「ソルジャーブルー」 1970年 アメリカ
監督 ラルフ・ネルソン
出演 キャンディス・バーゲン
ピーター・ストラウス
ドナルド・ブリーザンス
ストーリー
1860年代のアメリカ中西部のコロラドでは西部開拓の嵐はとまることをしらないでいた。
だがそのために先住民のインディアンと開拓者、騎兵隊との争いは尽きる事がなかった。
クレスタ・リー(C・バーゲン)は、2年前たまたまこの辺りを旅行中シャイアン族に襲われて、そのまま一族の酋長”まだらの狼”の愛をうけていた。
偏見を持たない彼女は、シャイアンでの暮らしも結構楽しく過ごしていたが、一族に別れを告げて砦に向かう事になる。
彼女を護送する騎兵隊の小隊はたまたま金塊を運んでいたため、待ち伏せしていたシャイアンに襲撃され皆殺しの目にあってしまう。
そこで生き残ったのはクレスタとホーナス・ガント(P・ストラウス)という若い兵士だけだった。
彼は父親をインディアンに殺され、復讐に燃えている。
二人はそれから幾日か旅を共にするが、インディアンに対する意見はことごとく対立する。
それでもいつしかホーナスはクレスタを愛するようになっていた。
二人はやっと砦にたどり着くが、この隊はシャイアンとの約束を破って部落へ襲い掛かる準備をしていて、やがて目を覆う殺戮が始まってしまう。
今になってクレスタの主張を認めたホーナスは彼女の愛を信じて反逆罪で引き立てられていくのだった・・・。
寸評
勇敢なフロンティア・スピリットに富んだ開拓者達や、辺境を防備する騎兵隊といった伝統的な西部劇の世界は見出す事は出来なくて、史実の一部を強調する事で、先住民におかした罪悪を告発している。
今では先住民族と表現されているが、当時はインディアンと呼ばれていた。
思えばこの頃から、先住民であるインディアンに対する謝罪めいた作品が多く作られていたようにも思う。
この作品がそのきっかけを作ったかもしれない。
約束を反故にして殺戮を行う白人達。
女子供も含めて皆殺しとし、女性インディアンの乳房を切り取ったりするシーンも描かれている。
しかしその後の映画でもそうなのだが、一方では実はいい白人もいたんですよと、そのような役割の人物も登場する(この作品ではクレスタとかホーナス)。
そのような人物の存在は、告発を弱いものにしていると思うのだが、そうしないと作品が重くなって多数の人の鑑賞に堪えなくなってしまっていたのだろう。
僕がまだ映画少年だった頃、キャンディス・バーゲンを”菓子類大安売り”などと和訳して喜んでいたから、人気のある女優さんの一人だったと思うのだが、その後あまりいい作品で見かけなくなった。
彼女の映画が又上映される機会が来るといいと思っている。
懐かしい人に会いに行く気分で見に行きたい。
白人の都合のいいように解釈されて来た、"西部開拓史"を、「野のユリ」「まごころを君に」のラルフ・ネルソン監督は、ラスト15分間の凄絶な残虐シーンの中で、痛烈に告発しているのです。
人間の歴史に戦争はつきもので、そして戦争にジェノサイドはつきものです。
アメリカ合衆国の建国史における恥部とも言える、シャイアン族虐殺事件である、サンドクリークの虐殺を、スクリーンにリアルに、そして怒りを込めて繰り広げた、ショッキングな映画、それがこの「ソルジャー・ブルー」だと思います。
こんな映画を作ってしまったら、"西部劇"も、もうお終いだよ、というくらい衝撃的な西部劇映画なのです。
かつてのアメリカ映画の西部劇では、インディアンが敵役となって、バタバタと倒されていく映画を数多く観てきた私にとって、この映画を初めて観た時の"カルチャー・ショック"は、言葉では言い表せないくらい、衝撃的なものでした。
特に、この映画の白眉とも言える、ラストのクライマックスの騎兵隊による凄絶な虐殺シーンも驚きでしたが、キャンディス・バーゲンが演じる若い白人娘の役柄も、それまでの西部劇では、ほとんど見かけないものでした。
インディアンにさらわれた白人の娘は、"悲惨"でなければならなかったのですが、彼女は大違いです。
インディアンの文化の"良き理解者"となり、白人の非に対する"激しい告発者"となっているのです。
一方、ピーター・ストラウスが演じる若き騎兵隊員のホーナスは、父をインディアンに殺されたので、インディアン憎しに凝り固まっています。
そんな"違った視点"を持った二人が、インディアン虐殺の"目撃者"となるのです。
そして、これを契機にホーナスは、自らの過ちを知り、反逆罪で捕らわれることになります。
この見るも無残な虐殺シーンは、現在から見たら159年前の生々しい再現であると同時に、公開当時のヴェトナム戦争におけるソンミ村虐殺の、同時代ドキュメントでもあったのだと思います。
その後、西部劇が復活してくるまで随分時間がかかったような気がしています。