住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記12

2006年09月08日 09時58分55秒 | 四国歩き遍路行記
翌日出がけに、「それではどうぞお先に」とAさんに言われ、私が先に歩き出す。今思えば、Aさんは60代半ばくらいの女性だったのだろう。当時は私も30になったばかりで、随分年が離れていたこともあり、孫と祖母くらいに思えたが、子と母と言ってもおかしくない年の差だったのかもしれない。随分失礼なことも言っていたのではないかと反省する。このAさんのお蔭で私の引き摺っていた足は癒され、この後室戸に向かってひたすら歩く元気をいただけたのだと思う。

薬王寺から室戸の24番最御埼寺までは86キロもある。その間に番外札所の鯖大師がある。阿佐海岸鉄道牟岐線の下をくぐって国道の右側に道があった。鯖大師は、鯖を右手に持った弘法大師の石像が本尊で、昔お大師さんがこの地で修行中に塩鯖を運ぶ馬子に鯖を供養してくれるように乞うて無碍に断られたというよくある話が起源になっている。

その馬子はその先に進み坂に差し掛かったところで馬が急に動けなくなった。馬子は先ほどの僧に供養しなかったせいと思い引き返して、鯖をお大師さんにさしだした。大師は加持した水を馬に飲ませると馬は元に戻り、そして大師は近くの浜で塩鯖を加持すると生き返って泳ぎだしたと言われている。

宿坊もあって賑わっていた。近年大きなお堂も出来たが、昔は小さな祠のようなものだったのではないかと思わせる低い天井のお堂で拝む。ゆっくりお参りしてまた海岸沿いの国道を室戸に向け歩く。時折きれいな砂浜が広がった様子を一望できる。青空、青い海、岩の黒茶色、そして木々のみどり、砂浜の白。この色のコントラストがすばらしい。思わず駆けだして砂浜で寝転がり青い海に泳ぎ出したいという思いにとらわれつつ歩く。

この辺りからか、2時間歩いたら少し道端に腰掛け休む習慣になっていた。また昼の時間や夕飯時間にお店に出くわすかも分からないので、商店があったら、とにかくおにぎりやらパンを買い込み頭陀袋に入れておくようにした。この日も途中で買ったおにぎりを大砂海岸で海を眺めつつ食べた。今日はどんなところで寝れるのか、足の調子が良くなって、そんな不安もよぎる。海部、宍喰。港町を通過する。

海部という字を見て、90年代の初めに首相を勤めた海部総理を思い出していた。海部さんは私が高校生の頃よく見ていた、今でも日曜日の朝放映しているNHKの国会討論会という番組に毎週のように出演し、こぎみいい答弁をしていたのが印象にあった。丁度この遍路をしている時期に首相だったのではないかと思う。

実はこの後2年後インドに行くときに成田の搭乗ロビーで海部氏と出くわしている。SPやら取り巻き数人を連れて歩いてきたのだが、海部氏の周りにオーラのような物を感じたのを記憶している。ところで海部氏がこの地とは関係があるのか無いのか定かでない、確か愛知県選出だ。

さてそれはさておき、海岸沿いをひたすら歩いて県境に差し掛かり、いよいよ土佐の国。甲の浦を過ぎて東洋町に入ったところで、右側に東洋大師と看板があるのに気がついた。午後の何時頃だったであろうか。小高い石垣の上に番外札所東洋大師があった。小さなお堂の前で心経を唱えていると、ガタガタと戸を開けて、小さな住職さんが出てきてくださった。

老眼鏡で目が大きく見える。キラキラした目をして、「よくおいでなすった。中に入りなさい」そう言うと庫裡に入ってしまった。私はお経だけ唱えて帰ろうと思っていたのに、後について行かざるをえないことになって、中にはいると、電話をしている。そば屋さんに出前を取っていた。私が腹を空かしているだろうと気を遣ってくださったようだ。小さな庫裡の後ろにはお堂がくっついていて、暗いお堂の中にお大師さんが隠れておられた。

元々この辺りは野根というところで、昔は野根大師と言っていたそうだが、近年東洋町と町名が変わったので東洋大師と言っているとか、修行時代一生懸命拝んでいると、雨が降ってきて気合いを入れると自分を雨が除けて降ったとか、とにかく色々昔話を語ってくださった。一人住まいで、跡取りもいないという。「まあ、ゆっくりしていきなさい」というので、その日はのんびり、野根のお大師さんと寝ることにした。

こらこら車 そんなに急いで いいことあるか

てくてくと お前も遍路か カタツムリ

もったいないと 思いながら 先を急ぐ

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牟岐は私の生まれ故郷 (shinobueakira)
2006-09-09 01:09:25
徳島県海部郡牟岐町と言えば私の生まれ故郷なんですよ!まさか牟岐線の事が書かれているとは思いませんでした。

10年位前に親父の兄が亡くなった時に、帰って以来その後は帰っていませんが、生まれ故郷はいいものですね!

10年位前に帰った時に牟岐町に初めてコンビニが出来たといってました。

車に乗っても、殆ど信号はないし、駐車しても車のキーはかけたままでした!誰も車を盗んでいくような者はいないよと言っていました。

町内の人たちが皆家族と一緒のような感覚で生活していました。

日本の国にもこんな町もまだ残っているんだと思い新鮮な気持ちになったことを覚えています。宍喰はジャンボ尾崎の実家があるところですね。

前回、姿勢の事も書かれてありましたが、姿勢は本当に大事な事だと思います。

姿勢が正しくないと、毛筆で字を書くときは気合が入らないし、社交ダンスでは姿勢が正しくないとパートナーにリードが上手く伝わりません、等色々姿勢は大切だと思います。

一番大切な姿勢は『生きる姿勢』かもしれませんね。

清く、正しく、謙虚、素直、感謝の心を持って生きていれば、生きる姿勢も自然と綺麗な清清しい姿勢になるような気がします。

皆が幸せを掴める様な気がします。
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牟岐の宿 (全雄)
2006-09-09 06:31:59
コメント、ありがとうございます。



この話は16年前に歩いてはじめて遍路したときのことを当時の日記と記憶を辿り書いているものです。



この話の初めにあるAさんと最後に泊まったのが牟岐の町の旅館でした。周りにこれといった印象が残っていませんが、JRの駅の近くでしたが、静かなところだったと記憶しています。



姿勢ということは私自身がやや猫背で、気がつくとお経を唱えるときでも背筋が伸びていないのでよい声が出ないことがあり、このような文章を書くことになりました。



またお便り下さい。ありがとうございました。
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