住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

坐禅会のこと

2006年06月01日 07時25分34秒 | 様々な出来事について
6月から、毎月第一土曜日午後3時より、5時まで坐禅会を開きます。真言宗寺院で坐禅会というのは珍しい。あるいは、似つかわしくないという方もあるかもしれない。しかし元々仏教に坐禅はなくてはならないものであろう。戒定慧の三学を基本とする仏教の実践の中核に禅定があるのもその為だ。

坐禅などというものは僧分の為すことと思われる方もあるかもしれない。しかし、広くアジアの仏教国では道俗を問わず坐禅瞑想を行う。坐禅と瞑想は違うという御仁もあろう。坐禅は中国で発展したもので、不立文字、教外別伝と言い、本来の仏典にそったものではないのかもしれない。

しかしより専門的に修養を重ね今生でさとりを真に求めようとする人は別にして、坐禅から入り、お釈迦さまの瞑想に入門しようとする人には、坐禅と瞑想の別を取り立てて分ける必要もないだろう。

國分寺では、坐禅会とは名乗るものの私自身の遍歴から坐禅瞑想とさせていただく。特別坐禅と瞑想の区別をすることなく、以下のような要領にて実践していく会と位置づけていきたい。これをお読みの、近隣諸氏は是非お気軽にご参加いただきたい。なお、阿息観、阿字観は希望者のみ。

   [坐禅瞑想の手引き]

坐禅瞑想とは、
 自分自身の内面を見つめること。
 外界からの刺激に反応している普段の状態からの解放。
 自分自身の心の習慣、癖を改めていくこと。 自分を知ること。
 周りの人たち生き物たち自然との共感へ導き、心身のリラックスをもたらす。
 この世の中全体の成り立ち、因果道理に気づくこと。

歩く瞑想
 右足が上がります、運びます、下ろします、左足が上がります、運びます、下ろしますと心の中で言ってから足を動かし歩く。一定の距離を決め、往復する。手は前で組むか後ろに回す。視線は前方2メートルくらいの所に下ろし、足の感覚に気づくよう心がける。

坐禅の姿勢
 坐る瞑想では、背筋をまっすぐに伸ばしあごをやや引いて肩の力を抜き、手は、お腹の前に置いて少し合わせる程度にする。足は胡座でも正座でもよいが、胡座の場合は、右足を左ふくらはぎの上にのせる(半跏趺坐)。目は軽く閉じる。身体全体の力を抜く。

呼吸
 吐くときも吸うときも自然に音を立てず、強くしたり弱くしたりせず、同じ調子で呼吸する。呼気吸気共に八割九割のところで止める。呼吸は私という思いが生まれ出るところから生じている。呼吸が制御されれば心も静かになる。全身の五十兆もの細胞が一斉に呼吸する。鼻端または下腹、額などに意識を集中する。

導入
 この瞑想は、私の幸せのため、周りの人たちのため、生きとし生けるものの幸せのために行うと念じる。

坐禅瞑想の基礎

 数息観
 一つ二つと心の中で数を数え、十まで数えてまた新たに一つから数え始める。「ひとー」で息を吐き、「つー」で吸う。途中数が分からなくなった場合は、また一つから数え始める。一定の時間を決めて行う。

 慈悲の瞑想
 「私は幸せでありますように」「悩み苦しみが無くなりますように」「願い事が叶いますように」「悟りの光が現れますように」と念じ、次に身近な人たち、生きとし生けるものたちにも同じように念じる。

 阿息観
 ただ心の中で「あー」と息を吐き、「あー」と息を吸う。吐くときに身体の中の全ての悪いもの否定的なもの汚いものが外に出て行くと思い、吸うときには、身体の中によいもの肯定的なものきれいなもの神聖なものが入ってくると思う。

止の瞑想

 阿字観
 阿字観本尊を前に目を開き、しっかり月輪を観じ、阿字を観じ、それを心の中に観じる。心身が阿字によってまったく白淨となり、次第にその阿字を空間一杯に拡大し、宇宙全体の中にとけ込む。しばらくしてそれをまた縮めていき心の中から阿字観本尊に戻し阿字観を終える。

観の瞑想

 お釈迦様の瞑想(四念処)
 身体の動き、感覚、心、様々な気づき、それら今の自分に起きている一つ一つに言葉で確認を入れていく。
 まず、身体はゆったりと落ち着いており、ただ、お腹が呼吸にあわせふくらみへこむだけの動きがあるので、そのことを観察する。その他のことが起きたり生じたときには、そのことに気づき言葉で次のように二回程度確認する。

 お腹がふくらむ、へこむ、動かす、触れる、
 痛い、かゆい、暑い、寒い、聞こえる、
 考えている、思い出した、眠い、怒っている、 いらいらしている、悲しい、煩わしい

などとラベルを貼るように一つ一つの自分に起こっていることを確認していく。
 そのことに快不快、好き嫌い、善悪などの解釈をすることなく、また感覚に対してもなるべく平静であること。雑念の中に埋没すると呼吸が乱れ、静かな心が動揺する。
 そうして、またお腹が「ふくらむ」「へこむ」という身体の動きにもどり観察する。その時、身体全体の感覚に気づくようにする。十五分、三十分などと一定の時間を定め行う。

終り方
 目を開けると心の中で言ってから、静かに目を開き、この瞑想によって善い業が得られ、その功徳によって、自分も、周りの人たちも、生きとし生けるものたちも幸せでありますようにと念じつつ瞑想を終える。

効用
 過去や未来にとらわれることなく、今に生きられるようになる。
 心身が穏やかになり、落ち着きのある生活が出来る。
 心晴れやかに幸せを実感できる。
 周りからの非難賞賛から解放される。
以上
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