◎木村亀二、若き死刑囚の死刑執行に立ち会う
昨日、図書館に行き、木村亀二の『断頭台の運命』(角川書店、一九五三)という本を閲覧してきた。これは、なかなかの名著だと思った。また同時に、この木村亀二という人は、刑法学者に似合わぬ文章家だと感じた。
同書に、「死刑囚のこころ」というエッセイが収められている。若き死刑囚の死刑執行に立ち会った体験を描いたものである。本日は、これを紹介してみよう。
死刑囚のこころ
昭和二十五年八月十八日のことである。この日、宮城刑務所で死刑の執行があるから、立会わないかという刑務所長の好意を受けたので、朝の九時すこし前に、わたくしは、刑務所長室に行つた。暑い日であつたが、まだ早いので刑務所内ではどことなくすがすがしい朝の涼しさがあつた。
刑務所長の話では、死刑囚はまだ二十五歳の若者で、自分の愛人と結婚するための資金を得るために、共犯者と一緒になつて自動車の運転手をしめ殺し自動車を強奪しようとしたのだというのである。共犯者には無期懲役の言渡があつたが、この若者には死刑の言渡が確定したのだということであつた。一旦扼殺〈ヤクサツ〉しようとして仮死状態に陥つた被害者がよみがえつて逃げようとするのを、背後から兇器で撲り殺した点に重い状情があつたらしい。
九時半傾に刑場に行つたころは相当暑く、しかし、空は晴れて一点の雲もなく碧かつた。看守や検察官等十名ほどの立会者があつた。坊さんの読経が終り、片すみに置いてあるテーブルに若者は坊さんと対坐した。坊さんがタバコを出してすすめたので一本手にとつて吸つた。友達らしいのに手紙を書いた。手錠がはまつている不自由な手で、永々お世話になつたことを感謝し、これから、わたくしは死んで行きますと書いていた。読経中、あさ黄〈アサギ〉の衣物〈キモノ〉の裾のあたりがかすかにふるえていたように思つたが、若者は極めて平静であつた。すすめられた餡パンを一つゆつくり喰べ終り、坊さんが、それこれと最後に言いのこすことなどを聞いた上で、それでは、という若者の言葉とともに執行がなされた。執行に要した時間は十一分半であつた。健康そうで、よく肥つた一人の若者の生命が永遠に消えたのである。
この死刑の執行に立会つて、どうにも、わたくしの心の隅に引つかかつて忘れられない一つのことがある。それは、若者が餡パンを一つ喰い終つた際、坊さんが、もつとどうだとすすめたのに対し、若者が、同房にいた同じ死刑囚のことであろう、――君が最近病気で飯がたべられないでいるから、この餡パンをやつていただけないかと頼んだ時のことである。この死に行く者の最後の心持をどうして汲んでやれないのか、看守長らしい人が医者の意見を聞かなければといつて、引受けてやらなかつた。それで、坊さんはしずかに、確かに届けてやるから安心しなさいといつて、一つのパンを懐紙につつみ自分のふところに入れて、あずかつてやつた。この坊さんは中川さんといつて、実にすぐれた修養の積んた人格者であるが、彼の行為で、わたくしも、ホッとした。ただ、それだけである。
ただ、それだけであるが、わたくしとしては、看守長にもつと思いやりの心持があつてほしいと非常に残念に思つた。規則も規則であろうが、人間生死の瞬間において、思いやり一つで解決し得る瑣細なことが、どうして超克できないのだろう。これは瑣細なことであるが、今日の行刑の精神のあり方を徴表しているようであつて、どうしても直さねばならぬ重要問題である。
今一つ、生死の関頭に立つて友の病気をいたわり得る心境にまで改善した犯罪人をなぜ死刑に処さねばならないかということである。こうした同情心とか愛情というものは、執行の一歩手前に立つたから生ずるものではない。やはり、この若者も人間として善に生きかえり得るものを持つていたのである。彼の犯罪は憎むべきである。しかし、これを死刑に処さねばならない理由がどこにあるだろうか。右の二つの点が、わたくしの心の中で、いまもなお大きな問題として残つている。
行刑〈ギョウケイ〉の問題、死刑の問題について、もつともつと、おたがいに考えたいものたと思う。読者の皆さんのお考えはいかがですか。(一九五一)
ここに出てくる「中川」という坊さんは、宮城刑務所の教誨師の中川玄昭師のことであろう。中川師は、この前年の一〇月五日に同刑務所で執行された、連続暴行殺人犯・小平義雄の死刑にも立ち会っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます