ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

幸せな分身、真迦哉

2014年03月07日 | ガジ丸のお話

 沖縄の夏場、梅雨明けの5月上旬から9月いっぱいまでは、概ね熱帯夜となる。部屋にクーラーはあっても使わない私はその熱帯の中、汗をたっぷりかき、寝苦しさで夜中何度も目を覚ましながら熱帯に耐え、朝5時前には起きて、畑へ行っている。寝苦しさはあっても、睡眠は十分取れているようで、目覚めは良く、昼間眠くなるようなことは無い。それでも、冬場に比べれば「寝たぞー!」という満足感はずっと少ない。
 その冬場である今、毎日「寝たぞー!」という満足感を得ている。十分な満足感は概ね掛け布団を使うような気候となる11月頃から始まり、この先4月いっぱいまでは続く。この間の私は寝坊することが多い。寝ていることが幸せでしょうがないのだ。
     

  夢も見ないほどぐっすり寝る、寝て起きたら朝だったというほどぐっすり寝る、などというのが良い睡眠と言う人もいるだろうが、私は違う。レム睡眠、ノンレム睡眠をリズム良く何度か繰り返しながら、一晩にいくつもの夢を見て、何度かの夢の後に目覚める。これが私にとっては良い眠りとなっている。夢を見ている間幸福感に浸り、睡眠時間は十分なので、体のリセットもできており、目覚めもスッキリしている。
     

 毎晩、いくつもの夢を見ているが、そのほとんど全てが楽しい夢となっている。若い頃は空を飛ぶ夢、高い所から落ちる夢、正義のために戦う夢、超能力を駆使して敵に立ち向かう夢、追われる夢、傷つけられる夢、殺されそうな夢など、楽しいことも怖いこともいろいろあったが、オジサンという年齢になってからの夢は概ね現実的なものが多く、それも自分に都合の良い楽しい夢ばかりで、怖い夢はほとんど見なくなった。
 夢の中の私をもう一人の自分として、彼の名前を仮に真迦哉としておく。真迦哉はとてもモテる男で、美女たちから毎日のように言い寄られる。それらをひらりひらりとやんわりかわしながら、時には美女と一夜を共にする。幸せな人生を送っている。

 夢の環境設定はほぼ現実的なので、登場人物たちも身近な人が多い。年に数回は会う親しい親戚友人知人がレギュラーのように出演し、現実には滅多に会わないが、若い頃親しくしていた高校の同級生や部活の先輩後輩なども時々ゲスト出演する。
 たまには、会ったことのない大物ゲストも出てくれる。先日はタモリが出てきた。「笑っていいとも」がこの3月で終了することを噂に聞いていたので、その話となり、「沖縄に別荘を造って、年の数ヶ月はそこで暮らそうと思う。敷地は広いので、別荘の近くに小屋を建てるから、あんたそこに住んで別荘の管理をしてくれないか?」と依頼された。その後どうなったか記憶はおぼろげだが、「そりゃあもう喜んで」となったと思う。

 大物ゲストはタモリの他、何人も(私がテレビで観て知っている人のみ)出てくるが、それはやはり女性が多い。女性の美人どころが多い。美人も若い人が多い。
 若いかどうか意見が別れると思うが、真迦哉から見ればずっと若い中森明菜、歌手の中森明菜だ。彼女がある日、真迦哉の住む小屋にやってきた。
 「私、中森明菜です。」
 「そりゃあ、見りゃ判る。」
 「私、畑仕事が好きなんです。一緒にやらせてください。」
 「仕事は?歌手はどうするの?私と一緒の農業では稼げないよ。」
 「歌手は辞めました。でも、印税が入ってくるのでお金は大丈夫です。」
 などといった会話があって、真迦哉は「何でこんなイイ女が俺の所へ?夢でも見ているのかなぁ」と思う。そこで「こりゃあ夢だな」とレム睡眠の私は何となく気付ている。気付いたけれど夢はなおも続いた。中森明菜の今にも壊れそうな表情と、今にも壊れそうな声に魅入られて、真迦哉は中森明菜と暮らすことになった。一緒に畑仕事をし、家に帰ってあんなことをし、こんなことをし、桃色の日々が続く・・・ところで夢は終わり。
     
     

  高校の同級生で、当時は可愛かった数人の美女とも真迦哉はあんなこともこんなこともしている。念のために言っておくが、私はさほどスケベではないのだが、真迦哉の前で彼女達は服を脱ぐので、「よせよ」と言いつつ、真迦哉も付き合ってしまうのだ。
 楽しい夢は美女とのあんなことこんなことだけではない。いつか見た、もうおぼろげにしか記憶していないが、友人知人親戚たちの中でいくらか政治社会に興味を持っている人々が集まって「沖縄の基地問題解決」を祝う酒宴があった。あれこれ運動して、解決に至るまでのプロセスもあったと思うが、そういったことは全く覚えていない。ただ、酒宴の席に菅原文太と高倉健が顔を見せていたような記憶はある。

 女性には大モテで、社会のため、平和のためにも力を発揮し、多くの人から認められている。真迦哉はそんな男だ。何という羨ましい人生。
 そんな幸せな人生を送っている真迦哉は私の分身である。夜になると私は真迦哉に変身して、彼の住む世界で幸せを味わっている。真迦哉はもう一人の自分である。彼が溢れんばかりの幸せを味わっているので、現実の私が多少不遇だとしても二人合わせれば幸せの方が余る。と考えると、私は今、幸せであると言える。
 と考えると、夢は大事だ。その人の幸不幸に関わってくる。昼間たっぷり働いて、夜はぐっすり寝て、楽しい夢を見るのが幸せの道というわけだ。
 いや、ちょっと待て、私は楽しい夢がずっと多いが、人によっては楽しい夢ばかりとは限らない。悲しい夢、苦しい夢を多く見る人もいるだろう。その人たちはじゃあ、幸せになれないのか?どうしたら楽しい夢を見られるようになるのか?
 と考えると、私が楽しい夢ばかりなのは、元々私が呑気で楽観的性格だからだと思う。楽観的性格の人はたぶん、夢も楽しいものを多く見るのであろう。
 と考えると、私が寝ている間の私の分身、真迦哉が幸せなのは私のお陰ということになる。私が呑気で楽観的性格だから真迦哉は楽しい出来事ばかりに出会うわけだ。

 寝ている時間も人は生きている、生きて、夢の中でいろいろ経験している。泣いて笑って、歌って踊って、愛して愛されている立派な一つの人生だ。
 と考えれば、寝ている間の真迦哉の人生と、起きている間の私の人生とを足したものが私の全人生となる。真迦哉が楽しく幸せに生きているとすれば、起きている間の私に何か特別な幸せ事が無くても、私は既に十分な幸せを得ているわけだ。
 いや、ちょっと待て、夢の人生が十分幸せなので起きている間の私は何か特別な幸せ事を求めない。よって、、起きている間の私は楽観的になっている、のかもしれない。
 と考えると、私が楽観的性格なのは真迦哉のお陰ということになる。うーん、鶏と卵みたいになってしまった。「私が楽観的だから真迦哉が幸せ」、「真迦哉が幸せだから私が楽観的」、どっちが先だって話だ。まあ、お互いが幸せであるようお互いに協力すれば良いということにしよう。「楽しく生きろ!」と、私は真迦哉を応援しておこう。
     

 記:2014.2.28 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次