ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

摩文仁の丘

2014年06月27日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 今週月曜日(23日)、従姉のK子に誘われて糸満市摩文仁へ出かけた。6月23日は慰霊の日、69年前のその日、沖縄戦における組織的戦闘が終了した日。その日、摩文仁の丘にある平和記念公園で沖縄全戦没者追悼式があり、それに参加した。
  倭国に住んでいる親戚友人たちが沖縄に来た時など、彼らを案内して私は摩文仁(マブニと読む)へ何度も行っている。が、沖縄全戦没者追悼式には初参加。一度は行ってみたいと思っていたので、その日は晴れて畑日和だったのに、畑を放って出かけた。県内外からたくさんの人が訪れていた。私も沖縄戦を改めて考える良い機会となった。

 平和記念公園に最初に行った年月日はいつだったか覚えていないが、ずっと若い頃だ、公園が開園(1978年)して間もない頃だったと思う。既に私は運転免許を取得しており、ドライブがてらだったと思う。一緒に行った人はよく覚えている。当時、デート相手だったM女、「何で掴まえておかなかったんだ」と今でも後悔している唯一の女。
  初めて彼女と行った日、平和資料館を覗いて、そこの壁に飾られていたピエロらしきものを描いた油絵に魅入ったことを、彼女の顔と共によく覚えている。今の平和資料館は当時のものとは違っている。だいぶ大きく、立派な建物になっている。今回は資料館へ入らなかったが、何年か前に入った時、ピエロらしきものを描いた油絵を探したが無かった。良い絵だと私は感じたのだが、一般的には評価されなかったのかもしれない。

 最初に行った時かどうかは覚えていないが、・・・いや、今調べた。ずっと後になってからだ。平和記念公園には平和の礎(イシジと読む)なる構造物がある。沖縄戦で亡くなった人たちの名前を刻んだ墓碑銘だ。建てられたのは1995年というので、公園の開園から17年後のこと。私はおそらく、建てられて間もない頃に見に行っている。敵も味方も全てが戦争の犠牲者であるという平和の礎の理念に感動したことを覚えている。
  平和の礎には戦争の犠牲となった沖縄人はもちろん、全国各地から来て沖縄戦で死んだ日本の兵隊も、日本軍の一員として強制的に連れてこられ死んでいった韓国人も北朝鮮人も台湾人も、そして、敵として戦ったアメリカ人やイギリス人たちの戦没者も、その名前が刻まれていて、全てが戦争の犠牲者として慰霊されている。

 糸満市摩文仁近辺は沖縄戦の最後の激戦地であった。近くには有名なひめゆりの塔があり、学徒兵を慰霊する健児の塔がある。摩文仁は多くの沖縄の民間人が自決した場所でもある。そして、沖縄にいる日本軍の最高司令官牛島中将が自決した場所であり、その自決によって沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされている。ということで、平和を希求する沖縄人の心を示すため、ここに平和記念資料館を置き、辺りを公園にしたのであろう。
  敗走して、海端まで追いつめられて、多くの人が「もはやこれまで」と摩文仁の崖から海に飛び降り自殺したらしい。生前の父から聞いた話、私の祖父も家族を連れて南風原の家から爆撃の中を逃れて摩文仁へ辿り着いた。妻(後妻で、血縁としてはK子の祖母)、息子(私の父)、娘たち(私の伯母たち)と崖から飛び降りることにしたらしいが、その直前になって「帯を忘れた、武士たるもの帯を締めずに屍を晒すのは恥」と祖父が言い、帯を取りに家に戻ったらしい。その途中で捕虜となり、命拾いしたという話だ。

  6月23日、一緒に摩文仁へ行った従姉のK子、彼女の姪にあたるS女の2人を沖縄全戦没者追悼式が行われていた会場近くに残して、私は公園内の散策に出た。「沖縄全戦没者追悼式があり、それに参加した」と上述したが、式典そのものには、私は参加していない。多くの来場者同様、戦没者を追悼する心は持っていたが、かつて酷い目にあった沖縄に新たな基地を建設しようとする日本国総理大臣や、それを許した沖縄県知事の挨拶など聞きたくなかったので場を離れた。ただ、平和の礎には手を合わせた。
 摩文仁の丘には多くの都道府県の慰霊の塔も建てられている。会場を離れ、丘に登ってその数ヶ所を見ながらのんびり歩いた。覗いた塔の前には全て献花があった。一つの塔では、数人が弁当を食べていた。「他府県からも参加者が多くいるんだな」と判った。

  空は晴れて強い日が差していた。日向を歩くと暑かった。でも、風が優しく吹いていたので木陰に入ると涼しかった。歩いて汗をかきつつ、木陰でひと休みしつつしながら、岸壁の崖っぷち(といっても、柵があったので危険では無い)に立った。
 崖の上から太平洋を眺めた。海はきれいだった。波は穏やかだった。「ここから飛び降りるのか」と思って下方を見た。「飛べないこともないな」と思った。「生きていることが死ぬより辛くなったら、5回転5回ひねり位しながら飛んでやるか」とも思った。そして、「生きていることが死ぬより辛くなる」ことが起こらないよう祈った。

    
     
     
     
     
     

 記:2014.6.24 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行