6、宮古島(5泊目)
1)大神島(ウガンジマ)
9月13日午前11時、11時島尻港発の船に乗って大神島へ渡る。大神島、前夜の宿の女将さんに聞くまでは「おおがみじま」と読んでいたが、「ウガンジマって言うのよ」と教えて貰った。そう言われたらその通り、大神島を敢えてウチナーグチ(沖縄語)読みすると「ウフガンジマ」となる。さもありなん、沖縄と宮古は兄弟だ。
大神島ではさほど観るものもなく、のんびりと散歩する。途中、大神中学校の廃校跡を見る。島に残っている中学生は船に乗っての登下校となっているのだろうか。
島の展望台に上り、360度の景色を眺め、港近くの海岸に浸食された岩が並んでいる景色を眺めなどしながら、午後1時発の船に乗って宮古島島尻港へ向かう。
2)平良市の町並み
島尻港からタクシーで平良市にある今夜の宿、宮古第一ホテルへ。チェックインしてホテルのロビーで同行のKとこの先どうするか会議。レンタカーは今日も混んでいて空きがないとのこと。なわけで、結局この後は各々のんびり過ごすことに決定。
2時半、1人宿を出て宮古島平良市散策。途中、昭和シネマ茶屋というレトロな喫茶店を見つける。面白そうであったが中へは入らない。私の興味を引いたのは熱帯植物園、そこへ向かって歩く。ところが、炎天下は暑い、暑さに参って途中でギブアップ。
3)路線バスの親切
熱帯植物園を諦めて、バスに乗って東平安名へでも行くかとバスターミナルへ行き、そこの案内所で相談する。「東平安名も来間島もバス停から1時間以上歩くよ、それに、午後からは便数も少ないから止めた方がいいよ」と言う。
バス会社の人が「バスを利用しなくていいよ」と言っている。それがあなたのためだという親切なアドバイスだ。ということで、バスに乗ってどこかへは中止。
4)土産は八重山産
バスターミナルからブラブラのんびり歩いて、スーパーなど寄りながら港へ行く。港の売店で土産物を物色しながら時間を過ごし、午後5時頃にはホテルへ戻ってビール飲みながら一服。港の売店で面白そうなお菓子を見つけ買った。ところがそれ、ホテルに帰ってよく見たら、宮古島産ではなく八重山産のお菓子であった。宮古島へ行って八重山土産を買ってきたなんて言ったらバカにされそうなので、それは土産にはせずそこで食った。
その日の夜は「民謡ライブをやっている店を探し、夜はそこで過ごそう」と同行のKと相談し決めていた。シャワー浴びて午後7時頃、Kと2人出掛ける。
5)失敗の島唄ライブ
島唄ライブ、沖縄では民謡酒場という名前で親しまれているが、民謡を演奏するライブハウス兼飲み屋。島唄ライブ(宮古島観光冊子にそうあった)という名前で、ホテルのパソコンを借りて検索するが、結局は、それが確かだろうということでホテルの人に訊き、今回の旅を計画してくれた同行の友人Kと2人、ホテルが勧めた店へ行く。
私は煩いのが苦手である。民謡は概ね煩くないので、ゆったり民謡を聴きながら旨い酒を飲み良い時間が過ごせるだろうと期待した。ところがしかし、7時半からライブは始まるが、アンプを通してのサンシンの音が煩いし、曲目は最近の沖縄のヒット曲ばかりで、唄も煩い。民謡ライブというよりポップスショーといった感じ。MCも煩かった。
1回目のステージが終わったところで私は帰り仕度。同行のKが料理をたくさん注文していたのでそれを味見している内に2回目のステージが始まった。で、私は慌てて残っていたコップのビールを一気に飲みほして、Kを1人残して店を出た。
6)大神島情報:大神島の総合観光情報サイトから抜粋
宮古島本島北部に位置し、宮古島の北海岸に位置する島尻集落にある島尻漁港が、島に向かう唯一の交通機関・大神海運(ニューかりゆす)がある。 島までは約4キロ。島の周囲が2.7キロ。 標高は約75メートル・島の一番高いところまではロープを伝って上ることができる。 面積は0.27平方メートル。 平成19年5月現在、世帯数17戸・人口40人。
7、帰る日
1)やっとレンタカー
ライブハウスからスーパー寄って泡盛の小瓶などを買いホテルへ戻る。同行のK、1人酒場で飲んでいるのが嫌だったのか、彼もホテルに戻っていた。Kはレンタカー屋に片っ端から電話して、12~13件目でやっと見つけたとニコニコ顔で言う。
「そうか、明日はずっと運転ということになりそうだな、ということは、今夜はあまり飲めないな」となり、購入した泡盛1合瓶は半分以上残した。持って帰ったけど。
9月14日の金曜日、朝9時、レンタカー屋の車がホテルに到着。レンタカー屋の話によると、週末台風が接近するということで、レンタカーにもキャンセルが出て空車もあったとのこと。台風は困るが、そのお陰で車を借りることができたということになる。
2)東平安名崎
ホテルを9時過ぎに出て、先ずは東平安名崎へ向かう。カーナビのついていないレンタカー、助手席のKも方向音痴であてにならず、道に迷って迷って時間はかかったが、それでもなんとか東平安名崎到着。そこで私は、海岸植物の多くに出会えて収穫大。
宮古民謡には不明の私なので、「マムヤのあやぐ」という唄も知らなかったのだが、東平安名崎に「マムヤの墓」という文化財があった。その説明文を要約すると、
マムヤは女性の名前で絶世の美女、妻子ある男が彼女に惚れて恋仲になる。ところが男は、「将来のことを思えばマムヤよりは糞尿の匂いがしても妻の方が良い」と諭され、マムヤを見捨てる。それを知ってマムヤは自殺する。・・・というようなこと。
マムヤは香草の芳しい香りがしたとのこと。それに比べ「糞尿の匂いがしても妻」という例えが面白い。申し訳ないが悲劇なのに可笑しさが先立った。もう1つ、「悲嘆にくれた母親は再びこの村に美人が生まれないようにと神に祈願した」とも説明文にあって、この世から美人がいなくなったら男は困るぜとこれまたふざけた思いで、印象に残った。
3)来間島
東平安名崎を11時過ぎには出て来間島へ。車を置いて近辺を散策する。その途中で「来間島憲法」とある立看板を見る。憲法とは大げさだが、内容を読むと、来間島を美しく保つためのお願いみたいなことが書かれてあった。自然が豊かに残っている島だ、そこを汚さないようにする、「憲法で良し」と思った。
展望台に上って景色を眺め、遊歩道を散策し、パーラーでマンゴージュースを飲む。来間島に着いたのは12時過ぎ、1時間ほどいて、1時過ぎには出て空港へ向かう。
4)来間島情報:来間島の総合観光情報サイトから抜粋
宮古本島の下地側から海を挟んで前浜の沖1・5キロの海上に浮かぶ小さな島が来間島(くりまじま)。来間大橋の開通によって、大勢の行楽客や観光客が島を訪れるようになりました。面積2.75平方㎞・周囲10㎞・海抜40㎞にある島。
5)酒の島
旅の初日は宮古島泊り。宮古と言えばとオトーリが私の認識にある。オトーリとは宮古の酒宴での儀式の一つ、酒は旨いと思っている私は旨く飲める自分のペースで酒は飲みたいので、オトーリのような押し付けペースは好きで無い。そういう酒宴になったら嫌だなぁと思っていたら、「オトーリも今は特別な席で無いとあまりやらない」と一緒に酒を酌み交わした宮古の人何人かが語ってくれた。その情報通り、5泊6日の宮古諸島の旅で、民宿での宴会でも飲み屋でもオトーリの光景には出会わなかった。
それでも、宮古諸島が酒の島であることは感じた。地元の人が利用するスーパーで、地元の人が普段何を食べているかを知るのは私の趣味で、倭国を旅する時にもそれはやっている。宮古諸島でも小さな商店も含め何ヶ所か店内を見て回った。酒の、特に泡盛の瓶の数が沖縄(私が住む宜野湾や時々通う那覇、浦添、西原などのスーパーや商店)のそれに比べ多いと感じた。資料はないが、酒の消費量、宮古島は多いのではないか。
6)旅の終わり
旅の出発の日、飛行機に乗る前に携帯電話を忘れていることに気付いた。取りに帰る時間などない。私は普段でも携帯電話をたまに忘れて外出する。特に誰かからの連絡待ちでもない限り、「まぁ、いいさ」と取りに帰ることはない。しかし、この時は5泊6日の長時間電話無しとなる。旅先からメールすることもできない、残念なことであった。
その他、宮古民謡が生で聴けなかったこと、ヤシガニが食えなかったことが心残りであったが、写真をたくさん撮って、まだ見ぬ花や鳥にも出会えて収穫は多くあった。
楽しいことはたくさんあった。多良間島の宿では土地の人、旅の夫婦と飲み食いユンタク(おしゃべり)でき、伊良部島の宿では女将さんと多くユンタクでき、池間島の宿ではたまたま開かれた宴会に招かれ、たくさんの人と飲み食いユンタクできた。
全体としてみればとても楽しい旅となった。この旅に誘ってくれ、私が貧乏であることをよく知っていて旅費も負担してくれたKに感謝したい。そうそう、残念がもう1つ、池間島での宴会があまり楽しくてその時の写真を撮り忘れた、それが悔やまれる。
9月14日、来間島を1時過ぎに出て、途中の食堂で宮古ソバを食って2時頃には空港へ着く。楽しかった旅の記録をノートに書きながら出発を待ち、15時00分宮古発15時45分那覇着の便に乗って家へ帰る。宮古諸島オヤジ二人旅2012の記録は以上。
記:2017.3.11 ガジ丸 →ガジ丸の日常目次