「突然炎のごとく」 1961年 フランス
監督 フランソワ・トリュフォー
出演 ジャンヌ・モロー
オスカー・ウェルナー
アンリ・セール
マリー・デュボワ
サビーヌ・オードパン
ミシェル・シュボール
ストーリー
1912年頃、オーストリア人の青年ジュールはフランス人の青年のジムと知り合い、常にいっしょに過ごした。
女性に大もてのジムに対して、ジュールはなかなかいい女性に巡り合えなかった。
その後、二人は、ジュールのいとこの友人のカトリーヌと知り合う。
三人は親しくなり、いっしょに旅に出るようになる。
カトリーヌは結婚向きではないとジムは思うが、ジュールは彼女との結婚を考えるようになり、ジュールがジムに、カトリーヌとの結婚が決まったと電話する。
間もなく戦争が始まり、ジュールとジムはそれぞれの国の兵士となった。
ジュールと結婚したカトリーヌには娘が産まれた。
戦争が終わり、ジュールとジムは文通を再開し、数年後ジュールはライン川上流にある彼の山荘へジムを招く。
ジムはジュールとカトリーヌと娘のサビーヌが住む山荘の側に宿を取った。
ジュールはジムにカトリーヌとの仲がうまくいっていないことを告白する。
彼女には三人の愛人がいたし、六か月間家を去っていたことがあるという。
ある晩、ジュールはジムに彼女と結婚してくれと頼む。
カトリーヌとジムが結婚してくれれば、カトリーヌが自分の元を去ることはないとジュールは考えたのだった。
三人はサビーヌを含めて楽しく生活する。
しかし、最初は幸福だったものの、カトリーヌが望むジムの子供ができないことから破局が訪れ、ジムはパリに帰ったところ、カトリーヌからジムの子供を妊娠したという手紙が届く。
一度は山荘に戻ろうとしたジムだが、流産だったという手紙がジュールから届いた。
パリでジムは偶然ジュールと再会した。
寸評
奔放に振舞うジャンヌ・モローの魅力に音楽が重なりカメラは躍動する。
ジャンヌ・モローのカトリーヌが初めて登場するシーンから僕は彼女に引き込まれた。
ジュールとジムが庭で議論している所へ三人の女性が階段を下りてくる。
三人目の女性がカトリーヌで、それがジャンヌ・モローだと分かった時点で、画面いっぱいに彼女の目、鼻、唇、横顔が映し出される。
ジュールとジムがこの一瞬で彼女の虜になったように、観客である僕自身も彼女の虜にされる。
一瞬のストップモーションはさらに思いを掻き立てる。
セーヌ川に飛び込むシーンのカメラワークもいい。
音楽に乗って流れるナレーションは、まるでフランス文学の朗読を聞いているようである。
カトリーヌは自由奔放な女性である。
同時に彼女は男たちの注目を絶えず自分に向けさせたい女性だ。
虚栄心が強いわけではないが、男たちの関心を常に浴びたい女王様のような存在である。
普通ならこの様な女性には嫌悪感が湧いてくるものだが、不思議なことに彼女の愛に対する素直さが勝ってしまって、彼女に対する憎悪の気持ちを起こさせない。
しかし、彼女の何物にもとらわれない自由な生き方は受け入れられるものなのだろうかとは思う。
それでも三人は心から自由と愛を謳歌する。
一人の女性を二人の男が愛する三角関係の話はよくあるが、この三人は少し特殊な関係である。
ジュールはカトリーヌと結婚し子供も生まれているが、カトリーヌに愛人が存在していることを認め、半年間もの失踪も許している。
ジュールは自分のそばにカトリーヌが居てくれていることを一番の願いとしている。
自分への愛がないのなら、親友のジムと結婚してくれても良いと思っている男だ。
ジムには嫉妬心があるが、ジュールにはそれもない。
だからジムと結婚すればカトリーヌのそばにいることができると言う屈折した感情だ。
とてもじゃないが僕には出来そうもない思いである。
ジュールはカトリーヌの行為の理由が分からないとジムに語るが、カトリーヌはその理由をジムには語っている。
僕がジュールなら、カトリーヌから自分には見せないそのような態度をとられるジムに嫉妬するだろう。
しかし、三人はそれぞれの気持ちを理解しながら共同生活を送る。
ジムが他の女性との結婚を決意した事を知って、所有欲の強いカトリーヌはジムを自分のものにしておきたかったのだろうと思う。
彼女にとっては残されるジュールや娘のサビーヌの事よりも、ジムを所有しておくことを重要視したのだと思う。
ジュールは逆だと思う。
カトリーヌの忘れ形見でもあるサビーヌとのこれからの生活は、常にカトリーヌと共にある生活でもあり、彼の希望したカトリーヌがいつもそばにいると思う事だ出来る生活を手に入れたのではないかと思う。
原題は「ジュールとジム」だが、本当は「カトリーヌ」だったと思う映画だ。
監督 フランソワ・トリュフォー
出演 ジャンヌ・モロー
オスカー・ウェルナー
アンリ・セール
マリー・デュボワ
サビーヌ・オードパン
ミシェル・シュボール
ストーリー
1912年頃、オーストリア人の青年ジュールはフランス人の青年のジムと知り合い、常にいっしょに過ごした。
女性に大もてのジムに対して、ジュールはなかなかいい女性に巡り合えなかった。
その後、二人は、ジュールのいとこの友人のカトリーヌと知り合う。
三人は親しくなり、いっしょに旅に出るようになる。
カトリーヌは結婚向きではないとジムは思うが、ジュールは彼女との結婚を考えるようになり、ジュールがジムに、カトリーヌとの結婚が決まったと電話する。
間もなく戦争が始まり、ジュールとジムはそれぞれの国の兵士となった。
ジュールと結婚したカトリーヌには娘が産まれた。
戦争が終わり、ジュールとジムは文通を再開し、数年後ジュールはライン川上流にある彼の山荘へジムを招く。
ジムはジュールとカトリーヌと娘のサビーヌが住む山荘の側に宿を取った。
ジュールはジムにカトリーヌとの仲がうまくいっていないことを告白する。
彼女には三人の愛人がいたし、六か月間家を去っていたことがあるという。
ある晩、ジュールはジムに彼女と結婚してくれと頼む。
カトリーヌとジムが結婚してくれれば、カトリーヌが自分の元を去ることはないとジュールは考えたのだった。
三人はサビーヌを含めて楽しく生活する。
しかし、最初は幸福だったものの、カトリーヌが望むジムの子供ができないことから破局が訪れ、ジムはパリに帰ったところ、カトリーヌからジムの子供を妊娠したという手紙が届く。
一度は山荘に戻ろうとしたジムだが、流産だったという手紙がジュールから届いた。
パリでジムは偶然ジュールと再会した。
寸評
奔放に振舞うジャンヌ・モローの魅力に音楽が重なりカメラは躍動する。
ジャンヌ・モローのカトリーヌが初めて登場するシーンから僕は彼女に引き込まれた。
ジュールとジムが庭で議論している所へ三人の女性が階段を下りてくる。
三人目の女性がカトリーヌで、それがジャンヌ・モローだと分かった時点で、画面いっぱいに彼女の目、鼻、唇、横顔が映し出される。
ジュールとジムがこの一瞬で彼女の虜になったように、観客である僕自身も彼女の虜にされる。
一瞬のストップモーションはさらに思いを掻き立てる。
セーヌ川に飛び込むシーンのカメラワークもいい。
音楽に乗って流れるナレーションは、まるでフランス文学の朗読を聞いているようである。
カトリーヌは自由奔放な女性である。
同時に彼女は男たちの注目を絶えず自分に向けさせたい女性だ。
虚栄心が強いわけではないが、男たちの関心を常に浴びたい女王様のような存在である。
普通ならこの様な女性には嫌悪感が湧いてくるものだが、不思議なことに彼女の愛に対する素直さが勝ってしまって、彼女に対する憎悪の気持ちを起こさせない。
しかし、彼女の何物にもとらわれない自由な生き方は受け入れられるものなのだろうかとは思う。
それでも三人は心から自由と愛を謳歌する。
一人の女性を二人の男が愛する三角関係の話はよくあるが、この三人は少し特殊な関係である。
ジュールはカトリーヌと結婚し子供も生まれているが、カトリーヌに愛人が存在していることを認め、半年間もの失踪も許している。
ジュールは自分のそばにカトリーヌが居てくれていることを一番の願いとしている。
自分への愛がないのなら、親友のジムと結婚してくれても良いと思っている男だ。
ジムには嫉妬心があるが、ジュールにはそれもない。
だからジムと結婚すればカトリーヌのそばにいることができると言う屈折した感情だ。
とてもじゃないが僕には出来そうもない思いである。
ジュールはカトリーヌの行為の理由が分からないとジムに語るが、カトリーヌはその理由をジムには語っている。
僕がジュールなら、カトリーヌから自分には見せないそのような態度をとられるジムに嫉妬するだろう。
しかし、三人はそれぞれの気持ちを理解しながら共同生活を送る。
ジムが他の女性との結婚を決意した事を知って、所有欲の強いカトリーヌはジムを自分のものにしておきたかったのだろうと思う。
彼女にとっては残されるジュールや娘のサビーヌの事よりも、ジムを所有しておくことを重要視したのだと思う。
ジュールは逆だと思う。
カトリーヌの忘れ形見でもあるサビーヌとのこれからの生活は、常にカトリーヌと共にある生活でもあり、彼の希望したカトリーヌがいつもそばにいると思う事だ出来る生活を手に入れたのではないかと思う。
原題は「ジュールとジム」だが、本当は「カトリーヌ」だったと思う映画だ。
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