ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明036 カビカビン

2009年07月03日 | 博士の発明

 シバイサー博士の新発明、過美化瓶は、その名の通り「美しく変化させ過ぎた瓶」。そんな瓶がいったい何の役に立つんだろう。

 「瓶そのものに価値があるから中身を問わないのだ。」
 「中身はどうでもいいってことですか、それがどういう意味を持つんですか?」
 「瓶を見て美しいなあと思う。美しいなあと思うと幸せになる。それで十分。それ以上のことは問わなくなる。中身なんてどうでもいいと思うようになる。」
 「それはそうでしょうが、それがどういう意味かと・・・?」
 「解らん奴だなぁ、『美しく変化させ過ぎた』の『過ぎた』を考えろ。ただ、美しい瓶なら『美化瓶』でいい。そこに何故『過』が付いたかだ。」
 「何故『過ぎた』が付いたですか、美し過ぎるってことですよね。うーん、『過ぎたるは尚及ばざるがごとし』と何か関係ありますか?」
 「関係あるも何も、そのことを言うておる。見た目の美しさに心が奪われて、物の本質を見失うことが世の中には多々ある。この瓶はそれを象徴している。」

 「博士、しかし、お言葉を返すようですが、美しい瓶は美しいというだけで、瓶そのものに存在価値があります。瓶そのものが本質と言ってもいいと思います。」
 「君、君の耳は耳糞が詰まっているのか、いいか、よーーーく聞けよ。瓶そのものが本質であって中身は必要無いのであれば、それはもう瓶では無い。オブジェであって、美術品になるかもしれないが、用途としての瓶の存在価値を失っている。『過ぎた』ということがそういう結果を生んでいるということだ。」
 「あー、そういうことですか、何となくですが解ったような気がします。『過ぎ』てしまえば、その本質も変わってしまうってことですね。」
 文明の発展と共に、人間が、その生きる本質を見失っているということを、博士は戒めようとしているのかもしれない。いつもテキトーでやっている博士だが、やはり、心底では真面目に社会のことを考えているのだと、改めて見直した。ところが、

 「さて、このカビカビンの本質なんだが、これは実は、機械なのだ。」
 「機械?」には全然見えない。きれいな花瓶にしか見えない。
 「そう、早く言えば、掃除機だ。」
 「掃除機?・・・には見えませんが、どう使うんですか?」
 「この台の上に乗せて使う。」と博士は言って、4輪の台車の上に花瓶を横にして置いた。すると、台車ごと花瓶は床の上を勝手に動き出した。
 「この掃除機はカビ専用の掃除機だ。カビに敏感に反応してカビを吸取る。」
 「それは、名前はともかく、良いですね、役に立ちますね。」と言いながら、私は花瓶を見ていたのだが、花瓶は棚の隙間のところで止まっている。
  「博士、花瓶の掃除機、棚のところで止まってますね。」
 「きっと棚の下にカビがいっぱい生えている。カビには敏感だからそこに固執する。しかし、図体がでかいのでその隙間に入っていけない。で、立ち往生する。」
 「カビって、だいたい狭いところに多いですよね、そこに入っていけなかったら、ほとんど役に立たないということになりますね。」
 「それは仕方ない。名前が先に浮かんだのだ。花瓶形は必要条件だ。」

 なるほど、と思った。カビに敏感に反応してカビを吸取るのが本質の掃除機、それを駄洒落のために役に立たない形にしてしまう。駄洒落も『過ぎ』てしまえば、ものの本質を見失ってしまうということを、博士は実践しているわけだ。
 「ところで、名前なんだが、じつは、過美化瓶にしようか華美花瓶にしようか迷っている。君ならどっちがいいと思う?」と博士が訊いたのだが、どっちでもいいやと私は思ったので、その返事は濁したまま失礼した。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.7.3