「パリ、テキサス」 1984年 西ドイツ / フランス
監督 ヴィム・ヴェンダース
出演 ハリー・ディーン・スタントン
ナスターシャ・キンスキー
ハンター・カーソン
ディーン・ストックウェル
オーロール・クレマン
トム・ファレル
ストーリー
テキサスの原野。一人の男が思いつめたように歩いている。
彼はガソリン・スタンドに入り、水を飲むと、そのまま倒れた。
病院にかつぎこまれた彼は、身分証明もなく、医者は一枚の名刺から男の弟ウォルトに電話することができた。
男はトラヴィスといい、4年前に失踪したままになっていたのだ。
病院から逃げ出したトラヴィスをウォルトが追うが、トラヴィスは記憶を喪失している様子だった。
トラヴィスは口をきかず飛行機に乗ることも拒む。
車の中でウォルトは、さりげなく、妻ジェーンのこと、ウォルトと妻のアンヌが預かっている息子ハンターのことを聞くが、何も答えない。
ただ、〈パリ、テキサス〉という、自分がかつて買った地所のことを呟いた。
そこは、砂しかないテキサスの荒地だが、父と母が初めて愛をかわした所だとトラヴィスは説明した。
ロサンゼルスのウォルト家に着いたトラヴィスを、アンヌと7歳に成長したハンターが迎えた。
ハンターとトラヴィスの再会はぎこちなく、お互いのわだかまりが感じられた。
しかし、数日経つうちにうちとけだした二人に複雑な思いを感じるウォルトとアンヌ。
実の息子同然にこれまで育ててきたのだから……。
トラヴィスの記憶が戻るようになりはじめたある日、5年前に撮った8ミリ映画をみなで見た。
幸福そのものだった自分の家庭のフィルムを見て、必死に何かをこらえるトラヴィス。
寸評
哀愁を帯びた音楽と共に描かれる映像は静かなもので、ゆったりとした物語の展開だし、時折イライラした弟のウォルトが声を荒げるのを除いて落ち着いた会話がかわされ言い争いもない。
劇的なドラマを期待する向きには物足りなく感じる内容だが、じわじわとしみ込んでくる深みのある作品だ。
「パリ、テキサス」と聞くと、フランスの首都パリとアメリカのテキサスを結ぶ物語だと思うし、劇中でもそのような会話があるけれど、パリはパリでもテキサスにあるパリという町の事である。
そこにトラヴィスは土地を買っているのだが、トラヴィスの記憶喪失もあってその土地が何なのかは分からない。
記憶喪失のせいかもしれないがトラヴィスはしばらく全く口を利かないのだが、やがて彼は蒸発していてウォルトが預かっているハンターと言う息子がいることが見えてくる。
ミステリーの様相も呈してくるが、決してミステリー作品ではない。
トラヴィスはハンターに対して何とか父親らしく振舞おうとするが、ハンターはなかなか受け入れられない。
ウォルトとアンヌ夫婦には子供がいなかったのでハンターを実の息子として愛情を注いできた。
ハンターはそんな両親に満足していたとも思えるが、やがてトラヴィスに少しずつ心を開いていく。
そうなるとアンヌにはハンターを失うのではないかとの不安が湧いてくる。
そんな状況下でアンヌは息子を置き去りにしたジェーンの消息についてトラヴィスに語って聞かせる。
静かな展開だが、ジェーンは今でもハンターの事を気にかけていることが判り、物語はここから大きく動き出す。
トラヴィスとハンターはジェーンを探しに出かけるが、それを聞いたアンヌの悲しみは描かれない。
実の親子の話に軸足が移り、育ての親の事はその後も描かれることはない。
僕はやはり育ての親の事が気になった。
トラヴィスとジェーンの最初の再会はマジックミラー越しで、この時ハンターは母親には会っていない。
しかし、ハンターはそのことで駄々をこねるようなことはしない。 最後まで静かな映画なのだ。
二度目に会う時には、トラヴィスはハンターと別れることを決意している。
そしてそこでお互いに打ち明け合う内容は感動的なものだ。
マジックミラー越しの事もあって、話は独白のような形で一方的なのだが、お互いの表情も含めた芝居はなかなか見せるものだった。
トラヴィスはジェーンを愛しすぎていたのだ。
愛しすぎたために少しでもジェーンのそばにいたいと思い、そのために仕事をやめ収入的には不安定な生活に入ってしまい結婚生活は破綻をきたす。
ジェーンへの愛はジェーンへの疑いに発展し嫉妬を生んだ。
お互いの告白は切ないものがあったし、本当に愛すとこんな悲劇を生むのかもしれない。
子供にとって母親は特別な存在なのだろうか?
父親の顔を知らないで育った僕は父親に会いたいと思ったこともないし、たった一度の出会いでも何の感情も湧かなかった。
トラヴィスは去っていくが、その時点でも僕はウォルト、アンヌの夫婦の事が気になったし、ハンターとジェーンがウォルト夫妻のもとに帰ればいいなと思った。 ライ・クーダの音楽、ロビー・ミュラーのカメラは本当にいい。
監督 ヴィム・ヴェンダース
出演 ハリー・ディーン・スタントン
ナスターシャ・キンスキー
ハンター・カーソン
ディーン・ストックウェル
オーロール・クレマン
トム・ファレル
ストーリー
テキサスの原野。一人の男が思いつめたように歩いている。
彼はガソリン・スタンドに入り、水を飲むと、そのまま倒れた。
病院にかつぎこまれた彼は、身分証明もなく、医者は一枚の名刺から男の弟ウォルトに電話することができた。
男はトラヴィスといい、4年前に失踪したままになっていたのだ。
病院から逃げ出したトラヴィスをウォルトが追うが、トラヴィスは記憶を喪失している様子だった。
トラヴィスは口をきかず飛行機に乗ることも拒む。
車の中でウォルトは、さりげなく、妻ジェーンのこと、ウォルトと妻のアンヌが預かっている息子ハンターのことを聞くが、何も答えない。
ただ、〈パリ、テキサス〉という、自分がかつて買った地所のことを呟いた。
そこは、砂しかないテキサスの荒地だが、父と母が初めて愛をかわした所だとトラヴィスは説明した。
ロサンゼルスのウォルト家に着いたトラヴィスを、アンヌと7歳に成長したハンターが迎えた。
ハンターとトラヴィスの再会はぎこちなく、お互いのわだかまりが感じられた。
しかし、数日経つうちにうちとけだした二人に複雑な思いを感じるウォルトとアンヌ。
実の息子同然にこれまで育ててきたのだから……。
トラヴィスの記憶が戻るようになりはじめたある日、5年前に撮った8ミリ映画をみなで見た。
幸福そのものだった自分の家庭のフィルムを見て、必死に何かをこらえるトラヴィス。
寸評
哀愁を帯びた音楽と共に描かれる映像は静かなもので、ゆったりとした物語の展開だし、時折イライラした弟のウォルトが声を荒げるのを除いて落ち着いた会話がかわされ言い争いもない。
劇的なドラマを期待する向きには物足りなく感じる内容だが、じわじわとしみ込んでくる深みのある作品だ。
「パリ、テキサス」と聞くと、フランスの首都パリとアメリカのテキサスを結ぶ物語だと思うし、劇中でもそのような会話があるけれど、パリはパリでもテキサスにあるパリという町の事である。
そこにトラヴィスは土地を買っているのだが、トラヴィスの記憶喪失もあってその土地が何なのかは分からない。
記憶喪失のせいかもしれないがトラヴィスはしばらく全く口を利かないのだが、やがて彼は蒸発していてウォルトが預かっているハンターと言う息子がいることが見えてくる。
ミステリーの様相も呈してくるが、決してミステリー作品ではない。
トラヴィスはハンターに対して何とか父親らしく振舞おうとするが、ハンターはなかなか受け入れられない。
ウォルトとアンヌ夫婦には子供がいなかったのでハンターを実の息子として愛情を注いできた。
ハンターはそんな両親に満足していたとも思えるが、やがてトラヴィスに少しずつ心を開いていく。
そうなるとアンヌにはハンターを失うのではないかとの不安が湧いてくる。
そんな状況下でアンヌは息子を置き去りにしたジェーンの消息についてトラヴィスに語って聞かせる。
静かな展開だが、ジェーンは今でもハンターの事を気にかけていることが判り、物語はここから大きく動き出す。
トラヴィスとハンターはジェーンを探しに出かけるが、それを聞いたアンヌの悲しみは描かれない。
実の親子の話に軸足が移り、育ての親の事はその後も描かれることはない。
僕はやはり育ての親の事が気になった。
トラヴィスとジェーンの最初の再会はマジックミラー越しで、この時ハンターは母親には会っていない。
しかし、ハンターはそのことで駄々をこねるようなことはしない。 最後まで静かな映画なのだ。
二度目に会う時には、トラヴィスはハンターと別れることを決意している。
そしてそこでお互いに打ち明け合う内容は感動的なものだ。
マジックミラー越しの事もあって、話は独白のような形で一方的なのだが、お互いの表情も含めた芝居はなかなか見せるものだった。
トラヴィスはジェーンを愛しすぎていたのだ。
愛しすぎたために少しでもジェーンのそばにいたいと思い、そのために仕事をやめ収入的には不安定な生活に入ってしまい結婚生活は破綻をきたす。
ジェーンへの愛はジェーンへの疑いに発展し嫉妬を生んだ。
お互いの告白は切ないものがあったし、本当に愛すとこんな悲劇を生むのかもしれない。
子供にとって母親は特別な存在なのだろうか?
父親の顔を知らないで育った僕は父親に会いたいと思ったこともないし、たった一度の出会いでも何の感情も湧かなかった。
トラヴィスは去っていくが、その時点でも僕はウォルト、アンヌの夫婦の事が気になったし、ハンターとジェーンがウォルト夫妻のもとに帰ればいいなと思った。 ライ・クーダの音楽、ロビー・ミュラーのカメラは本当にいい。
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