ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

奴隷の形

2008年01月25日 | 通信-社会・生活

 わけあって働くことができないのに、生活保護を受けられずに死ぬ人がいる。というニュースを前に、何ヶ月か前にテレビで観た。理不尽な話である。そのニュースではまた、働けるのに不法に生活保護を受けている人もいるということも付け加えていた。
 不法に生活保護を受けている人には困ったものだが、それなりのペナルティーを科して欲しいが、本当に必要なのに生活保護を受けられない人は、「困ったものだ」では済まされない。生きるか死ぬかの問題なのである。
 私も独り暮らしで、老後に多少の不安がある。後10年もすれば定年となり、その後数年で、僅か(薄給なので)ながらも年金が貰え、何とか食っては行けると思うが、沖縄の建築業界はだいぶ前から不況にあり、私もいつリストラされるか分らない。そうなった時に生きる術があるのか不安がある。貯金はほとんど無いし。

  生活保護を受けられずに死ぬ人がいるということはつまり、「動けざる者は死ね」という政治、あるいは社会ということであろう。国家の品格というのが昨年話題になったが、品格で言えば、それは全く下品な社会であると思う。そんな社会は、現在の日本に現実にあるようだが、ここでは論外ということにしたい。
 もう一つ、富裕層と貧困層に二分化される格差社会も、私は下品だと思っている。グローバルとか自由競争だとかいう、どこぞの大統領、沸酒とかいう大統領が好んで、他国へ押し付けている考えは、その国、地域の歴史、文化、風俗などを無視したものであると思う。お金は大事だが、金儲けが一番という社会は、やはり下品であろう。

 富裕層にとっては贅沢するための金だが、貧困層にとっては生きるための金である。生きるためには多少の無理をし、不自由にも耐える。昔、鞭によって自由を奪われていた奴隷であるが、ここでは金によって自由を奪われる奴隷の形となる。
 お金によって自由を奪われるというのはこれまでの社会にあり、働いている多くの人がそういう気分を味わっているかもしれないが、ここで言う奴隷の形は、そうするより他に生きる術が無いという所まで追い詰められた形である。
 もちろん、奴隷が存在する社会というのは大下品であると私は思う。
          

 記:2008.1.25 島乃ガジ丸


瓦版049 マミナ先生の絵本

2008年01月25日 | ユクレー瓦版

 去年の11月頃からマミナ先生がユクレー屋にあまり顔を見せなくなった。正月に久々にやって来た時に、「最近顔を見せないね、忙しいの?」って訊いたら、絵本作りに没頭しているとのことだった。
 「絵本って、絵も描いてるの?」
 「いや、絵はあんまり得意じゃないからね、ガジ丸にお願いしてるさあ。」
 後日、ガジ丸にそのことを訊くと、
 「話ができたら、それを読んで絵は描くつもり。」との答えであった。

 それから二週間ばかりが経った昨日、ガジ丸がユクレー屋にやってきて、まあ、普通に酒を飲んでいたのだが、私が絵本のことを思い出して、尋ねた。
 「そういえばさ、マミナ先生の絵本はどうなったの?」
 「あー、あれか、絵はとっくにできて、マミナに渡してあるよ。」
 「どんな内容なんだい?」
 「たぶん、もうできているだろうから、今日か明日にでもマミナがその絵本を持って、見せに来ると思うぜ。」
 「それまで、話の内容は秘密ってわけ?」(マナ)
 「そういうことは無いんだが、俺が話すより実物を見た方がいいんじゃないか?」
 「そりゃあそうだな。」とケダマン。

 で、話は別の話題に移ったのだが、それから1時間もしないうちに噂のマミナ先生がやってきた。ガジ丸の予想通り、手に絵本を持っていた。

  「やー、マミナ先生、それが噂の絵本だね。」と私が訊くのに答えず、
 「あー、良かった。ガジ丸もいたんだね。一等最初にガジ丸に見せなくちゃっと思っていたんだよ。」と言って、手に持った本をガジ丸に渡す。みんなが覗き込む。
 「おー、手作りにしちゃあなかなか上出来じゃないか。」(ケダ)
 「はいな、私の処女作だよ。もっとも、私は40年以上も前に処女ではないけどね。自分で言うのもなんなんだけど、素人にしちゃあ、まあまあだと思うよ。それよりさ、ガジ丸が唄も作ってくれたんだよ。そっちの方が面白いね、悔しいけど。」
     

 ということで、今回の瓦版はマミナ先生の絵本『かばのかばん屋』の紹介。
 ちなみに、「かば」はカバ(河馬)のこと。アフリカや東南アジアに生息するウシ目カバ科の哺乳類で、主に水中生活をしている口の大きなあのカバ。

 →絵本(かばのかばん屋) →音楽(かばのかばん屋)

 記:ゑんちゅ小僧 2008.1.25