ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版031 博士の無駄な努力

2007年05月25日 | ユクレー瓦版

 最近マナに元気が無いと思っていたら、恋煩いだと言う。ケダマンがそう言うのだが、そう言われてみれば確かにそのような雰囲気ではある。今までに比べるとちょっと優しい感じだし、全体にしっとりとしている。相手はジラースーだと言う。ケダマンがそう言うのだが、相手がジラースーかどうかについては、マナは白状しない。まあ、しかし、他には見当つかないし、どうやらそれも当たっているようである。
  恋煩いはしていてもさすがに経験豊富なプロの女である。ユクレー屋で我々の飲み相手をしている間は、ちゃんとその仕事をこなす。今宵の肴は、畑から採ったばかりのシマラッキョウ。シマラッキョウを細かく刻んで、挽肉と一緒に味噌で炒め、それを大葉に包んだもの。マナの創作料理らしい。それとは別に、シマラッキョウのヒラヤーチーを、別のテーブルにいた村人たちへ出していた。これも好評であった。
 一時期は、料理や酒を出すことはしたが、あとはカウンターの中でボーっとしていることの多かったマナであるが、その夜の彼女は、一時期に比べると幾分かは元気を取り戻して いるみたいであった。我々の話に加わる時間も多くなった。
     
     

 「ねぇ、そう言えばさあ、ウルトラの米が炊けるっていうジャーはどうなったの?」
 「あー、あれは今、博士が頑張って製作中だと思うよ。」(私)
 「ん!、そうだ、マナ、良いアイデアが浮かんだ。ウルトラの星から米粒仕入れて、世界中に売ってやろうぜ、そしたら博士のジャーも売れるぜ。儲かるぜ。」(ケダ)
 「儲かるって話をしてるんじゃないよ。ユーナも言ってたじゃない。世界中の飢えに苦しんでいる人々の助けにならないかって話よ。」

 その時、カランコロンカランと音がしてドアが開き、ガジ丸が入ってきた。
 「おっ、ガジ丸、ちょうどいいところに来た。今、ウルトラの米を輸入して一儲けしようという話をしていたところだ。博士のジャーも一緒に売れるぜ。」(ケダ)
 「だから、儲けようって話じゃないんだってば!」(マナ)
 「儲ける?ウルトラの米?博士のジャー?・・・ってそうか、博士が無駄な努力をやっていたのは、お前らが作れって言ったからか。」(ガジ)
 「あー、そうだ。で、博士のジャーはできそうだったか?」(ケダ)
  「その製作は中止だ。俺が止めさせた。」
 「えっ、どうしてさ。儲けるかどうかはともかく、あれば良いと思うけど。」(私)
 「よく考えてみろよ。ウルトラの米1粒を炊く炊飯ジャーなら、既に市販されている業務用の大型炊飯器が使えるだろうよ。」(ガジ)
 「あっ、そうか。そういえばそうだ。ジャーは既にあるんだ。」(私)
 「あっ、そうか。そういえばそうだ。って、博士も同じこと言ってたよ。」(ガジ)
 「だったら話は早いぜ。米だけを売りゃあいいんだ。すぐできる。」(ケダ)
 「いや、それにだな。ウルトラの星へ行くのは時空を超える旅になるから、トラックを持っていくことはできない。だから、人力で米を運ばなければならない。ウルトラの米はでかいから、背負ってもせいぜい5、6粒がいいとこだ。」(ガジ)
 「あー、そうか。5、6粒では世界中には行き渡らないね。」(マナ)
 「いや、5、6粒でもいいじゃないか。それを種籾にして地球のどこかに植えてだな、どんどん増やしていこうぜ。」(ケダ)
 「ケダ、今日は冴えてるね。ねぇ、ガジ丸、そうできない?」(マナ)
 「種を植えることは可能だ。だが、収穫でききる頃には、その稲は高さ20mくらいになるぜ。そうなるまで育てるのも大変だが、高いし、籾は重いし、収穫するのも難しいのさ。それに、種がたくさんあったとしても、十分な量を得るには広大な田んぼが必要だ。そんな広大な田んぼがあるんだったら、普通の稲を植えた方が良かろう。その方がはるかに管理しやすいし、1坪辺りの収穫量だってそうは変わらないはずだ。」(ガジ)

 確かにガジ丸の言う通りであった。普通の稲なら普通に育てられ、普通の収穫量を得ることができる。その土地にはその土地にあった作物を植えた方が良いってことだ。地球には地球の規模に合った、人間には人間の大きさに合った作物があるというわけだ。
 「博士の炊飯ジャーと同じく、お前らの考えも無駄な努力だったわけだ。」とガジ丸がきっぱり断じたあとは、その話題からきっぱり離れて、我々はまた、いつものようにバカな話で盛り上がって、愉快な夜を過ごした。マナは元気になっていた。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2007.5.25


いのち結んで

2007年05月25日 | 通信-沖縄関連

 私はこれまで全く知らなかったのだが、『地球交響曲(ガイヤシンフォニー)』という映画がある。そういうものがあるということはもう二ヶ月ほども前に、友人のIさんに教えられて知った。桜坂劇場から毎月送られてくる冊子の中にそのチラシも入っていた。三週間くらい前にパレット市民劇場で、その『第六番』というのをやっていたようだ。
 今まで全く知らなかったので、その六番と言われても、『ロッキー3』とか『スパイダーマン3』とかと同じ、ハリウッドのシリーズもの映画の一つであろうと思って、私は特に関心を持たなかったのである。が、『地球交響曲』、どうやら私の好きでないハリウッド映画では無いみたいである。また、ただの娯楽映画とも違うようである。
 その『第二番』をIさんの主催で上映する。以下は彼女の文章。
          

「いのち結んで」プロローグ

「おむすびを握るということは、おむすびを通して握る人の心を伝えることです。その心が食べる人に伝わって、おいしく感じられるようです。特に心に苦しみを抱えた人には、力を与えてくれるようです。」こうお話しする、佐藤初女さんは「森のイスキア」を主宰しています。訪れた方へ食を提供し、力を提供しています。

初女さんとの出逢いは2000年7月の入院から始まりました。
出血と高熱が続き、原因が分からないままに市立病院への転院。一人ではトイレへも行けず、毎日の点滴にも疲れ果てていました。
「何故、私がこんな目にあうの?何かの報い?いつまで続くの?」
命に危険が無いとはいえ、不安でいっぱいでした。
そんな中、以前にラジオで聞いたある言葉が蘇りました。
「このおむすびを食べて、死を思い止まった人が居るのですね。」
「そのおむすびを食べたら、力が湧くの?その人と話したら、元気になるの?」
気が付くと私の足は青森へ向かっていました。
岩木山の麓、りんご畑を通り、暗い森の中へ、やっと見つけた一軒の灯り。
灯りの源は、初女さんのまなざしでした。
「どうして此処へいらしたの?」  「いえ、特に何もありません。」
「ご両親はお元気?」       「はい、元気です。」
「他のご家族は?」        「はい、お陰さまで元気にしております。」
とりとめの無い話が続きます。初女さんの優しさに触れ、気持ちがゆったりとして、安心しました。好きな人、好きな物が見えてきました。自分を認めて肯定すると、やりたいこと、すべきこと、目標が見えてきました。
気がつくと、初女さんは、私の話をじっと聞き、私の心に添うだけでした。いつの間にか私は、初女さんとではなく、自分の心と会話をしていました。それは私にとって本当に貴重な時間でした。

貴方と貴方の心を結んでください。それは誰にでも出来ることなのです。
森のイスキアへお出かけ下さい。

2007年7月22日(日曜日)佐藤初女さんをお招きしてお話をして戴きます。
出演していらっしゃる地球交響曲第二番の上映も致します。
皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。
2007年 吉日
イスキアのおむすび「めぇみち」池 博美

 以上がIさん、・・・とイニシャルにする必要もなくなった。池さんが主催する催し物の趣旨。映画については、私も観ていないので何とも言えないが、池さんが勧めるくらいなのできっと、心を伝える映画なのであろう。期待しましょう。
 場所:桜坂劇場ホールA
 時間:地球交響曲第二番上映 14:00
    佐藤初女さんのお話  16:30
          

 記:2007.5.25 ガジ丸