礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか(鈴木貫太郎)

2013-04-29 07:29:57 | 日記

◎かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか(鈴木貫太郎)

 鈴木貫太郎『終戦の表情』(労働文化社、一九四六)に収められている「余の戦争観」という文章の続きである。これは、あと一回で終了の予定。

 由来余は太平洋戦争の勃発を極力避けるべきであることを念願としてゐた。これを海軍の勢力から考へて見ても、ワシントン会議で米英と日本との海軍比率は五・五・三に定められ、これは実際に海軍の実力となつてゐたのだから、三は五に勝つ道理がないことは判り切つてゐた。それを米国だけではなく、英国をも向ふに廻して、一〇対三で戦ほうといふのだから、冷静な頭では到底理解出来ないごとである。
 余は又曾て〈カツテ〉、故山本五十六〈イソロク〉元帥が海軍次官をやつて居つた〈オッタ〉頃、山本君ともこのことを話し合つたことがあるが、山本君も全く余と同意見で、太平洋戦争若し〈モシ〉起らば、日本は必ず今日あること〔敗戦〕を言つて居つたのである。
 しかも日本は工業力、資源等から言つても米国とは比較にならぬ程弱少であり、枢軸国としての独逸には、前世界大戦以来海軍らしい海軍はなくなつてゐる。わづかに潜水艦があるが、それも太平洋に出向いてくる程の数はない。とすれば我方にとつて今度の戦争のやうな条件は世界の戦争の歴史から見ても曾てない程の悪条件といふことになる。
 それを敢て開戦に持つて行つたのは、全く支那事変に於ける失敗を遮二無二〈シャニムニ〉国民にかくして、何とか危地を切り抜けやうとした無謀な計画に外ならないと思へた。だがさうした無謀な戦争を何故始めたか、余は当時、枢密院副議長を務めて居たのであるが、いくら戦争に反対して居ても、その意見を政治的に発動する余地が全く見出せない状態であつた。大体枢密院会議では、国策が憲法に適ふ〈カナウ〉か否かといふことを審議する所であつて、時の政府の政策に対しては嘴〈クチバシ〉を入れることが出来ないやうなことになつてゐた。それに開戦に至る迄の計画は政府部内の秘密計画になつてゐたので、我々は知る由もなかつた。【以下は明日】

 

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