◎本邦の主なる寄生虫学研究者
吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その六回目(最後)。
五 本邦の主なる研究者
本邦寄生虫学研究の先達として初期以来活躍された前記少数の人々の外、明治三十年代までは本邦に寄生虫を専攻する人は殆どなかつたと言つてよろしい。斯学創設の際であるから先達の方々でも、他に専攻の学科を控へながら寄生虫学に力を尽くされたのである。動物学の方面で飯島〔魁〕先生は大学教授として、五島〔清太郎〕先生は高等学校教授として寄生虫学以外に多くの研究題目を持ち、学界に大きな業練を残されてゐる。又医学方面で桂田〔富士郎〕、藤浪〔鑑〕両氏は共に病理学の専攻で、他に重要な研究に従事され、ベルツ氏は内科医学者として、ヤンソン氏は内科医学者として務めてゐた。
明治四十年〔1907〕前後筆者等が大学を卒業する以前に寄生虫学を専攻した人は只宮島〔幹之助〕氏のみで、或は一時寄生虫の研究に手を染めた人でも、直に〈スグニ〉他に転じたやうである。当時飯島先生の下に小泉丹、小林晴治郎及び筆者が相前後して寄生虫学専攻者として卒業し、今尚之を継続してゐる。その後飯島、五島両先生の下に福井玉夫、森下薫、山田信一郎、尾崎佳正が相次いで同学を専攻し、尚之を継続してゐる。以上数氏は何れも大学又は研究所に在職し、各〻その道に精進し後進を誘導してゐる。従つて多数の寄生虫学研究者がその門下から輩出し、現今我が寄生虫学界活動の一大原動力となつてゐる。慶應の田宮貞仁〈テイジン〉、城大〔京城帝大〕の田邊操、阪大の岩田正俊の如きは知名の士である。
医学方面では藤浪氏が京都帝大の教授であるためその教室から中村八郎(金沢医大)、田部浩(岡山医大)、林直助(愛知医大)及び楢林兵三郎等続出し、桂田氏は岡山医専後神戸船員病並びに熱帯病研究所〔ママ〕を主宰した関係上、多くの研究家を出し、橫川定(台北帝大)、浅田順一(満洲技術厰)等の如き斯界の権威者の外、高亀〔良彦〕、長谷川〔逸郎〕、越智〔シゲル〕等知名の士が少くない。更に林〔直助〕氏門下には武藤昌知、安藤亮、江口季雄〈スエオ〉(大阪高医〔大阪高等医学専門学校〕)等があり、横川氏門下には、小林、磯部、錦織、大場等の諸士がある。台湾には中川幸庵、大井司、近藤喜一の如き卓越した研究家もある。
長与又郎、宮川米次〈ヨネジ〉両氏の配下にある東大医学部及び伝染病研究所〔東京帝国大学附置伝染病研究所〕関係では両氏の指導により多くの研究者が輩出し、就中専門の士として石井信太郎(伝研)、赤木勝雄(日医大)等がある。尚川村麟也氏門下にも多くの研究者を出してゐる。
九州帝大の宮入慶之助氏門下には大平得三(九大)を初め、鈴木稔(岡山医大)、西尾恒敬、岡部浩洋〈コウヨウ〉及び宮崎一郎(鹿児島医専)等斯学に貢献したものが少くない。更に満洲医大の稗田憲太郞は九大と関係ある熱心なる寄生虫学者でその門下に久保道夫の如き知名の士がある。
最後に畜産・獣医方面につきては由来その人に乏しいが、最近東大の板垣四郎、台北の杉本正篤の如き斯界の研究に最も重要の貢献をなしてゐるものがある。〈288~291ページ〉
最初のほうにある「ヤンソン氏」は、お雇い外国人として、日本に獣医学を導入したヨハネス・ルードヴィヒ・ヤンソン(Johannes Ludwig Janson、1849~1914)のことである。
「神戸船員病並びに熱帯病研究所」は、原文のまま。この研究所の名称については、文献によっては、「船員病竝熱帯病研究所」、「船員病及熱帯病研究所」、「船員病及び熱帯病研究所」と表記しており、いま、その正式名を判断することができない。
今回、この本を読んだことで、寄生虫および寄生虫学者に関する知識が一挙に増えた。著者の吉田貞雄についての紹介、この本が国立国会図書館に架蔵されていない理由についての考察などについては、機会を改める。
吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その六回目(最後)。
五 本邦の主なる研究者
本邦寄生虫学研究の先達として初期以来活躍された前記少数の人々の外、明治三十年代までは本邦に寄生虫を専攻する人は殆どなかつたと言つてよろしい。斯学創設の際であるから先達の方々でも、他に専攻の学科を控へながら寄生虫学に力を尽くされたのである。動物学の方面で飯島〔魁〕先生は大学教授として、五島〔清太郎〕先生は高等学校教授として寄生虫学以外に多くの研究題目を持ち、学界に大きな業練を残されてゐる。又医学方面で桂田〔富士郎〕、藤浪〔鑑〕両氏は共に病理学の専攻で、他に重要な研究に従事され、ベルツ氏は内科医学者として、ヤンソン氏は内科医学者として務めてゐた。
明治四十年〔1907〕前後筆者等が大学を卒業する以前に寄生虫学を専攻した人は只宮島〔幹之助〕氏のみで、或は一時寄生虫の研究に手を染めた人でも、直に〈スグニ〉他に転じたやうである。当時飯島先生の下に小泉丹、小林晴治郎及び筆者が相前後して寄生虫学専攻者として卒業し、今尚之を継続してゐる。その後飯島、五島両先生の下に福井玉夫、森下薫、山田信一郎、尾崎佳正が相次いで同学を専攻し、尚之を継続してゐる。以上数氏は何れも大学又は研究所に在職し、各〻その道に精進し後進を誘導してゐる。従つて多数の寄生虫学研究者がその門下から輩出し、現今我が寄生虫学界活動の一大原動力となつてゐる。慶應の田宮貞仁〈テイジン〉、城大〔京城帝大〕の田邊操、阪大の岩田正俊の如きは知名の士である。
医学方面では藤浪氏が京都帝大の教授であるためその教室から中村八郎(金沢医大)、田部浩(岡山医大)、林直助(愛知医大)及び楢林兵三郎等続出し、桂田氏は岡山医専後神戸船員病並びに熱帯病研究所〔ママ〕を主宰した関係上、多くの研究家を出し、橫川定(台北帝大)、浅田順一(満洲技術厰)等の如き斯界の権威者の外、高亀〔良彦〕、長谷川〔逸郎〕、越智〔シゲル〕等知名の士が少くない。更に林〔直助〕氏門下には武藤昌知、安藤亮、江口季雄〈スエオ〉(大阪高医〔大阪高等医学専門学校〕)等があり、横川氏門下には、小林、磯部、錦織、大場等の諸士がある。台湾には中川幸庵、大井司、近藤喜一の如き卓越した研究家もある。
長与又郎、宮川米次〈ヨネジ〉両氏の配下にある東大医学部及び伝染病研究所〔東京帝国大学附置伝染病研究所〕関係では両氏の指導により多くの研究者が輩出し、就中専門の士として石井信太郎(伝研)、赤木勝雄(日医大)等がある。尚川村麟也氏門下にも多くの研究者を出してゐる。
九州帝大の宮入慶之助氏門下には大平得三(九大)を初め、鈴木稔(岡山医大)、西尾恒敬、岡部浩洋〈コウヨウ〉及び宮崎一郎(鹿児島医専)等斯学に貢献したものが少くない。更に満洲医大の稗田憲太郞は九大と関係ある熱心なる寄生虫学者でその門下に久保道夫の如き知名の士がある。
最後に畜産・獣医方面につきては由来その人に乏しいが、最近東大の板垣四郎、台北の杉本正篤の如き斯界の研究に最も重要の貢献をなしてゐるものがある。〈288~291ページ〉
最初のほうにある「ヤンソン氏」は、お雇い外国人として、日本に獣医学を導入したヨハネス・ルードヴィヒ・ヤンソン(Johannes Ludwig Janson、1849~1914)のことである。
「神戸船員病並びに熱帯病研究所」は、原文のまま。この研究所の名称については、文献によっては、「船員病竝熱帯病研究所」、「船員病及熱帯病研究所」、「船員病及び熱帯病研究所」と表記しており、いま、その正式名を判断することができない。
今回、この本を読んだことで、寄生虫および寄生虫学者に関する知識が一挙に増えた。著者の吉田貞雄についての紹介、この本が国立国会図書館に架蔵されていない理由についての考察などについては、機会を改める。
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