すみません
今日も日記です
昨日の休み
母と過ごしました
母は物を捨てられない人で
ま、私もその傾向ありますが。
ねぇ、みほちゃん面白い物出てきたと
ある一枚の葉書を見せてくれました
妹が修学旅行先から送った葉書です。
中学3年生の妹の葉書。
宛名でもう大笑い
下の文面は妹と家族のプライバシー
にて宛名だけ。
若林三枝子は母です。
その横に
「と、ブスな美保へ」
ブスな美保は私(姉)です。
もう大笑い。
妹はいつも私に付いてきました。
友達と遊びに行くって時も
そうでない時も
とにかくずっといつも私にくっついてきました。
…それは覚えています。
幼い頃は多分いつも一緒にいたと記憶してます。
それから思春期の頃は
いつもついてくる妹が煩わしかったのは
薄ら覚えてはいますが
付いてこないでと蔑ろにしたことは
私の都合よく覚えていません。
が、妹の言うように
私は妹を邪気にしていたのだと思います。
付いてこないでと言って
それでもついてきて
やだって蔑ろにしてたんだね
私の友達に、
陽子ちゃん(妹)が可哀想だよみほちゃん
って言われた記憶はありますから。
今思うと私酷いね。
…可哀想に。
お母さんはいつも働いていて家にいないことが多く。
残念ながら
父親は離れて、母子家庭でしたので。
私と妹二人でほぼ家に居たのでね。
妹には私しかいつもいつくれる人は居なかったのにね。
私だってその頃のある時寂しくて妹が居て救われて居た時あったのだろうに
成長してある期間
幼すぎて妹がまだ寂しいの慣れるまでの気持ち分からずに
姉がしてあげられる事分かってなかったね。私。
修学旅行先での葉書に
それへの妹の精一杯の
いじらしい反発が
「ブスな美保へ」であります
昨日、一瞬見た時は、大笑い。
よくぞ母さんとっておいてくれたと思ったけれど
しかし。
その後は切なくなってしまいました。
いじらしい、小さな反発の可愛い妹の言葉が切なくなりました。
お母さんへだけ書いてもよかった葉書に
それでも
付け加えて
私の名を書いたこの葉書が
あの頃の事、
ぶあーって思い出されて、切ないです。
今では
妹との時間が一番楽しいのに。
彼女が居なくなったらもう人生終わりだなんて想像だけで涙出てしまうのに。
子供って
無知であり残酷でありますな。
あの時の妹に
ただバカな姉でしたと
ごめんなさいと心から思います。
あー
書いていたら
また悲しくなってしまったわ。