自然の作る美味さ
先々週金曜日(1月13日)、友人Kが日本酒と珍味を手土産に引っ越し祝いに来た。酒とメインの肴は彼に任せて私が準備したのは座卓と器と副菜となる野菜。
座卓は既にある長火鉢を使えば良いが、その日は南の島沖縄も冷えて長火鉢に炭を熾す予定。そうすると、炭に場所を取られて長火鉢は2人分の飲み食いテーブルにしかならない。Kの女房も一緒だと飲み食い場所が不足する。で、その日の昼間、座卓を作った。
作った座卓と、日本酒を入れる竹筒の器といくつかのぐい飲み器を準備し、副菜の野菜は畑のニンジンを数本収穫していた。そして、夕方5時、Kが来る。
Kは1人だった。「Sさん(Kの女房)は一緒じゃないの?」と訊くと、
「彼女はバイトしていて帰りは遅い」とのこと。ということで、飲み食いテーブルは長火鉢のみとし、それも和室に下ろさず、そのまま椅子に腰かけての飲み食いとした。
Kが持参した肴は、クジラ肉一式、刺身盛り合わせ、ナマコ酢、ワタガラス(酒盗)など。いかにも酒飲みの肴だ。珍味で思い出した、その場でもKと2人で40年前を懐かしんだ話だが、大学時代、吉祥寺に峠という飲み屋があり、2人でよく通った。峠には珍味がいろいろあった。くさやを食った、めふんを食った、このわたを食った、はちのこを食った、イナゴを食った。他の店ではカエルを食い、スズメの姿焼を食った。
後期オジサンとなった今でも「珍しい食い物」に興味はあるが、若い頃のように食欲は湧かない。わざわざ那覇のスーパーでKが選んで購入して持ってきてくれたせっかくの珍味であったが、今の私が美味しいと思うものはそこはかとない美味さである。
私が私の畑で育てた野菜たちがそこはかとない美味さを持っている。そこはかとないが確かな美味さだと私の舌は感じている。その日、Kが来る前に畑へ行ってニンジンを5本ばかり収穫していた。5本の内1本は明日の朝飯として自分用。残り4本はKへお土産のつもりであったが、「生でそのまま食べてみ、美味いと思うよ」と自分用の1本の半分を洗って、私がいつもそうしているように皮を剥かずに彼の皿に乗せた。
Kは流通業界にいて、その仕入れ部門に長くいる。彼が仕入れるそのほとんどは飲食物だ。なので、流通する飲食物の何が美味いかもよく知っている。彼なら私の作る自然栽培のニンジンの美味さが解るはず。案の定、ボリボリ食べて「美味い!」と発した。
「だろ、この4本はお土産だ、家に持って帰って家族で食べて」
「いや、土産はいいよ、これも今食べよう」となって、結局、その日収穫したニンジンは1本の半分を残して全てはKの腹に収まった。私のニンジンがKに認められた、嬉しいことである。というか、本音を言うと、認められて当然という気分。
実は、私の野菜はニンジンだけでなく、ダイコンもキャベツもトマトも生で美味い。ニンジンはしっかりとニンジンの味がする。雑味や癖も含めてニンジンの味がし、何の味付けをしなくてもそこはかとなく美味い。他の野菜も以下同文。それらはたぶん、自然が作りだす美味さと言っていいだろう。食べて幸せを感じる美味さだと私は思う。
記:2017.1.23 ガジ丸 →沖縄の飲食目次