礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

各島の随所で住民の集団自決が……

2016-03-27 02:23:25 | コラムと名言

◎各島の随所で住民の集団自決が……

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、三月二七日の日誌を紹介する(五七~五九ページ)。

 三月二十七日 (火) 晴
 午前零時、勤務に上番する。よく眠ったもので、二日分を眠ったから、二十分前の午後十一時四十分に起床して、夕食が残してあったのを食べ、服装をととのえるのにやっとだった。「勤務中の問題点、情報などはなかったか」と質問すると、田中が申し送りに書いたものを読みあげて報告してくれた。
「昨夜午後十時、ニューディリー放送がありました。(一)米軍は昨日(三月二十六日)、沖縄本島西方の慶良間【けらま】列島の座間味【ざまみ】島に上陸し、座間味島の陣地を攻撃しました。(二)米軍は同じく昨日、約千五百名は、戦車を先頭にフィリピンのセブ島に上陸しました。以上であります」
 申し送りには、子供にしては読める字で書いてあった。「ご苦労、ご苦労」と声をかけてやり、内務班に帰らせて休ませた。
 午前三時、厠に行ったついでに内務班を見たら、二人、頭を並べてよく眠っていた。かわいい坊やだ。【中略】
 当番兵が三人分の昼食を持って来たので一人分は内務班においておくように指示する。二人にはおれの説明が終わってから交替して食べるようにいう。今日は最初なので、上番下番の挨拶申し送りからぱじめた。
「きよおつけ!」自分が号令をかける。田中は、きちっと足を四十五度に開いてちゃんと不動の姿勢をとっているのに、田原は足を休めにしたままなげ出している。自分は知らないうちに、田原の顔面を右に左に撲っていた。そのうえ田中にも、同僚の不注意を指摘してやれなかった貴様も同罪とばかり、二、三発撲った。【中略】
 自分は下番して、はじめて手を振ったので手の掌【ひら】が痛い。彼ら少年は軍靴も履かず、小学生の履くゴム運動靴を履いている。そんな子供に手を加えたことを後悔する。しかし、これが基本になって上下番の申告がきちんとできるようになってくれと願いながら横になった。
 午後八時。勤務のために情報室に入る。田中が号令をかけ、上下番の申し送りをきちんとやってくれた。昼に彼らを叱ったことがよかったのだ。報われたという気持で一杯だった。
 今日も情報室は、おかげさまでというか昼の間も、自分の勤務になっても、どこからも電話もなく情報の放送もない。
 午後十時。まったく昨日同様、ニューディリー放送が流されてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信じられるところの情報によりますと、本日、米軍は慶良間列島の渡嘉敷〈トカシキ〉島および慶良間島に上陸し、昨日上陸の座間味島と共にいずれも完全に占領しました。各島とも住民の大量の集団自決が随所に見られました。繰り返し申しあげます。信じられるところの情報によりますと。…………。――
 自分は途中で聞くに耐えられなかった。いかに敵側の放送にしても、往民の集団自決とはどんなことだろうか。会津若松藩の白虎隊を思い出したが、まだ彼らは子供ではあったが戦闘員だった。まったく戦闘に関係のない爺さん、婆さん、幼児を含め、夫が妻を殺し、親が子を殺し、子が親を殺し、あるいは親子夫婦ともども海中に身を投げたのか。ここにいたって住民までが自決に追い込まれるとは? 大量とは十人、二十人ではないだろう。何百人かも知れない。【以下略】

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