかと不安に思っていたが、旭川駅でごそっと降りた。自由席もガラガラとなった。ここからやっと、トロっと旅するが始まった。飲んで食って、寝て、飲んで食って、寝て、飲んで、飲んで、稚内に着く。用意した酒は飲み干した。
     

 5、真昼の長い影

  稚内駅からバスに乗る。50分揺られて宗谷岬に着く。天気は良かった。海は少し煙っていたが、サハリンの陰も薄く見えた。ただ、海風がとても強く、気温も11度くらいしか無くて、あんまり寒くて、ゆっくり眺めることはできなかった。
     
 先週、ユクレー島物語『マジムン三匹蝦夷の旅』をアップしたが、その絵は、実は旅に出る前に描いていた。描いてはいたが、旅から帰って描き直した。何故かと言うと、影が違っていたのである。沖縄では10月でも、真昼(12時頃)なら影は短い。ところが北海道は真昼でも影が長い。午後3時でまるで夕方のような影。影は北へ向かって伸びて いる。太陽が南の空の低い位置にある。そうであった。ここは緯度が高いのであった。
 じつはもう一つ、『マジムン三匹蝦夷の旅』の絵(注1)で三匹が会話しているが、その内容も旅から帰って書き直した。
 「ここが日本の最北の街、稚内か」(ゑんちゅ小僧)
 「南の島からあっという間だったから、実感わっかない」(ケダマン)
という駄洒落を入れてあった。それを、行きつけの喫茶店のオバサンに話したら、「オヤジギャグ」と冷ややかな目をされた。で、この部分は削除した。・・・オヤジで悪いか!と今になって思う。俺はオヤジだ!と、これからは堂々としていたいと思う。
     

 6、酔っ払った理由

 宗谷岬では、帰りのバスを1時間半後の便に決め、その間滞在する予定であった。であったが、あんまり寒くて散策ができない。土産品店をちょっと覗いて、あとはバスの待合室で予定の1本前のバスを待った。宗谷滞在は30分となった。
 ホテルは稚内駅の近く、チェックインを済ませて、バッグを軽くして近辺を散歩する。ここは風が弱い分、宗谷岬ほど寒くは無い。駅の周辺をぐるりと回って、大きな土産物品店に入る。海産物を多く置いてある。生鮮魚介類が目に留まる。美味しそうである。ケガニ、タラバガニなどを試食する。やはり美味い。特にケガニが美味い。そこでいくつかの食品と日本酒4合瓶を買う。明日の列車の中で飲み食いする分である。
     
     

 その建物の2階は割烹になっていた。そこへ入る。まだ6時前だったが、外はもう真っ暗になっていた。夜ならば、堂々と飲む。そこは寿司も握ってくれるような店で、カウンターがあり、座敷も10室ばかりある広い店。そこの大将が気さくな人で、「そこに座って、話しやすいから」と自分の立ち位置に近いカウンターの席を勧めた。
 そこで生ビールを飲み、生ウニと銀ダラを注文する。銀ダラは空きっ腹にちょっと脂のあるものをと思って、生ウニは、利尻島がバフンウニの名産地と聞いていたので。
 「お客さん、ウニは10月1日で漁は終わったよ。今は禁漁期間だよ。」と大将は言いながら、生ウニの皿を出してくれた。見た目は、私が想像していたのと同じで、とても美味しそう。食べたら、想像通り美味い。で、大将の方を見ると、
  「それはね、いわば密漁モンだね。」と言い、ウニの皿に別のものを乗っけた。
 「これが、この時期スーパーで普通に売っているウニ。食べ比べてごらんよ」と言う。いやいや、普通のウニったって、沖縄で食べるのよりはずっと美味い。しかし、最初のウニに比べるとその味は数段劣る。私は満足感に浸る。酒を1合飲む。
 私が注文したのは生ウニと銀ダラだけであったが、「私はカニにはあまり詳しくないんだが、いいカニ味噌があるよ」と言いながら、カニ味噌も皿に乗っける。これも美味い。酒を1合飲む。さらに、その日作ったというイカの塩辛も出してくれた。塩気のほとんど無い、ハラワタだけで味付けしたような塩辛。これもまた美味い。酒を1合飲む。
 旅の夜、一人で飲む時はたいてい生ビールを1杯、日本酒を2、3合の私だが、この夜は銀ダラでも1杯飲んで、さらにその後、旅のオジサンが一人話の中に加わり、その話を肴にもう1杯飲んでしまった。いつもより酔っ払って、稚内の夜は終わった。
     

 7、カニラーメンで乗り遅れ

 旅の3日目の朝は早かった。稚内から旭川行きは朝7時10分発。それを逃すと午後の13時45分発となる。午後の便では旭川着が17時半頃となり、動物園に行けない。何としても朝の便であった、ホテルにモーニングコールを頼んで、何とか間に合う。
 列車でNさんに会った。Nさんは昨夜、飲み屋のカウンターで途中から話に加わった旅のオジサン。彼は神奈川の人で60代後半くらいの歳。前の週に『中川森の学校』という自然学習セミナーに参加し、その後、利尻島まで足を伸ばし、稚内にいたとのこと。
  Nさんは、じつは昨日旭川に向かう予定であった。カウンターの端の席でラーメン食って、店を出て、しばらくして戻ってきた。列車に乗り遅れたとのことであった。稚内旭川(札幌まで)間の列車は1日に3本しかない。逃した列車は最終便。ということで、Nさんはその夜稚内に1泊することとなり、我々の話の仲間となったのである。
 「いやー、あのカニラーメンがね、悪かったね。カニが多くてね、それを食べるのに時間がかかってしまってね。失敗だったなあ。」とのことであった。Nさんとはその後、旭山動物園でも一緒になる。動物園見学の後、彼は旭川空港から帰途に着く。
 稚内から旭川までは4時間近い列車の旅。そこでもまたオジサンはビール1缶を飲み、昨夜買っておいた酒4合を飲みつつ、トロっと旅する。
     

 8、野球も動物園も

  今回の旅、じつは私は日程を間違えた。10月の第一週のはずだったが、旅行会社であれこれ話をしているうちに第二週となってしまった。何か勘違いしたのだと思うが、何を勘違いしたのか覚えていない。第二週には模合(楽しい飲み会)があり、世界のウチナーンチュ大会(このHPで紹介したいと思っていた)があったのに。
 第二週はもう一つ不味いことがあった。プロ野球日本ハムファイターズである。パの優勝決定戦が11日から始まるのであった。お陰でホテルがなかなか取れなかった。札幌では駅から遠く値段の高いホテルになってしまった。日本ハムファイターズ の活躍は、私にとってはまったく運の悪いことであった。しかしそれは、言うまでも無く、札幌市民にとってはとても幸せなことのようで、札幌は街全体が笑っているみたいであった。

 日ハムが札幌市民に愛されているのは、球団や選手たちの努力のお陰であろう。観客を楽しませるためにいろいろ工夫しているということを聞いている。観客を楽しませるための努力はまた、旭山動物園にも言えるようだ。園内では、動物を楽しく見せるための工夫がいろいろなされていた。特に、案内所のサービスが充実していて良かった。
  北海道の人は、稚内の割烹の大将も人懐っこく親切で、客に喜んで貰おうとというサービス精神旺盛であったし、駅ビルの土産物屋のオバサンたちも気さくな人が多かったし、もちろん”概ね”のことであるが、周りと仲良くしようとか、周りに喜んでもらおうという気分を持った人が多いのではないかと、私は感じた。
 旭山動物園、しかし私はそう楽しくは無かった。ゆっくりじっくり眺めながら写真を撮るということを目的としている私には、人気があって観客の多い場所ではその目的が果たしにくいのであった。子供たちがいっぱいいて煩いし、狭い場所にたくさんの人が詰めてくると、一箇所で十分立ち止まるなんてできないし、よって、消化不良のまま動物の前を通り過ぎることが多かった。雨が降って1時間ばかりはぼーっとしていたし、携帯の電池が切れて、案内所で充電している間もまた、ぼーっとしていたし。
     
     
     

 9、ラーメン失敗

 私はウチナーンチュのくせして沖縄ソバがそう好きでは無い。嫌いでもないので食べないことは無いが、それでも平均して月に1食ぐらいである。
 麺類で私の好きなものランキングをつけると、蕎麦、うどん類、そーめん類、スパゲッティー類、沖縄ソバ、ラーメンの順となる。沖縄ソバよりラーメンは下位にきているが、食べる頻度はラーメンの方が多い。料理する時間の無い時などにインスタントラーメンを食べている。インスタント沖縄ソバもあるが、沖縄ソバは一種類の味しかないのに比べ、ラーメンはいろいろな種類がある。いろいろ食えば飽きないのである。
 いずれにせよ、私はラーメンを好んでは食べない。旅先でラーメンを食べることも少ない。過去に福岡の屋台で、北九州の屋台で、宮崎の店で経験したくらいである。何しろ蕎麦が好きなものだから、旅に出ると蕎麦を食う。あるいは、うどんが名産の地ではうどんを食う。うどんと蕎麦では断然蕎麦の方が多い。昼飯に天ざるを食う。天ぷらを肴にビールまたは日本酒を飲み、蕎麦を啜る。これが私の旅の楽しみの一つ。

  旭山動物園見学の後、旭川駅に戻って、ホテル(駅の傍)にチェックインして、バッグを軽くして、旭川美術館へ向かう。4時に入って、閉館の5時に出る。もうだいぶ遅い時間であったが昼食を取ることにした。駅に戻る途中に蕎麦屋はないかと探す。無い。駅の周辺をブラブラ歩き回る。蕎麦屋は見つからない。旭川はラーメンで有名であることは知っている。ラーメン屋がたくさんあることは想像でき、その通りたくさんあった。旭川といえど日本である。蕎麦屋も無いはずは無いと思い、探し続ける。が、結局蕎麦屋は見つからなくて、適当な場所でラーメン屋に入った。6時頃だったと思うが、客の一人もいないラーメン屋。ラーメンは思った以上に脂っこく、胃がもたれる。後悔する。
 ラーメンは失敗だったが、その前に行った旭川美術館は良かった。空海マンダラという企画展をやっていて、数年前から仏像に興味を持っていた私は大いに満足した。
     

 10、貧相だが旨い物好き

 旭川美術館に隣接して常盤公園という、地図で見ると割りと大きな公園がある。美術館見学の後、その公園を散策して、植物の写真を撮る予定であったが、既に辺りは薄暗くなっていた。まだ5時だというのにである。旅から帰って調べた。この時期、那覇の日の入りは18時ちょうど。5時ならばまだ昼間の内。6時半頃までは明るい。そして、札幌の日の入りは16時50分。5時を過ぎると薄暗くなる。

 その薄暗い中をトボトボ歩いて旭川駅へ戻った。ホテルに隣接したビルを、蕎麦屋を探しながらぐるぐる回る。駅前の商店街をぐるぐる回り、デパ地下で土産物、食い物を物色し、蕎麦屋が見つからないので、食べる予定では無かった旭川ラーメンを食い、少々後悔しながらその頃はもう真っ暗、夜である。暗い中をブラブラしながら飲み屋を探す。
 あるビルに温度計があった。6度。那覇ではかつて記録したことの無い低い気温。10度以下になることさえ2、3年に1回あるかないかという環境にいるウチナーンチュにとってはいちじるしく寒い。歩き回るのは止めて、ホテルのロビーに戻り、観光案内地図を見る。その中から「郷土料理」と名の付いた店を選び、そこへ向かう。
  旅先で飲み食いする際、私は、ガイドブックや観光案内地図に記載されている店に入ることはほとんど無い。ブラブラ歩いて、適当な店に入る。自分には旨いもの察知能力が備わっていると思っているからだが、1時間前のラーメン屋のように失敗することも多くある。それでも、失敗も旅の楽しみの一つと考えている。話のネタになるし。

 さて、観光案内地図で紹介されている店ならば、失敗は無かろうと思いつつ、選んだ店に入る。その店は、さすが観光案内地図で紹介されているだけのことはあって、客はいっぱい。私はそこで、生ビール1杯と日本酒2合を飲んだ。肴はエゾシカのたたきと焼シシャモの2品。酒も料理も旨かったが、値段は少々高め。稚内の大将のような気さくさはあまり無い。「貧相な旅人はあまり相手にしたくないなあ」という雰囲気がちょっと感じられて、居心地が悪かった。もちろん、店が悪いのでは無く、貧相な私の責任。
     

 11、自由席と指定席の謎

 北海道4日目、旭川の朝は寒かった。空調をしていなかったので、寒さを直接感じた。後で、テレビのニュースで知ったのだが、この日の最低気温は0度とのことであった。
 この土地は暗くなるのが早い。暗くなると写真が撮り辛い。早めに飲み食いして、早く寝て、早く起きて、朝早くから行動した方が良いと、昨夜になってやっと気付いた私は、昨夜は早く(11時頃)寝たので今朝は6時に目が覚めた。のだが、寒くてベッドから出ることができない。ウダウダして、二度寝して、結局起きたのは7時半。

 稚内から旭川の列車は、朝早いし、混むことは無かろうと予想して自由席にした。その通り空いていて、のんびりと酒を飲みながらの旅ができた。旭川から札幌行きは、少なくとも1両しかない自由席は混むであろうと予想して、指定席を取った。ところが、いったいJRは何を考えているのか知らないが、札幌行きの列車は下り列車とは逆に、4両のうち3両が自由席で、なおかつ指定席の車両もその三分の二は自由席であった。指定席は7列目までの28席しかなかった。その少ない指定席は当然、ほとんど埋まった。
  9時の列車に乗り、窓際の席で、先ずは朝のビールを飲む。気持ちいい。これだから旅は止められない。という良い気分で、JRの意図をしばらく考えた。下りは4分の3が指定席、上りは12分の1が指定席としているのは何故?・・・わがんねぇ。

 札幌駅に着いてすぐに北海道立近代美術館へ向かう。観光案内で訊くと、徒歩では遠いという。観光案内地図を見るとさほどの距離では無かろうと思ったが、美術館からの帰りは歩いて植物園、札幌大学を回って駅に戻るという行程にしようと決め、勧められた通りバスに乗る。美術館には11時過ぎに着く。2時間ばかりを過ごす。
     

 12、少年よ大石を抱け

 美術館から北大植物園へ行く。植物園ではたびたび立ち止まって写真を撮る。1時間半ほどを過ごす。そこから北海道大学へ、クラーク博士の銅像を見に。
 徳川家康の言葉だったか、「人生は重い荷物を背負って坂道を登るようなもの」(家康についても内容についても確かでは無い)というようなのことを聞いた覚えがある。聞いた時は「そうじゃ!」と思った若造だが、今は、「戦国時代のような厳しい時代に生きる人は大変だなあ」という感想である。今の私の人生にそのような厳しさは無い。
  人生はそう厳しいものでは無いということは若い頃から感じていた。有名になろうとか金持ちになろうとか、イイ女を我がものにしようとかなど思わなければ、割と楽に生きられるということは何となく解っていた。戦わなければ、人生は楽なのである。
 というわけで「少年よ大志を抱け」は、それが人の生き方における正しい言葉であるとするならば、私は落第である。「そりゃ、重いよ、大変だよ」としか言いようが無い。できれば、「小志でもいいよ」と付け加えて欲しいものだ。それなら私も、何とか。
 クラーク博士の銅像を見に行ったのは、その写 真を撮るため。写真を見ながら絵を描くため。クラーク博士の肩に大石を乗っけた絵を描くため。大志を抱くのは大石を抱くのと同じくらい大変な事という意味の絵。「男共、頑張れ!」って絵。
     

 その日の夜、飲み屋で、札幌時計台は日本の三大がっかり観光名所であるということを聞いた。確かに、時計台は想像していたよりも小さかったが、それよりも私は、札幌大学のクラーク博士像にもっとがっかりした。札幌大学にあったクラーク博士像は、教科書や雑誌でよく見知っている像では無かった。立って、右腕を水平に伸ばし、どこか遠くを指差しているあの像では無かった。札幌大学の像は、小さな(実物大)胸像であった。「これに大石は乗せられないぜ」と落胆しつつ、私は大学を後にしたのであった。
     

 13、道の広さ、区画の広さ

 札幌大学から駅に戻った頃はもう薄暗くなっていた。6時に地下鉄すすきの駅で待ち合わせの約束があったが、それまでまだ1時間近くある。駅に隣接した地下の生鮮食品売り場へ行って、買い物する。静岡に住む美人の友人Kさんに贈ろうと思って、初め、魚の干物、ウニの瓶詰め、タコの燻製などを選ぶ。ふと、干物を焼き、燻製を齧りながら、手酌で酒を飲んでいる美女の姿を想像する。いやいや、そんなことはするまいと、それらを全てキャンセルし、同じ店にあった北海道のカレー、チーズなどと替えた。
 そんなこんなで、そこの売り子のオバサン(おそらくその店の女将さん)と長く話をする。そのついでにすすきの行きの地下鉄駅の場所を訊く。
 「すすきのは南北線だから、そこを行くと駅があるわよ」と教えてくれたが、続けて、
 「だけどね、そう遠くはないから、街を見ながら歩いて行ったら」と勧める。で、私は勧められた通り歩いて行くことにした。素直なのである。
     

  観光案内所で貰った地図を広げる。すすきのまでは思ったより遠い感じがした。女将さんは「15分くらいよ」と言っていたが、早足で歩けばということなのだろうと解釈し、いつもよりは少し速めに歩く。寒いので、速く歩いても汗はかかない。地図を見ると大通り公園が中間地点にある。しかし、15分経ってもその大通り公園に着かない。だいたいが、この街は1区画がいちいち大きい。たいていの街なら1区画1分くらいだと思うが、ここはその倍以上ある。また、横断する道路もいちいち広い。札幌の地図は、沖縄の街の地図を3倍くらいに拡大したものと同じだと思わねばならない、とは後で思った。
 それでも何とか約束の6時にはすすきの駅に着いた。30分以上はかかっている。女将さんの15分は、「走っていけば」ということなのであったかと解釈した。でもまあ、歩いたお陰で、札幌時計台に遭遇した。後で、時計台は三大がっかり観光名所の一つだと聞かされたが、いやいや、確かに想像していたものよりは小さな建物であったが、なかなか良い雰囲気を持っていた。さて、三大がっかり観光名所の残りは何処?と訊くと、二つの内一つは不明だが、もう一つは沖縄の守礼の門ということであった。さもありなん。

 14、性風俗が溶け込む街

 すすきのというと男の遊び場所というイメージを私は持っていた。確かにそういった場所もちらほらあったが、すすきのは新宿の歌舞伎町みたいな場所とは違い、ごく普通の繁華街であった。買い物したり、食事したり、(男の遊びという意味でなく)遊んだりと、家族連れ、恋人同士、友人同士が集う場所であった。性風俗店が並んでいるというような一角は(少なくとも私が歩いて見た分では)無く、そのような場所はポツンポツンと点在しており、街の風景に溶け込むかのようにして存在していた。そのような店の前を子供や女子高生が歩いていたとしても、何の違和感も無いのであった。

 さて、「トロっと旅する北海道」最後の夜は、そんなすすきので飲むこととなった。店は海産物の美味しい店とのこと。このHPに口煩いオバサン役としてたびたび登場する従姉がいるが、彼女の娘が今、亭主の仕事の関係で札幌に住んでいる。店はその若い夫婦が選んでくれた。そして、一緒に時間を過ごしてくれた。じつは、「3、突然の雨で」の中で、琴似駅で私を待っていた美女とはその娘のこと。私とは子供の頃から仲良しで、私が目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた娘だ。
 海産物の美味しい店では、たくさんの種類の美味しいものを食べた。私は小食なので、一人で食べる時は2、3種類しか取れないのだが、若い夫婦が一緒だと彼らがいろいろ注文してくれるので、それらを少しずつ食べることができた。一人は気楽でいいのだが、こういう場合は人数の多い方が良いと改めて感じた。
 今の時期しか無いという「生ししゃも」をにぎりで食う。旨い。ブリ、マグロ、イカ、タコの刺身も旨い。カキフライ、焼きジャガも旨い。特に生ガキは、沖縄で食べるそれとはまったく違うものであった。一口で食えるのかいなと思うほどの大きな身を口の中に入れる。プリッとした感触を噛む。汁が口の中に広がる。それはもう、「甘い」という他言いようが無いほどの旨みが詰まったもの。沖縄で産地直送新鮮などといったものを何度か口にしているが、それらは何かしら苦味がある。北海道の生ガキはそんなもの一切無い。大きさは沖縄の倍以上あって、旨さは10倍以上ある。とても満足した。

  その日、ジンギスカンにしようかという話もじつはあった。「魚にして」と私がリクエストした。ジンギスカンは東京でしか食ったことが無いが、特に美味しいものだという記憶が私に無い。羊を食うくらいなら沖縄のヒージャー汁(ヤギ汁)の方がずっとましと私は思っている。ヒージャーの方が臭いし、肉に味がある。海産物では北海道にはるかに劣る沖縄であるが、羊系の肉についてはヒージャーの方に私は軍配を上げたい。
 「ジンギスカンにしようか?」と言ったのは従姉の娘である。好きなようである。
 「昨日食ったエゾシカのたたきもまあまあ旨かったぜ」と私が言うと
 「シカは食べない」と応える。
 「ジンギスカンは食うんだろ?どちらかというと鹿より羊の方が可愛いぜ」
 「ジンギスカンは食べ物なの!美味しいからいいの!」
エゾシカも食い物だし、まあまあ美味しいしと私は思ったのだが、彼女の、反論は許さないというキッパリとした口調に、それ以上は口にできなかった。可愛いのだが、目の中に入れても痛くないのだが、母親に似て気の強い女なのである。きっと、新婚家庭はカカァ天下なのであろう。私は、優しそうな顔をした若い亭主に同情するのであった。
     

 15、早寝でも遅起き

  帰る日の朝、酒の飲みすぎで疲れていたのだろう。寝坊した。8時前だった。飛行機は10時50分発。いつものことだが、慌てた。せっかく朝食代を払っているので、慌てて食べる。慌てて食べたせいで、胃がもたれ、胸をムカムカさせながら札幌駅まで歩く。思ったより時間がかかって、これを逃すと飛行機に間に合わないという最後から2番目の電車、9時25分発にギリギリ間に合う。立ちっ放しで35分、飛行場には10時過ぎに着いて、搭乗手続きを済ませたのが10時15分。35分の余裕がある。ゆっくり買い物する。9時25分発の次の電車だったら買い物は十分できなかったかもしれない。何とかセーフして、まったく私は、ラッキーなオジサンなのであった。

 新千歳空港駅へ向かう電車の中、車両内はとても混んでいて、私は連結部分のドアの辺りで立ちっ放しでなのであったが、そこもまた、右も左も人に触れるほど混んでいた。飛行場へ向かうのである。旅行用の大きな荷物を持っている人が多いということも、混んでいる原因の一つであった。そんな中、大きなバッグを下に敷き、その上に座っている若い女がいた。その女と私との間には斜めになって立っているオジサンがいる。彼女が立ちさえすれば、そのオジサンも真っ直ぐ立てるのであるが、他人の難儀はどうでも良く、自分の楽が大事だと思っているようである。若者の「自分さえ良ければ」という風潮はこの先の日本国にどんどん広まるのであろうか。ちょっと淋しく思う。

 さて、最後にそんな淋しい思いも感じながらの今回の旅は、行きはバタバタして、前途多難の予感であったが、稚内の夜はとても楽しく、旭川はまあまあ楽しく、札幌の夜はまた、とても楽しく過ごせた。日本ハムファイターズの”せい”で、いつもの安いビジネスホテルに泊まれず、宿泊代がいつもより余分にかかってしまったが、それはまたそれなりに、ちょっと贅沢な気分を楽しめたということで、良しということにした。
     

 16、ブルゾンが荷物

 帰る日の朝、テレビで天気予報を確認した。札幌の最低気温は約10度。飛行機に乗るまではブルゾンが必要である。那覇の最高気温は約29度。那覇に着くのは午後2時過ぎだからちょうど最高気温の頃である。しかもその気温は百葉箱の中の気温なので、実際にはもっと高い。おそらく31、2度はあるであろう。半袖Tシャツ1枚の世界である。ブルゾンなんてとても着ていられない。で、ブルゾンをバッグにしまう。
 私の旅はたいていデイバッグ1つの旅である。旅行期間中の着替え、カメラ、筆記用具などが主な荷物となるが、それらはバッグの半分以下に収まる。旅の帰りには土産を買って帰るが、7、8箇所分の土産を買うが、小さめのものにすればそれら全てもバッグの中に収まる。自分用の酒の肴も2つ、3つはたいてい収まる。今回はしかし、ブルゾンが邪魔した。結局、お菓子の箱は別途紙袋に入れて持つこととなった。
 お菓子の箱は別途となったが、酒の肴はバッグに収まった。北海道は酒の肴にことかかない。今回はいつもより多く買った。多くても、それらは全て袋入りで薄い。ホッケの干物2枚の他、ホッケの燻製、イカの燻製、タコの燻製、ホタテの燻製、タコの干物、ししゃもの佃煮風のもの、などなどがバッグの中に収まった。

  それらの肴の中で面白いものが一つあった。それは稚内で買ったものだが、その名前に惹かれて思わず買ってしまったもの。ラベルには「虫の珍味」とあった。よく見ると虫では無く、中と一が縦に並んで一文字に見えるもの。おそらく製造会社のロゴなのであろうが、「虫は美味しい」という本を前にちらっと読んでいたので、虫のようなロゴがすぐに目に付いたのであった。中身はもちろん虫では無く、タコの燻製のようなもの。
 「虫の珍味」は友人のHにあげたが、別の2つ、3つを先週の土曜日、馴染みの飲み屋へ持って行くつもりであった。その飲み屋、食べたいものは自 分で持っていかなければならない飲み屋なので、こういう土産は喜ばれる。もちろん私も食う。
 ところが、北海道4泊5日を、昼も夜もトロっと旅した私は、おそらく酒の飲みすぎで肝臓が疲れていた。帰って2日後の火曜日の夜は、腰に鈍い痛みも感じるほど。したがって、その後、飲む酒の量を減らしている。土曜日、馴染みの飲み屋へも行かなかった。賞味期限10月24日の燻製を食うのはきっと、賞味期限後になるだろう。
 それにしても、肝臓にダメージを感じるなんて、歳を感じてしまう。この先も私は、酒を飲む旅をしたいと思うのだが、果たして、オジサンの肝臓は持ってくれるだろうか。今回の旅は楽しい旅だったが、家に帰ってから不安を感じる旅となってしまった。

 以上、トロっと旅する北海道の報告は終わり。
 記:ガジ丸 2006.10.21~10.26 →ガジ丸の旅日記目次