「フェイシズ」 1968年 アメリカ
監督 ジョン・カサヴェテス
出演 ジョン・マーリー ジーナ・ローランズ シーモア・カッセル
リン・カーリン フレッド・ドレイパー ヴァル・アヴェリー
ストーリー
映画は、ある娼婦の家で飲み騒ぐ二人の男の描写に始まる。
家の主人であるジェニーをめぐって旧友と諍いを起こすリチャードは彼女に惚れているようだ。
帰宅した彼はすぐにでも妻マリアにそれを切り出したい。
しかし、いつも通りの夕飯をとり、ベッドに入り冗談を言い笑いあう。
そして翌日、リチャードは急に離婚の意思を妻のマリアに告げた。
妻はただ戸惑うが、リチャードはその場でジェニーに電話して会いに出掛けてしまう。
ジェニーと会ったリチャードは彼女の家に泊まると今までにない行動に出る。
一方、マリアは気晴らしに友人たちとディスコへ出かけた。
踊っていた若者チェットを自宅に連れ込み語り合うが、奔放なことを口では言いながら友人はすごすごと帰ってしまい、やがてマリアは彼とベッドを共に……。
しかし、目覚めたチェットはマリアが睡眠薬自殺を図ったと知りうろたえる。
必死に彼女を救おうとするうち、チェットはマリアへの愛に気づく。
マリアはチェットの必死の看病で救われるが、夫がやっぱり娼婦とはしょせんは金の間柄と帰宅してきた。
チェットは逃げ出し、家には2人だけが残され、深い沈黙が夫婦を包みこんでいくのだった。
寸評
関係が破綻した夫婦の三十六時間を描いているだけの非常にシンプルな物語であり、破綻に導く複雑な人間関係とかドラマは全くない。
リチャードらが娼婦の家でのパーティまがいのバカ騒ぎで、男たちと女たちが遊びほうける様子が延々と映しだされるだけで、僕はいい加減ウンザリしたのだが、かろうじて持ちこたえられたのはモノトーンによる前衛的とさえいえる映像がかけ巡っていくからであった。
中年の男たちが馬鹿騒ぎをやっている一方で、その妻たる中年の女たちが欲求不満の馬鹿騒ぎをやっている。
それぞれの夫と妻たちは結婚生活を維持しているが、中身は欲求不満が渦巻いていながら体裁だけを取り繕っているという欺瞞によって支えられている関係である。
題名が著すように、出演者の顔のアップが、彼ら彼女らにある鬱積した気分を示し、ドキュメンタリータッチの映像が退廃的なムードを出していく。
カメラワーク、映像は素晴らしいと感じるが、臨場感を感じないので馬鹿騒ぎによる会話が続くとその場に参加していない僕は退屈になってくる。
男たちに比べるとマリアの家に集まったディスコ帰りの女たちの様子は興味を持って見ることができた。
若いチェットは軽快なダンスを見せ、女性の一人は彼とダンスに興じる。
別の女性は引っ込み思案なのか、ダンスに自信がないのか踊ることを渋る。
はやし立てられてかろうじて付き合いのダンスを見せる。
夫への不満を述べながら家路についていく。
リチャードは結構な収入があるように見えるし、登場する人々の態度から家庭は裕福そうに感じさせる。
マリアにもリチャードにも濃厚なラブシーンが用意されているわけではないので、普段の生活のうっぷんを晴らす”中の上階級”の暇つぶしによる浮気とオフザケと見えてくる。
しかし、考えてみればこの感情は、世の家庭に一般的に存在しているものであるような気もする。
倦怠期と表現されるものかもしれないが、それぞれに不満も出てくるし、若い頃にはいいところばかりが見えていたのに欠点が目に付いてくるようになる。
リチャードのように「離婚したい」と言えればいいが、大抵の家庭ではそれが言い出せず、どちらかが我慢することで結婚生活を維持している。
子供のことであったり、離婚後の生活費のことであったりを考えると不満は表に出てこず、せいぜい冗談交じりに夫への不満やら妻への不満をグチる程度である。
リチャードが散々ジェニーとふざけあって、一夜を過ごしたあとに帰ってみると妻マリアはディスコで知り合った若い男チェットと不倫していてその男が窓から逃げていく。
リチャードとマリアは階段でタバコを吸って、それぞれ上と下に消えていくショットはこの夫婦の破綻を思わせる。
このショットはなかなか良かったのだが、ふたりはこれからどうするのだろう。
リチャードがジェニーと上手くいくとは思われないし、マリアとチェットが幸せな生活を築くとも思えないのである。
結局元通りなのか、それとも一人で生きていくことになるのか。
二人とも淋しい人生だな。
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