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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

本邦の主なる寄生虫学研究者

2025-05-02 05:16:38 | コラムと名言
◎本邦の主なる寄生虫学研究者

 吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その六回目(最後)。

   本邦の主なる研究者
 本邦寄生虫学研究の先達として初期以来活躍された前記少数の人々の外、明治三十年代までは本邦に寄生虫を専攻する人は殆どなかつたと言つてよろしい。斯学創設の際であるから先達の方々でも、他に専攻の学科を控へながら寄生虫学に力を尽くされたのである。動物学の方面で飯島〔魁〕先生は大学教授として、五島〔清太郎〕先生は高等学校教授として寄生虫学以外に多くの研究題目を持ち、学界に大きな業練を残されてゐる。又医学方面で桂田〔富士郎〕、藤浪〔鑑〕両氏は共に病理学の専攻で、他に重要な研究に従事され、ベルツ氏は内科医学者として、ヤンソン氏は内科医学者として務めてゐた。
 明治四十年〔1907〕前後筆者等が大学を卒業する以前に寄生虫学を専攻した人は只宮島〔幹之助〕氏のみで、或は一時寄生虫の研究に手を染めた人でも、直に〈スグニ〉他に転じたやうである。当時飯島先生の下に小泉丹、小林晴治郎及び筆者が相前後して寄生虫学専攻者として卒業し、今尚之を継続してゐる。その後飯島、五島両先生の下に福井玉夫、森下薫、山田信一郎、尾崎佳正が相次いで同学を専攻し、尚之を継続してゐる。以上数氏は何れも大学又は研究所に在職し、各〻その道に精進し後進を誘導してゐる。従つて多数の寄生虫学研究者がその門下から輩出し、現今我が寄生虫学界活動の一大原動力となつてゐる。慶應の田宮貞仁〈テイジン〉、城大〔京城帝大〕の田邊操、阪大の岩田正俊の如きは知名の士である。
 医学方面では藤浪氏が京都帝大の教授であるためその教室から中村八郎(金沢医大)、田部浩(岡山医大)、林直助(愛知医大)及び楢林兵三郎等続出し、桂田氏は岡山医専後神戸船員病並びに熱帯病研究所〔ママ〕を主宰した関係上、多くの研究家を出し、橫川定(台北帝大)、浅田順一(満洲技術厰)等の如き斯界の権威者の外、高亀〔良彦〕、長谷川〔逸郎〕、越智〔シゲル〕等知名の士が少くない。更に林〔直助〕氏門下には武藤昌知、安藤亮、江口季雄〈スエオ〉(大阪高医〔大阪高等医学専門学校〕)等があり、横川氏門下には、小林、磯部、錦織、大場等の諸士がある。台湾には中川幸庵、大井司、近藤喜一の如き卓越した研究家もある。
 長与又郎、宮川米次〈ヨネジ〉両氏の配下にある東大医学部及び伝染病研究所〔東京帝国大学附置伝染病研究所〕関係では両氏の指導により多くの研究者が輩出し、就中専門の士として石井信太郎(伝研)、赤木勝雄(日医大)等がある。尚川村麟也氏門下にも多くの研究者を出してゐる。
 九州帝大の宮入慶之助氏門下には大平得三(九大)を初め、鈴木稔(岡山医大)、西尾恒敬、岡部浩洋〈コウヨウ〉及び宮崎一郎(鹿児島医専)等斯学に貢献したものが少くない。更に満洲医大の稗田憲太郞は九大と関係ある熱心なる寄生虫学者でその門下に久保道夫の如き知名の士がある。
 最後に畜産・獣医方面につきては由来その人に乏しいが、最近東大の板垣四郎、台北の杉本正篤の如き斯界の研究に最も重要の貢献をなしてゐるものがある。〈288~291ページ〉

 最初のほうにある「ヤンソン氏」は、お雇い外国人として、日本に獣医学を導入したヨハネス・ルードヴィヒ・ヤンソン(Johannes Ludwig Janson、1849~1914)のことである。
「神戸船員病並びに熱帯病研究所」は、原文のまま。この研究所の名称については、文献によっては、「船員病竝熱帯病研究所」、「船員病及熱帯病研究所」、「船員病及び熱帯病研究所」と表記しており、いま、その正式名を判断することができない。
 今回、この本を読んだことで、寄生虫および寄生虫学者に関する知識が一挙に増えた。著者の吉田貞雄についての紹介、この本が国立国会図書館に架蔵されていない理由についての考察などについては、機会を改める。

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島村虎猪、藤井一両氏によるアスカロンの発見

2025-05-01 03:54:06 | コラムと名言
◎島村虎猪、藤井一両氏によるアスカロンの発見

 吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その五回目。

   第三期―その他の方面の研究
 発育感染径路の研究に続き学者の注意を引いたのは感染予防である。之がためには寄生虫体又は卵子の如き感染元となるものゝ抵抗力研究、撲滅法の考案、中間宿主の撲滅等疫学的衛生的事項の研究、屎尿の処置、便所の改良等研究は広汎の範囲に及ぶに至つた。更に駆虫法として駆虫剤の研究、製剤等が盛に行はれた。
 一方病理学的研究の進むにつれ諸種の寄生虫病に現るゝ症状から毒素説が起り、毒素の研究が盛に行はるゝに至つた。島村虎猪〈トライ〉、藤井一両氏のアスカロン〔Askaron〕発見の如きその著名なものである。この外虫体液の毒素研究を試むるものが少くない。就中最も秩序的に之が研究を進めてゐるのは慶應大学の小泉〔丹〕教室である。
 毒素研究に関連してゐるものは血清学的研究で、或は補体結合作用と云ひ或は沈降反応と云ひ、或は凝集反応と云ひ、各種の研究が行はるゝと共に、寄生虫の免疫問題迄攻究されてゐるが、寄生蠕虫〈ゼンチュウ〉に対する血清学並びに免疫学的研究は世界のそれと同じく、日本に於ても極めて幼稚なものであると言はねばならぬ。
 最後に、以上述べた寄生虫病学的方面の外一般寄生虫の研究として忘れてならぬことは、山口左仲〈サチュウ〉、福井玉夫、尾形藤治〈トウジ〉の如き分類学的研究に於て学界に貢献してゐる重要なものあることである。〈287~288ページ〉【以下、次回】

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日本住血吸虫とエジプト住血吸虫

2025-04-30 00:06:02 | コラムと名言
◎日本住血吸虫とエジプト住血吸虫

 吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その四回目。

 マンソン氏裂頭絛虫の幼虫は一八八二年厦門〈アモイ〉に於てマンソン〔Manson〕の発見したものであるが、その前我が京都でショイベ〔Scheube〕が一馬丁から之を見出した。その後久しい間母虫が知れなかったが、約三十五年後の大正五年(一九一六年)山田司郎が実験的に母虫を育成発見し次いで大正八年〔1919〕奥村多忠が第一中間宿主が「ケンミヂンコ」であることを発見して本虫の全生活史を明かにした。爾来幾多の邦人研究家によつて本虫につきあらゆる事項が闡明せられた。
 之等古くから知られてゐた寄生虫の生活が明かにせらるゝと同時に、発育育感染の研究が未知の範囲にも進められ、茲に新しい寄生虫の発見が起つたのである。横川吸虫はその一つで、之は横川定が明治四十四年〔1911〕台湾に於て鮎の体内にある被襄幼虫を動物試験により育成して母虫を得、その後大正五年〔1916〕に至り武藤〔昌知〕によつて第一中間宿主が河貝子〈カワニナ〉であることが発見せられ、本虫の生活史は完全に闡明せられた。東洋毛様線虫は大正二年(一九一三年)神保孝太郎〈ジンボ・コウタロウ〉が新に発見命名したもので、その発育感染は一に〈イツニ〉邦人の研究によつて明かにせられた。
 この外人体寄生虫としては未だ重要性を認められてゐないが、之等発育感染の研究に伴ひ異形吸虫類似の数種、エキノストマ属二三種が新しく発見せられ、その生活史も明かにせられてゐる。之等は尾崎佳正〈ヨシマサ〉、西尾恒敬〈ツネヨシ〉、恩地与策、錦織正雄、越智シゲル、安藤亮、田部浩等の諸氏の研究に負ふところが多い。
 最後に最も興味あることは日本住血吸虫の生活史闡明である。本虫は明治三十七年〔1904〕桂田富士郎により発見命名されたのであるが、その生活史はその後間もなく大正二年(一九一三年)に至り宮入慶之助及び鈴木稔の両氏によつて、宮入貝が中間宿主でその体内に育成したセルカリアは貝を辞し、水中を游泳しながら宿主を求めてその皮膚から侵入し、所謂皮膚感染を行ふことが確証せられた。而して皮膚に侵入した幼虫が常住地たる肝門脈に移行する径路も亦多くの邦人により実験的に探究発見せられた。
 茲に面白い事は、日本住血吸虫に酷似した埃及〈エジプト〉住血吸虫と称するものは、一八五一年ビルハルツ(Bilharz)が埃及のカイロで発見したもので、その病害の激甚なため多くの学者が多年熱心に研究したにも拘らず、その生活史は毫も〈ゴウモ〉も知られなかつた。ところが、前に述べたやうに日本住血吸虫の生活史が発見せられた丁度その時、 偶〻英人レイパー〔Leiper〕なる有名な寄生虫学者が来朝してこの事実を知り、帰途埃及に立ち寄り研究した結果、一九一四年にその中間宿主を発見し、母虫発見後実に六十二年間全く不明であった生活史が漸く明かとなつた。是れ一に本邦学者の発見に刺戟誘導された賜〈タマモノ〉である。
 この外〈ホカ〉邦人のみの研究ではないが、外人のそれと共に発育感染の研究に貢献し、而も外人に優るとも劣ることのない業績が少くない。糞線虫、十二指腸虫、蟯虫、鞭虫、バンクロフト糸状虫〈シジョウチュウ〉、蛔虫、有棘顎口虫、矮小絛虫,縮小絛虫,肝蛭等の研究はその主なものである。就中蛔虫の発育感染径路につきては筆者が大正五六年(1916・1917)頃から英人スチュワート〔Stewart〕と全く無関係に研究し、その成熟卵が腸内で孵化脱殻〈ダッカク〉し、その仔虫が必ず肺臓を経由して一定の発育を遂げ、後再び腸に至り、初めて生長して母虫となる事実を発見して以来、本邦に於ても外国に於ても最も盛に研究せられたのである。
 又泰国で近時人体寄生虫の一として段々注目されて来た有棘顎口虫〈ユウキョクガクコウチュウ〉の発育感染につきては筆者は大正十三年〔1924〕頃より之が研究を始め、第一中間宿主が「ケミジンコ」である事を発見すると殆ど時を同じうして泰国でプロンマス一派も同一発見をなし、更に氏等は第二中間宿主が蛙、魚類であることも発見して本虫の生活史を明かにした。〈284~287ページ〉【以下、次回】

 本書の著者・吉田貞雄は、ここで「エジプト住血吸虫」という言葉を使っているが、同吸虫は、今日、「ビルハルツ住血吸虫」と呼ばれているようだ(ウィキペディア英語版「ビルハルツ住血吸虫」参照)。
 最後のほうに、「プロンマス一派」とあるが、このプロンマスとは、タイ国の医師チャレム・プロムマス(Chalerm Prommas、1896~1975)を指す。本書に登場する寄生虫学者のうち、日本人以外の東洋人は、たぶん、このプロンマスのみ。

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異形吸虫の第一中間宿主はヘナタリという巻貝

2025-04-29 03:12:37 | コラムと名言
◎異形吸虫の第一中間宿主はヘナタリという巻貝

 吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その三回目。

   第三期―蠕虫の発育感染の研究
 以上病原原虫学と医用昆虫学とは新しく第三期に芽生えたものであるが、本期に於て最も盛な研究は蠕虫で就中其発育感染の研究業績は本邦に於ける学界の華とも謂ふべきである。
 肝臓ヂストマ、肺臓ヂストマ、肥大吸虫、異形吸虫、マンソン氏裂頭絛虫の如きは何れも虫体が発見せられて後数十年の間その生活史が不明であつたのが悉く邦人の研究により闡明〈センメイ〉せられ、日本住血吸虫、横川吸虫〈ヨコガワキュウチュウ〉並びに之に近似の吸虫数種、東洋毛様線虫〈トウヨウモウヨウセンチュウ〉の如きは何れも我が国人の発見に懸り、その生活史も邦人により明かにせられた。今その概梗を述べよう。
 肝臓ヂストマは一八七四年印度で初めて発見せられて以来、各地に多く見らるゝにも拘らず、その発育感染の径路は全く不明の侭三十有七年を過ごし、明治四十四年(一九一一年)に至り小林晴治郎が淡水産小魚にその被嚢〈ヒノウ〉幼虫を発見し、動物試験により母虫を育成して茲に本虫の第二中間宿主が明かにせられた。その後間もなく第一中間宿主の「マメダニシ」が武藤昌知〈ショウチ〉(一九一八~九年)により実験的に確証され、茲に本虫の生活史が明瞭となつた。その結果本虫の研究は長足の進歩を遂げ、不明であつた事実が続々発見研究せらるゝに至つた。
 肺臓ヂストマは一八七八年アムステルダム動物園の虎に、その翌年台湾淡水で人体に発見せられて以来、三十七年後の大正四年(一九一五)中川幸庵〈コウアン〉が台湾新竹に於て第二中間宿主が蟹類であることを発見すると同時に、河貝子〈カワニナ〉中に一種のセルカリア〔cercaria〕を発見し、本虫所属のものにあらずやとの疑ひを持つてゐたが、その後安藤亮、小林久雄、及び筆者(大正四年〔1915〕)等により、河貝子が第一中間宿主であることが確認せられ、茲に本虫の発育圏が明かにせられたのみならず、その後横川定〈ヨコガワ・サダム〉の研究により本幼虫が宿主体内を移行し、常住地たる肺臓に達する径路、及び迷入して脳髄、眼窩、或は皮下組織に寄生する道程をも明かにした。
 肥大吸虫は一八四三年ブスク〔Busk〕がロンドンで一印度人から初めて発見したのであるが、本虫も亦中川幸庵により大正九年〔1920〕に至り初めてその中間宿主が平巻貝〈ヒラマキガイ〉であり、之から逸出〈イッシュツ〉したセルカリアは菱或は布袋草〈ホテイソウ〉に附着被嚢して後、宿主に入り、母虫となることが発見せられた。異形吸虫は一八五一年埃及〈エジプト〉のカイロにて一童児の屍体から発見せられ、極めて普通の寄生虫であるに拘らず、その発育史は春全く不明に属してゐたのを、昭和三年(一九二八年)に至り浅田順一が「へナタリ」と称する巻貝の一種にセルカリアを発見し、実験の結果本虫の第一中間宿主であることを確めた。而して第二中間宿主が鰡〈ボラ〉の類であることも明かにしたので本虫の生活史は全く明瞭となつた。
 本種並びに前種は共に母虫発見以来七十七年の久しい間、生活史が知れずにゐたのが、共に邦人の研究によつて明かにせられた事は誠に快心の至りである。〈282~284ページ〉【以下、次回】

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本邦に独特なツツガムシの研究

2025-04-28 00:36:00 | コラムと名言
◎本邦に独特なツツガムシの研究

 吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その二回目

   第三期―病原原虫学と医用昆虫学
 本期は明治の末葉から大正を経て昭和の今日に至る約三十有余年間で、本期間に於ては前期の寂莫〈セキバク〉に引きかへ、著しき躍進を見、その研究の如き質に於て優に世界に誇るべき業績が続出したのである。
 本期に於ては世界のそれと同じく第一に注目すべきは寄生虫学の範囲が拡張した事で、従来主とし蠕虫〈ゼンチュウ〉に限られてゐたのが、茲に新しく病原原虫の研究が勃興し、更に之に付随して医用昆虫学の研究が行はるゝやうになつた。病原原虫を最も初めに研究した主な人として動物学方面では,先づ飯島〔魁〕氏門下の宮島幹之助を推さねばならぬ。その後小泉丹〈マコト〉出でて最も多くの有力な業績を挙げた。この意味に於て両氏は日本に於ける病原原虫学の創設者と見るべきであらう。之と同じく医学方面では宮入慶之助〈ミヤイリ・ケイノスケ〉を先達に小川政修〈マサナガ〉がある。更にその後の研究者として稗田憲太郎、田邊操、森下薫〈カオル〉、大井司等はそれぞれ、満洲、朝鮮、台湾で有力な研究を続けてゐる。
 医用昆虫学は本邦ではあまり発達してゐないが、先づ宮島幹之肋、小泉丹、森下薫及び山田信一郎等のマラリアに関係ある蚊の研究は最も有益なもので、望月代次のフィラリアと蚊の関係の如き、又最近矮小絛虫及び縮小絛虫の中間宿主〈シュクシュ〉が諸種の昆虫であることが知られて来た。之等研究中最も著名なものは小林晴治郎〈ハルジロウ〉の蝿の研究であらう。又小泉浩吉氏の蝿の研究、小野定雄の牛蝿〈ウシバエ〉の研究、戸田亨の床虱〈トコジラミ〉研究の如き注目すべき業績である。
 本邦に独特で最も有名なものは恙虫〈ツツガムシ〉の研究で、長与又郎〈ナガヨ・マタオ〉、林直助〈ナオスケ〉、緒方規雄〈ノリオ〉及び川村麟也〈リンヤ〉の各教室の研究になる恙虫病々原体の発見研究は、最近に於ける最も偉大なる業績の一に数へられてゐる。田中敬助、長与又郎、宮島幹之助、川村麟也の諸氏並びにその教室の研究によつて本虫の生活史が明かにせられたことは、本邦学者の一つの誇りであらう。
 更に最近「イへダニ」や家畜・家禽〈カキン〉の「ダニ」類研究も相当盛で、第三期以前には見られなかつた現象である。〈280~282ページ〉【以下、次回】

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