ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版042 チルダイラブ

2007年10月05日 | ユクレー瓦版

 マナがピアノを弾いている。ユクレー屋が飲み屋として開店したばかりの夕方、客(金払わないので客と言えるかどうか)はケダマンと私の二人だけ。マナはリハーサルのつもりだろうが、我々は審査のつもり。審査をして、マナの演奏が他の客の前で披露するのに耐えられるものかどうかを判断し、審査結果を宣告するつもり。
 ユクレー屋にピアノがやってきてから2ヶ月余りになる。当初、「しばらく練習しなくちゃ、人前ではまだ弾けないさあ。」と意気込んでいたマナであったが、その後、熱心にピアノの練習をしている姿をあまり見ていない。そして、あまり練習しないまま1ヶ月間の旅に出た。その旅から帰ってきて2週間になるが、その後も熱心な姿は見ていない。ケダマンによると、たまには練習しているようであるが、気紛れとのこと。
 努力をしない結果は、当然そのような宣告となる。
 「演奏会なんて考えなくてもいいんじゃないか。みんなが飲んだりユンタクしたりするのを邪魔しないようにさ、BGMのような感じで2、3曲気楽に弾いてみるということにしたら。聴いている限りでは、ジャズは弾けてないけど、ポップスみたいなものなら2、3曲、何とかなるんじゃないの?」と、宣告者は私。
 「うーん、そうか、・・・そうだね、そうするよ。」と、マナは素直に私の宣告を受諾する。どうやら、下手であることは自分でも自覚しているみたいである。

 ということで、マナのピアノ演奏会は延期ということになった。で、この日はじっくりとマナの旅の話となる。傷心から立ち直るまでの1ヶ月間の話だ。

 約1ヶ月間の内の約3週間を、マナはユイ姉の世話になった。ユイ姉は昔、ごく短い期間だったがユクレー島にいたことのある女性。私も知っている。マナは、ガジ丸にユイ姉を紹介してもらい、オキナワに着いてからすぐにユイ姉を訪ね、ユイ姉の店で働いて、ユイ姉のマンションに居候した。一日のほとんどをユイ姉と共に過ごした。
 ユイ姉の店は、ユイ姉がオーナーママで、他に従業員が二人いる。二人とも三十歳前後の女性。二人とも主な仕事は客の相手であるが、一人はピアニストであり、もう一人はバーテンダーである。 店にいる間、マナはピアニストからピアノを、バーテンダーからワインのことなどを、ユイ姉からは女の生き方を教えてもらった。 
 以上が、マナが語ったオキナワでの3週間の要約。

 「何かさあ、働いたり、おしゃべりしたり、いろいろ教えてもらったり、忙しくしているうちにさあ、悩んでいることを忘れてしまったのさ。休みの日にはさあ、女4人で遊びに行ってさあ、美味しいの食べたり、ユンタクしたり、楽しかったさあ。」
 「それはよーござんした。ところでよ、さっき言ってたユイ姉から教わったっていう女の行き方ってよ、いったい何なんだ?」(ケダ)
 「店の客にはさあ、いろんな男の人がいるわけ。そこでさ、言い寄る男のかわし方、嫌な男のあしらい方、イイ男の振り向かせ方なんてことを教わったのよ。」
 「ほう、それは役に立ったか?」(ケダ)
 「まあね。それよりさ、ユイ姉は離婚してからずっと独りなんだけどさ、いつも元気で幸せそうなんだよね。『結婚しないの?淋しくないの?』って訊いたらさ、『私は幸せになるために生きてるの。でさ、結婚が必ずしも幸せだとは思ってないの。それにさあ、友達はいっぱいいるしさあ、近所の子供たちは遊んでくれるしさあ、淋しいともあまり思わないねぇ。』なんだって。確かにね、ユイ姉の周りっていつも賑やかなんだ。」
 「まあ、人によって幸せの形は違うからね。どんな境遇でも幸せと思えば幸せになったりもするからね。」と私が感想を述べて、この話は一段落する。

 「さあ、私の話はだいたいこんなもんよ。ちょっとピアノ弾こうかな。」とマナは言って、カウンターを出て、ピアノの前に座り、
  「これなら弾けると思うよ。聴くに耐えると思うよ。帰ってきてから集中的に練習したんだ。ユイ姉の作った歌なんだ。煮え切らない男のことを歌った歌よ。ユイ姉の夫だったクガ兄がそうい人だったんだってさ。」と言って、ピアノをボロンと鳴らす。
 「ちょっと待てマナ、ユイ姉のところで楽しく生活していたのは分ったよ。でもよ、その前の1週間はどこで何してたんだ?」(ケダ)
 「その前の1週間?」と、マナは手を止めて、振り返る。
 「そうだね、ユイ姉に世話になるまでの1週間が不明だね。」(私)
 「うーん、何してたかなあ。晴れた日が多くて、暑かったなあ。そうだねぇ、ずーーーーと、自分の影を見ながらトボトボ歩いてたさあ。」
 「影?・・・うつむいてばかりいたってことだ。」(私)
 「うん、そう。でもさ、最初はトボトボ歩いてたんだけどさ、何日も自分の影を見てたらさ、不思議なことに、あー生きているんだなあと思うようになったのさ。こんなしていても時間は流れてるし、息もしてるしさ、何か優しい風を感じたよ。・・・そうだ、今から歌うのは『チルダイラブ』って歌なんだけどさ、そんな感じの歌だよ。」
 そして、マナの演奏が始まった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2007.10.5 →音楽(チルダイラブ)


修行不足

2007年10月05日 | 通信-社会・生活

 友人Hの店にたびたびお邪魔している。行くと1時間から2時間はそこにいる。女房のE子は明るく、社交的で、世話好きである。何も言わなくてもコーヒーを入れてくれる。他人にだけでなく、亭主のHもまた、彼女にいろいろ世話をされている。でも、
 「ちょっと寒いさあ、クーラー消して。」とE子がHに命令する。
 「寒いかあ、そうかあ。」と言いながらHは従う。
 「ちょっと煙たいさあ、窓開けて。」とE子がHに命令する。
 「そうだなあ、煙いかもなあ。」と言いながらHは従う。
 私がお邪魔している1時間から2時間の間に、Hに対するあーしてこーしてという命令がいくつか出る。Hはたいてい従う。日常生活でのE子のHに対する世話から比べれば、この程度の命令を聞くのは当然のこと、と二人は思っているのかもしれない。
 お互いがお互いを頼って、世話を焼いたり、世話を受けたりする。やって欲しいことをやって貰う代わりに、時にはやりたくないことも我慢してやる。そうやって、お互いの関係や、家族の絆みたいなものを深めていくのであろう。女房や子供のために多くの我慢をしながら、Hは人間として成長しているのであろう。

 「あんたさあ、おばちゃんばっかり気にかけてないで、おじちゃんのこともちゃんと見てよね。」と従姉が言う。おばちゃんとは私の母、おじちゃんは父のことである。
 日頃から「おじちゃんに会いに行きなさいよ、私の大好きなおじちゃんだからね。」と言っている彼女に、
 「大好きなおじちゃんだろ、そっちが行けば。」と応じると、なんだかんだと自分が行けない理由(たいした理由では無い)を述べる。

 「あんた、Sが何時に着くか訊いたの?」と朝早く、姉から電話があって怒鳴られる。Sとは弟のことで、現在は千葉に住んでいる。その日沖縄に帰ってくる予定であった。迎えに来てもらいたければ向こうから電話があると私は思っているので、こちらから訊く気はサラサラ無い。姉はしかし、私に迎えに行かせたいみたいである。

 自分がやりたくないことを他人にさせる、というのはいかがなものかと思うので、私は彼女らの申し出に素直には応じない。しかし、世の亭主共は、女房共のそういった申し出を断れないことが多いのであろう。そういった苦労がこの世の修行なのかもしれない。私は修行不足なのである。「煩せぇ!」としか思わないのだ。

  2週間前のガジ丸通信に、「今年の夏、前半は非常に暑く後半はそうでもなかった」と書いた。ここ3年の平均気温を載せて、その証明とした。ところが、今年の9月は、ここ3年で最も暑い9月となっている。日頃、筋力トレーニングをしたり、散歩をしたりして体を鍛えている私だが、このところ、日中の外での労働が非常にきつく感じる。
 人間関係の我慢では修行不足の私だが、暑さと労働に対する我慢においては、修行不足では無く、加齢による体力の衰えだと思われる。精神を鍛えないまま歳取って、体力まで衰えてしまっているのだ。踏んだり蹴ったりなのだ。 
          

 記:2007.10.5 島乃ガジ丸