末つ森でひとやすみ

映画や音楽、読書メモを中心とした備忘録です。のんびり、マイペースに書いていこうと思います。

Feste Romane

2006-03-17 23:27:42 | 音のはなし
このところ、お天気や気温に振り回されています。
朝起きて、雨の予報がはずれた青空が見えると、
いつもなら、妙に得をした気分になるのに、
花粉に悩まされているこの季節では、
逆に、ちょっとため息ものだったりします。

私が花粉症を発症したのは、ここ5年くらいのことなのですが、
つくづく、楽器吹きだった当時には無縁で良かったと思います。
春は定期演奏会のシーズン。
マスクをしたままでは、管楽器の練習になりません (>_<)

*~*~*~*~*~*~*~*~*

定演の曲目で最も思い出に残っているのは、交響詩 『 ローマの祭 』 。
この曲を演奏した頃は、スキル的にもいちばん伸びていた時期で、
とにかく、楽器を吹くのが楽しくて仕方がなかった♪
今でも 『 ローマの祭 』 を聴くと、ウズウズして血が騒ぎます (笑)

『 ローマの祭 』 は、イタリアの作曲家 O・レスピーギの代表作で、
ローマの風物詩を表題とした < ローマ三部作 > と呼ばれる3つの交響詩、
『 ローマの松 』 『 ローマの噴水 』 『 ローマの祭 』 のうちの一作品です。
いずれも、それぞれのテーマを表現するのに相応しく選ばれた、
4つの情景をモチーフとして曲が構成されています。

交響詩 『 ローマの祭 』
< I .チルチェンセス ― Circenses ― >
  皇帝ネロの時代、キリスト教徒迫害を目的に、
  見世物として行なわれた、闘技場での公開処刑の様を描いた曲。
  残忍な祭の開始を告げるファンファーレ、襲いかかりくる猛獣の咆哮、
  キリスト教徒たちの悲しい祈りの歌、歪んだ興奮にかられる観衆のどよめき。。

< II .五十年祭 ― Il giubileo ― >
  旧約聖書に記された 「 ヨベルの年 」 ( レビ記25 ) に基づく、
  50年毎に大赦があたえられる聖年の巡礼を題材としています。
  I .で描かれたキリスト教徒たちの哀しみを受けるかのように、静かに始まる旋律、
  巡礼地・ローマの都を一望しての溢れんばかりの歓喜と、厳かに響き渡る教会の鐘。

< III .十月祭 ― L'Ottobrata ― >
  葡萄の収穫を感謝し祝う催しが、ローマ郊外の諸城で開かれます。
  澄んだ青空の下、捧げ物を仕留めようと狩りをする男たちが吹き鳴らす角笛。
  日は穏やかに暮れゆき、どこか、そわそわと浮き立つ心情を表わすかのような
  鈴の音とともに、甘美な旋律が秋の夕べを彩っていきます。

< IV .主顕祭 ― La Befana ― >
  主顕祭 (公現祭) 前夜、ナヴォナ広場に集まった人々の喧騒を描写。
  秩序があるのか無いのか分からないほどに、あらゆる楽器によって
  次から次へと繰り出される旋律が、互いの音をどんどん重ねていくことで、
  人々の熱気と興奮を余すところなく表現していきます。
  クライマックスに向かい、音の洪水が加速しながら押し寄せ、
  頂点で一気に迎えるフィナーレでもって、この壮麗な曲の幕が閉じます。




   私が初めて聴いたローマ三部作 →

   ◇指揮 / E・オーマンディ
     演奏 / フィラデルフィア管弦楽団
     録音 / 『 ローマの松 』   1968. 3. 6
          『 ローマの噴水 』 1968. 2.27
          『 ローマの祭 』   1960.11.20
旧CBS・SONY ( 国内盤 30DC-788 )



RCA ( 国内盤 BVCC-38040 )  ← “ 決定盤 ” の誉れ高いモノラル録音の名盤

   ◇指揮 / A・トスカニーニ
     演奏 / NBC交響楽団
     録音 / 『 ローマの松 』   1953. 3.17
          『 ローマの噴水 』 1951.12.17
          『 ローマの祭 』   1949.12.12



オーマンディ盤は、参考音源として部室に置かれていたこともあり、
いちばん聴き込んだ回数が多い演奏で、間の取り方や、入りのタイミング、
テンポの緩急の振り幅などの点で、もっとも耳に良く馴染んでいます。
トスカニーニ盤は、ここで説明する必要がないほどの有名な演奏ですが、
モノラルながら、止まるところを知らないかのような主顕祭の迫力はまさに圧巻。

両者の演奏の大きな違いは、< 祭 > の持つどの要素に焦点をあてて
曲を表現しているか ・・ でしょうか。

オーマンディの演奏は、“ 華やかなにぎわい ” が前面に出ており、
そのきらびやかな音色を通して喚起される < 祭 > の情景を、
聴き手が頭の中で思い描きながら、イメージして味わっていく感覚があります。

一方、トスカニーニの振る 『 祭 』 は、
聴き手が “ 喧騒 ” や “ 狂乱 ” の渦に放り込まれたかのような、
直接的な生々しさで突き刺さってくるインパクトを持っています。
特に、オーマンディ盤だけを聴いていた時点ではピンときていなかった、
チルチェンセスという曲の秘めている残虐性については、
トスカニーニ盤で初めて、納得することができました。

それでも、
オーマンディ盤、トスカニーニ盤ともに、どちらも好きな演奏なので、
その日の気分によって使いわけながら、今でもちょくちょく聴いています♪

ちなみに、私のなかでの三部作それぞれの曲の位置づけは次の通り。
  ■ いちばん聴くのが好きなのは 『 噴水 』
  ■ 演奏していて楽しいのは、断然 『 祭 』
『 松 』 も定演でやったことはあるんですが、演奏するにしろ、聴くだけにしろ、
どうも、個人的には相性が今ひとつのようです ( 苦手という訳でもないんですが ) 。

なお、手元の解説によれば、
  ■ もっとも 芸術性が高い のは 『 松 』
  ■ もっとも印象主義な作風なのが 『 噴水 』
  ■ もっとも 通俗的な作り なのが 『 祭 』
ということらしい。。 まぁ、いいか (^^ゞ



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