
魁星像の下についている説明板です。先の山西南部の旅でも魁星閣、奎星閣についてお話しましたが、曖昧な説明しか出来ませんした。その時は、既にこの写真があったのですが、写真を撮ったことをも忘ておりました。こ今回、常徳を紹介するに当たり、この写真の説明文をよく見てみました。拙訳をここに付けます。括弧内は私の注釈です。
魁星は(中国の)古代天文学の中で二十八宿の主な一つである“奎星”の俗称であり、北斗七星の前の四星(柄杓の器の部分を形成する四つの星)、即ち天枢、天セン(王+旋)、天キ(王+幾)、天権を指す。この四星を“魁星”或いは“斗魁”と総称する。東漢(後漢)以来人々は天上の奎宿星官がこの世の文章と文運を主管すると思うようになった;北宋時代には科挙が盛んに行われ、魁星の地位が前例ない程高まり、各地あちこちで"魁星楼"或いは“魁星閣”が建造され、魁星神像が祀られ、線香や蝋燭が奉げられ、久しく衰えない。魁星は科挙試験場の命運を支配する主神となった;魁星は歴代読書人の心中の憧れとなった。明朝来、常徳の孔子廟の中でも魁星閣が建てられ、科挙前には盛大な拝礼儀式が挙行された。7月7日は魁星の誕生日である。
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魁星は(中国の)古代天文学の中で二十八宿の主な一つである“奎星”の俗称であり、北斗七星の前の四星(柄杓の器の部分を形成する四つの星)、即ち天枢、天セン(王+旋)、天キ(王+幾)、天権を指す。この四星を“魁星”或いは“斗魁”と総称する。東漢(後漢)以来人々は天上の奎宿星官がこの世の文章と文運を主管すると思うようになった;北宋時代には科挙が盛んに行われ、魁星の地位が前例ない程高まり、各地あちこちで"魁星楼"或いは“魁星閣”が建造され、魁星神像が祀られ、線香や蝋燭が奉げられ、久しく衰えない。魁星は科挙試験場の命運を支配する主神となった;魁星は歴代読書人の心中の憧れとなった。明朝来、常徳の孔子廟の中でも魁星閣が建てられ、科挙前には盛大な拝礼儀式が挙行された。7月7日は魁星の誕生日である。
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