住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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苦行の内容ほか

2011年06月14日 17時00分23秒 | 仏教に関する様々なお話
(大法輪誌6月号特集『これでわかるブッダ』に掲載された三つのコラム原稿です。毎号役に立つ特集を組んでおられますが、7月号は、『仏教の智慧で現代病を乗り越える』鬱や不眠など様々な現代病について仏教者からのアドバイスに改めて学ぶことが沢山ありました。是非ご覧下さい)

『苦行の内容』

ブッダがおられた時代、当時のインドの修行者たちはどのような苦行を行っていたのであろうか。

仏典によれば、常に裸で過ごす、立ったまま大小便をするなど不作法に徹する苦行。草だけまたは苔だけを食べる、一切の施食を受けない、魚や肉を受けない、二日とか七日措いて食べ物を摂るなど食を制限する苦行。また、麻の粗衣や死体から捨てられた布を結んだ衣だけを着て過ごすなど着衣に関するもの。他に、常に立っている、常にしゃがんでいる、鉄の針の上で立ち臥すなど身による苦行がなされていたという。

では、後にブッダとなる修行者ゴータマ・シッダッタは、どのような苦行をなさったのであろうか。初期の経典は次のように伝えている。

 ①心を制する苦行
はじめにシッダッタは、座して上下の歯を噛み合わせ、舌を上顎に着け、その姿勢を保ちつつ、善い心を以て不善の心を抑え制御する苦行を行った。両脇から汗が流れ出し、力の強い人に頭をつかまれ肩を押さえつけられているように身体が激動したという。

 ②出息入息を止める苦行(止息禅)
次に、口や鼻からの呼吸を止める、すると両耳から出入りするようになり、それをも止める苦行をなされた。頭に激痛が走り、腹をも切り裂くように感じられ、全身が焼き焦がされるような苦しみを味わったとされる。

 ③断食の苦行
そして次に、完全な断食を試みようとされると、シッダッタの前に神々が現れ、「あなたが完全な断食をされるなら毛穴から天の滋養を摂るようにします」との申し出があった。そのため、緑豆の汁など豆類の汁を少量ずつだけ摂る断食を行われた。極度にやせ細り、手足は蔓の節のようになり、眼孔は井戸の水が深く落ち込んでいるように見え、腹の皮は背骨に接するほどであったと言われる。

これらの苦行を成道までの六年の間に、過去未来、そして現在のいかなる修行者よりも急激に烈しく実践されたという。その厳しさは、既に「沙門ゴータマは死んでいる」と言われるほどであったというが、そうして徹底的に行うことで、苦行は煩悩を滅尽する覚りへの道ではないと確信するに至ったのである。


『ブッダが行った奇跡』

ブッダがその生涯に数々の神通奇跡を現されたことは、多くの仏典に記録されている。

伝道開始間もなくの頃、ブッダはかつて苦行に励げんだウルヴェーラーに向かわれ、火を崇拝する結髪行者カッサパ三兄弟の庵(いおり)を訪ねた。そして、拝火堂に棲まう毒竜を神通力(じんつうりき)(超能力)で調伏(ちょうぶく)したという話は有名である。

がそのときブッダは、他にも沢山の奇跡を起こされている。神足通(じんそくつう)(自由に欲する所へ現れ得る能力)で遙か北部の土地に行き托鉢されたり、五百本の薪を一度に割ったり、燃えなかったそれらの薪に一どきに火をつけたり。大洪水が来てもブッダの周りはあらゆる方角に水を退け水に浸かることなく、船に乗って駆けつけたカッサパの所へ空を飛んで降り立つなど、三千五百もの奇跡を現されたという。

また、成道七年目には、ラージャガハ(王舎城)でビンビサーラ王との約束を果たすため、ブッダは三十三天界(帝釈天を主とする神々の住処)に昇られて、母上マーヤ王妃や神々に、三ヶ月間法を説かれた。ブッダは雨期の開ける満月の夜、四方に六色の光を放ちながら地上に降りてこられたという。

そして成道して十年ほどの頃、サーヴァッティ(舎衛城)で六師外道(ろくしげどう)が、ブッダに自分たち以上の神通力があるのを示せと要求した。そこで彼らを屈服させるために、ブッダはその時も様々な奇跡を現された。

国王や多くの人々が見守る中、ブッダは上空に浮遊し、身体から色とりどりの光を発して、頭上からは火を足からは水を噴きだす奇跡(双神変)、さらには無数の蓮華が現れ、そのどの蓮華にもブッダが座すという奇跡(千仏化現)を現された。

この他、サーヴァッティでブッダを殺そうと追いかける凶賊アングリマーラを神通力で改心させた話や、ブッダを害するため従兄弟のデーヴァダッタが放った狂象が、ブッダの威光と神通力の前に恭順となり、足を曲げて座った話などがよく知られている。

しかし、ブッダがこれら沢山の「神通の奇跡」を現されたのはひとえに法を説くためであり、正しい法を説きそれによって聞いた者の生き方が改まる「教誡の奇跡」こそが勝れているとされたのであった。


『ブッダと同時代に生まれたジャイナ教とは』

ジャイナ教の祖師ニガンタ・ナータプッタは、当時の代表的な自由思想家(六師外道)の一人である。ニガンタとは、束縛を離れたとの意味で、古くからあった宗教上の一派の名である。彼がその教説を改革し、ジャイナ教が成立した。

ニガンタは、結婚生活を経て三十歳で沙門となった。十二年の苦行の末大悟してジナ(勝者との意味で、ジャイナ教とはジナの教えのこと)となり、マハーヴィーラ(大雄)と名のる。

彼は、ブッダと同じ王族の出身であり、バラモン教の供儀や祭祀を否定し、宇宙の創造者としての神や絶対的原理を否認して、他の生命を尊重する意味から道徳を重視するなど、ジャイナ教は仏教と類似している点が多い。しかし、ブッダの中道説に対しては相対主義を、無我説に対しては要素の実在を、苦行否定に対して苦行主義を唱えるなど、教義面では大いに相違していた。

宇宙の要素を、霊魂・物質・運動の原理・静止の原理・空間に分け、これら五つの実体あるものによって私たちの世界は構成されるとした。運動、静止の原理さえも、物や心を動かしたり止める力をもった具体的な存在であり永遠の実体と捉えるのである。

そして、霊魂は上昇性を持つが、物質は下降性を有するとして、人は行為をなすとその業(ごう)によって微細な物質が霊魂に付着し束縛する。それにより霊魂の上昇性が妨げられ、輪廻の苦しみを繰り返す。そのため輪廻から解脱するには、苦行によって過去の古い業を滅ぼし、新しい業を防ぐ必要があると主張したのである。

出家者は、遊行生活の中で過酷に苦行をなし、仏教の五戒に似た五誓(不殺生・真実語・不盗・不淫・無所有)の、特に不殺生や無所有を徹底することを説いた。そこで一糸まとわぬ裸形で過ごして菜食に徹し、さらに度々断食をして死に至ることまで称賛したのである。後には白衣を纏うことを許す白衣(びゃくえ)派が現れ、裸形派(らぎょうは)と分裂した。

一方在俗の信者は、生き物の命を大切にして道徳的な生活を送ると、死後神々の世界に達するとされた。在家者にも不殺生戒が厳命されるため、多くのジャイナ教徒が商業関係の職に従事している。インドの外に広まることなく、国内でも0.五%にも満たないジャイナ教徒ではあるが経済界を中心に大きな影響力を今も保持している。


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2 コメント

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Unknown (工事標識)
2011-06-15 12:34:08
ジャイナ教について、とてもわかりやすい解説をありがとうございます。
今も大きな影響力があるのですね・・・
自分の中で謎がいっぱいだったので、とても勉強になりました。
返信する
工事標識様 (全雄)
2011-06-18 06:46:44
はじめまして。コメントありがとう御座います。

ジャイナ教はインド国外ではほとんど知られていませんから。

ですが、神戸にはジャイナ教寺院があったと思います。
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