礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

エノケンは、義経・弁慶に追いつけたのか

2015-02-27 05:38:30 | コラムと名言

◎エノケンは、義経・弁慶に追いつけたのか

 昨日の続きである。中村秀之氏は、その著書『敗者の身ぶり――ポスト占領期の日本映画』(岩波書店、二〇一四年一〇月)において、映画『虎の尾を踏む男達』(一九四五)について論じている。
 そして中村氏は、その映画の最後の場面に言及し、ここで、山伏たち一行が、エノケン(榎本健一)演ずる強力〈ゴウリキ〉を残して、「大空に溶け込んで」しまったという解釈を示したのである。当該部分を引用してみよう(三二~三三ページ)。

 さらに、延年の舞における演者の役割の分離もこの成就に貢献する。歌舞伎では長唄連中の唄に合わせて弁慶が舞う。しかし映画では、舞う、というより踊るのはエノケンであり、いささか多幸症的で狂騒的なその踊りが終わったあと、おもむろに弁慶が唄い出す。「鳴るは滝の水、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとうたり、絶えずとうたり〔日照りがつづいても滝の水の勢いはおとろえず、絶えず音を立てて落ちている〕」。画面の手前に大河内伝次郎がカメラに正対し、右奥に仁科周芳〈ニシナ・タダヨシ〉が画面左を向いて座っている。「絶えずとうたり」と主君の悠久を祝して大河内が振り返ると、仁科も笠を上げ、笑みを浮かべた顔をこちらに向けて応じる(図4)。「絶えずとうたり」のくりかえしでカメラの方に向き直った大河内の、両腕を左右に広げた姿が空を背景として画面いっぱいに映り、そのまま次の夕景のショットにディゾルヴする。大河内が演じる弁慶の姿はあたかも巨人のように夕空に溶け込んでゆく(図5)。
 作り山伏たちの哄笑に思わず天を見上げてしまったエノケンの身ぶりで実質的に始まったこの映画の仰視と上昇の運動は、こうして大河内伝次郎が空に溶け込む映像で完遂する。

 引用文中、〔  〕内は、中村秀之氏による注である。(図4)(図5)は割愛した。
 下線を引いた字句について、若干、注釈する。「延年」とは、法会〈ホウエ〉ののち、僧や稚児によって演じられた芸能をいう。「とうたり」は滝の音を示す擬音で、「どうどうたらり」に通ずる。「仁科周芳」は、源義経を演じた俳優で、のちの十代目岩井半四郎。「ディゾルヴ」は、シーンからシーンへの移行を示す映画用語である。
 さて、この記述を読んだあと、『虎の尾を踏む男達』の最後のほうを、何度も何度も再生し、チェックした。その結論はこうである。
 たしかに、大河内傳次郎の弁慶が、「両腕を左右に広げた姿が空を背景として画面いっぱいに映り、そのまま次の夕景のショットにディゾルヴする」場面はある。しかし、これはあくまで技術的手法のひとつであって、これをもって、山伏たち一行が、「大空に溶け込んで」しまったと解釈するのは、やや無理があるのではないか。
『敗者の身ぶり』から、もう一か所、引用する(三四ページ)。

 ラスト・シーン、酔っ払って寝てしまったエノケンが目を覚ますと、義経の小袖がかけられ印籠が置かれている。夕暮れの高原には誰もいない。小手をかざして遠くを見るやエノケンは何かに気づいてはたと膝を打ち、飛び六法で――一度は転んだりもしながら――画面の手前、左下のオフに去ってゆく。

 中村秀之氏も指摘されているように、ラストシーンでエノケンは、確かに「何かに気づいて」いる。これは、「山伏たち一行」に気づいたということではないのか。それにしても、すでに、夕闇が迫っている。はたして、エノケンは、山伏たち一行に追いつくことはできたのだろうか。
 この映画については、さらに論じたいことがあるが、明日はいったん、話題を変える。

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