「ヒア アフター」 2010年 アメリカ
監督 クリント・イーストウッド
出演 マット・デイモン
セシル・ドゥ・フランス
ジェイ・モーア
ブライス・ダラス・ハワード
フランキー・マクラレン
ティエリー・ヌーヴィック
マルト・ケラー
ストーリー
パリで活躍するジャーナリストのマリーは休暇を取って、恋人と一緒に東南アジアでのバカンスを楽しんでいた。
だがそのさなか、津波に襲われ生死の境をさまよい九死に一生を得る。
それ以来、死の淵を彷徨っていた時に見た不思議な光景(ビジョン)が忘れられないマリーは、そのビジョンが何たるかを追究しようと独自に調査を始めるのだった。
サンフランシスコ。かつて霊能者として活躍したジョージ。今では死者との対話に疲れきって自らその能力と距離を置き、過去を隠して工場で働いていた。
彼は人生を変えようと通い始めた料理教室で知り合ったメラニーに好意を寄せるが、図らずも霊能力が介在してしまい、2人は離ればなれに。
ロンドンに暮らす双子の少年ジェイソンとマーカス。
ある日、突然の交通事故で兄ジェイソンがこの世を去ってしまう。
もう一度兄と話したいと願うマーカスは霊能者を訪ね歩くが、本物の霊能力者には出会えない。
だがある日彼は、ジョージの古いウェブサイトに行き着く・・・。
そんな中、調査の結果を本に書きあげ、ブックフェアに参加するためロンドンにやって来るマリー。
すべてから逃げ出してロンドンにある大好きなディケンズの博物館を訪ねるジョージ。
こうしてマーカスの住むロンドンで、3人の人生は引き寄せ合うように交錯していくこととなるが…。
寸評
監督としてのイーストウッドはすごいと思う。
西部劇だろうが戦争ものだろうがスポーツものだろうが何でも作って、それぞれがそれなりに良質で奇をてらうような所がなくオーソドックスに堂々と撮りきるところが素晴らしい。
今回は死後の世界の話で霊能力者が登場する。
普通ならアホらしくて見ていられないか、CGを駆使して見世物的になりがちな題材なのにまともな大人が真剣にみられるドラマに仕立て上げている。
全体のタッチは静かで抑制的で、イーストウッドの作品らしい心に染みるような描写が目立ち、押し付けがましい強引な表現はない。
マット・デイモンが演じるジョージは恐山のイタコみたいなもので、愛する家族の唐突な死に直面した人々に、その霊と会話して依頼者に伝える能力を持っている。
もう一方の主人公であるマリーは死後の世界を垣間見て、そのことに取りつかれる。
しかし、それらの表現は極力抑えて興味がそちらに移らないようにして、あくまでも生きることをメインテーマに持って行こうとする努力をしている。
ジョージが見るのは現在からみると過去の死後の世界で、マリーが見るのは現在からみると未来の死後の世界(来世)である。
同じ死後の世界でありながら、二人の死後の世界の対比が知らず知らずのうちに物語に深みを持たせていっていたと思う。
無関係な三つのドラマが同時進行しながら、マーカス少年を触媒にしてジョージとマリーが巡り合い、それぞれの呪縛から解き放たれ未来に向かって生きようとするエンディングが余韻を残す。
大上段に振りかぶらないこのエンディングがイーストウッドの世界なのだろう。
僕には彼のワールドと相性がいいとの思いがあるのか、イーストウッド作品と言うだけでつい映画館に足を運んでしまうのだ。
監督 クリント・イーストウッド
出演 マット・デイモン
セシル・ドゥ・フランス
ジェイ・モーア
ブライス・ダラス・ハワード
フランキー・マクラレン
ティエリー・ヌーヴィック
マルト・ケラー
ストーリー
パリで活躍するジャーナリストのマリーは休暇を取って、恋人と一緒に東南アジアでのバカンスを楽しんでいた。
だがそのさなか、津波に襲われ生死の境をさまよい九死に一生を得る。
それ以来、死の淵を彷徨っていた時に見た不思議な光景(ビジョン)が忘れられないマリーは、そのビジョンが何たるかを追究しようと独自に調査を始めるのだった。
サンフランシスコ。かつて霊能者として活躍したジョージ。今では死者との対話に疲れきって自らその能力と距離を置き、過去を隠して工場で働いていた。
彼は人生を変えようと通い始めた料理教室で知り合ったメラニーに好意を寄せるが、図らずも霊能力が介在してしまい、2人は離ればなれに。
ロンドンに暮らす双子の少年ジェイソンとマーカス。
ある日、突然の交通事故で兄ジェイソンがこの世を去ってしまう。
もう一度兄と話したいと願うマーカスは霊能者を訪ね歩くが、本物の霊能力者には出会えない。
だがある日彼は、ジョージの古いウェブサイトに行き着く・・・。
そんな中、調査の結果を本に書きあげ、ブックフェアに参加するためロンドンにやって来るマリー。
すべてから逃げ出してロンドンにある大好きなディケンズの博物館を訪ねるジョージ。
こうしてマーカスの住むロンドンで、3人の人生は引き寄せ合うように交錯していくこととなるが…。
寸評
監督としてのイーストウッドはすごいと思う。
西部劇だろうが戦争ものだろうがスポーツものだろうが何でも作って、それぞれがそれなりに良質で奇をてらうような所がなくオーソドックスに堂々と撮りきるところが素晴らしい。
今回は死後の世界の話で霊能力者が登場する。
普通ならアホらしくて見ていられないか、CGを駆使して見世物的になりがちな題材なのにまともな大人が真剣にみられるドラマに仕立て上げている。
全体のタッチは静かで抑制的で、イーストウッドの作品らしい心に染みるような描写が目立ち、押し付けがましい強引な表現はない。
マット・デイモンが演じるジョージは恐山のイタコみたいなもので、愛する家族の唐突な死に直面した人々に、その霊と会話して依頼者に伝える能力を持っている。
もう一方の主人公であるマリーは死後の世界を垣間見て、そのことに取りつかれる。
しかし、それらの表現は極力抑えて興味がそちらに移らないようにして、あくまでも生きることをメインテーマに持って行こうとする努力をしている。
ジョージが見るのは現在からみると過去の死後の世界で、マリーが見るのは現在からみると未来の死後の世界(来世)である。
同じ死後の世界でありながら、二人の死後の世界の対比が知らず知らずのうちに物語に深みを持たせていっていたと思う。
無関係な三つのドラマが同時進行しながら、マーカス少年を触媒にしてジョージとマリーが巡り合い、それぞれの呪縛から解き放たれ未来に向かって生きようとするエンディングが余韻を残す。
大上段に振りかぶらないこのエンディングがイーストウッドの世界なのだろう。
僕には彼のワールドと相性がいいとの思いがあるのか、イーストウッド作品と言うだけでつい映画館に足を運んでしまうのだ。
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