住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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六種の供養と六波羅蜜

2022年05月29日 18時13分22秒 | 仏教に関する様々なお話
六種の供養と六波羅蜜 (昨日今日の法事後の法話より)





寺院の本堂須弥壇にも、各家の仏壇にもふつう六種の御供えがなされます。まず花があり灯明、線香があり、そのほかに、仏飯(飯食・おんじき)と水、水はお茶湯の場合もありますが、それに塗るお香である塗香をいれて六種となります。これらを六種の供養というのですが、これらは仏様に単なる習慣としてなされる御供というわけではありません。それぞれ六波羅蜜といわれる仏教の実践につながるものであるから尊い供養になると考えられているのです。

水は布施波羅蜜(ふせはらみつ)、塗香は持戒波羅蜜(じかいはらみつ)、花は忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)、線香は精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)、飯食は禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)、燈明は般若(智慧)波羅蜜(はんにゃはらみつ)に相当します。因みに波羅蜜とは、インドの言葉ではパーラミターで到彼岸と訳し、迷いの此岸から悟りの彼岸に至る意味で、そのために菩薩が修する行のことをいうのですが、大乗仏教では誰もが菩薩なのですから私たちが行うべき内容と捉えたらよいのです。

布施波羅蜜
一つ一つその意味するところを見ていきますと。水を供えることは布施波羅蜜を行じることであるとされます。砂漠に何日もさまよい食べ物も飲み水もなくなったりしたら、その時に飲む一口の水は命を長らえるよすがとなります。生命にとり水は不可欠のものであって、死に水をとるという表現にもあるように、亡くなってご遺体に差し上げる水は何よりの、最高の布施行為に当たるのです。その人にとって最も必要なものを施す、純真な心で行う施しを布施波羅蜜といいます。それは水が地球を循環しているように回り巡って返ってくるものであるように、なされた布施は回りまわって他からお返しがめぐってくるものであり、自他を、世の中を豊かなものにする功徳ある行為であると言えます。

持戒波羅蜜
塗香を供えることは持戒波羅蜜を行じることであるとされます。良い香りの塗香を手に取り掌にも甲にも塗る行為は身と心を清める行いであり、仏教徒にとっての戒、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)や十善戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)を守る、つまり身と口と心の行為において悪業をさけて生きることは身と心を清める行為であり、それが持戒波羅蜜となります。それは、自他ともに社会全体を健全なものにする功徳ある行為であります。

忍辱波羅蜜
花を供えることは忍辱波羅蜜を行じることであるとされます。野に咲く花、道端に咲く花は、どんな場所でも何度踏まれようともじっとその時を待ち条件が整えば花開きます。そうした名も知られぬ花のように、何があっても、いじめや差別があっても敵と味方とを区別せず、どんな環境でも耐え忍び、投げ出さず、毎日が同じことの繰り返しでも倦むことなく、真摯に生きることが忍辱波羅蜜です。それは花が周囲に彩りと良い香りを放つように、世の中に憩いと平和をもたらす功徳ある行為であると言えます。

精進波羅蜜
線香を供えることは精進波羅蜜を行じることであるとされます。線香は時間をかけてじわじわと燃え香りを放ち続けます。そのように、周囲の人々や社会のためになる善行為に励むことが精進波羅蜜です。それは周りに、社会全体に、線香の良い香りのように、よい影響を与え続ける功徳のある行為であると言えます。そして線香が長く香を放つように善行為も継続して行じ続けなければならないということでしょう。

禅定波羅蜜
飯食を供えることは禅定波羅蜜を行じることであるとされます。飯食は普段飽食している私たちには感じにくいですが、何日も食べられない飢餓状態にあったりしたら、一口のおかゆでも身も心も落ちつかせ、それがいかに身体を整え心を安定させるものであるかがわかるものです。その飯食のように、禅定は身を調え呼吸を静かに長く心落ちついて坐る時に得られる深い安らぎこそが禅定波羅蜜です。それは一人行じていても、周囲に世の中に落ち着いたよい影響をもたらす功徳ある行為であります。

般若(智慧)波羅蜜
燈明を供えることは般若波羅蜜を行じることであるとされます。明かりがあるからものが見えるのです。暗闇の中では足元を照らす灯火によって先に歩むことができます。お釈迦様の法は、まさに灯火で足元を照らすがごとくと言われるのですが、燈明が私たちの進むべき方向を照らすが如くに、一切の真実のあり方を明らかに如実に了解し至福をもたらす心の働きを般若波羅蜜といいます。お釈迦様の法のごとく、智慧は私たちを心晴れやかに幸せに導くものであります。それは、おのずと周囲に世の中に安心と幸福をもたらす徳そのものであると言えましょう。

これら六波羅蜜の実践として意味あるお供えをしているのだと思って、日々仏壇を荘厳し、過去精霊、先祖代々、そして回向文にあるように一切の衆生が仏道を成じるようにと供養をささげてくださることをお勧めしたいと思います。毎日仏飯と水やお茶湯を供え、ロウソクに火を入れ、線香を付けて供え手を合わせる行為が、それだけでとても大事な仏行をしているのだと理解してなされることで、それが励みとなり、大きな功徳となり、周りにも大きな影響を与えることでしょう。六波羅蜜は両彼岸において説法されることが多いためか、その期間に実践すべきものとも考えられています。が、もちろん常に心掛けてなされるべきものであって、もっとも簡単に毎日の仏壇へのお供えにおいて、その意味内容を改めて確認し、日常においても心掛けていたいものです。そして仏壇の前で、唱えるお経は禅定波羅蜜にあたるものと考えられますので、読経後はしばらくそのまま心静かに余韻に浸り、仏様のような心持で目を閉じ坐られることをお勧めします。継続していくことで、いずれ智慧がひらめくこともあるでしよう。楽しみにお続けください。

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