ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

責任の耐え難い軽さ

2021-03-10 14:25:46 | 日記
夕食時につけたテレビの画面では、野党議員が国会でスガ首相の政治責任を追及していた。これに対して、スガ首相が次のように答弁したときだった。
「国民の信頼を回復し、期待に応えていくのが私の責任だと思います。」
大写しになったのは、気の抜けたビールのような首相の能面だった。
「何よ!だれもあんたに期待なんかしていないわよ!」
スガ嫌いの妻がこう言い放った。彼を蛇蝎のように嫌う妻の言葉は、さすがに年季が入っている。私は「あはは」と、ただ笑うしかなかった。

ところで、スガ首相は何の咎で責任を追及されていたのだったか。たしか総務省の不祥事に関する質疑だったと思う。

でも、総務省の役人が「東北新社」から高額の接待を受けていたことは、スガ首相の責任問題とどう関係するのか。スガ首相の長男が関与していたからなのか。子の責任を親がとらなければならない、ということなのだろうか――。それだけのことなら、これはいちゃもんに近い無理筋の追及のように思える。

「私と息子は別人格だ」とスガ首相は答えたが、その通り!・・・と言いたいところだが、事情はそれほど単純ではない。スガ首相は総務相だった当時、長男を自分の政務秘書官に就かせた経緯(いきさつ)がある。親心から、バンド活動で芽が出なかった長男に、助け舟を出したということなのだろう。

だが総務相政務秘書官に就いたことで、長男は総務省の幹部官僚と面識を得、次に、メディア関連企業「東北新社」に就職して、同社と、その監督官庁たる総務省との鎹(かすがい)の役を果たすことになった。こうしたことから言えば、スガ首相は総務省と「東北新社」との癒着の発端を作ったことになる。

野党議員は「スガ首相の長男がいなければ、(総務省の)幹部の皆さん、みんな(接待の誘いを)断っていますよ」と言ったが、その通りである。

さて、問題なのは、スガ首相の答弁である。以上のような経緯を指摘され、「政治責任をとるべきではないか」と追及された首相は、次のように答えたのである。

「国民の信頼を回復し、期待に応えていくのが私の責任だと思います」。

この答弁が問題だと思うのは、(妻が言ったように)だれもスガ首相に期待なんかしていない、からではない。この答弁が、責任逃れのワンパターンをそっくりそのままなぞっているだけだからである。

総務省の幹部がNTTからも高額の接待を受けていた問題に関連して、「総務大臣を更迭すべきではないか」と追及されたスガ首相は、次のように答えた。

「しっかりした調査を行って、そして改善をしていく。そのことが私は、総務大臣の責任じゃないかなと思います。真相究明というものをやり、そして総務省を立て直してほしいと思います。」

つまり、不祥事の責任をとるとは、組織の長として引責辞任することではなく、不祥事が二度と起こらないように、組織を立て直すことであり、そのために組織の長の座にとどまり続けることだというのである。

私はスガ首相のこの答弁を聞いて、橋本聖子氏の(オリ・パラ組織委・新会長への)就任会見を思い出した。橋本氏は、彼女が7年前に起こしたセクハラ・スキャンダルにこと寄せ、「組織委のトップとして、ふさわしくないのではないか」と追及されたとき、こう答えたのだった。

「私自身の軽率な行動について、私は今も昔も、深く反省をしています。私は会長になったら、多様性や男女平等の問題に全力で取り組む覚悟です。私自身が身をもってこの取り組みをしっかりと進めていくことで、皆様方にご理解をいただけるものと思っております。」

つまり、汚名を挽回するためにも、私はオリ・パラ組織委の会長の座に就き、職務を全うしたいと思っている、というのである。

どうなのだろう。スガ首相といい、聖子おばさんといい、このワンパターン、「職を辞すのではなく、職に居座り続けることで責任をとる」という、詭弁にも似たこの常套論法。
このワンパターンの論法を突きつけられると、ひと言も言い返せなくなってしまう野党議員の石頭も、問題といえば問題である。「組織を改革するのなら、もっと適任の、別の人がいますぜ」と、なぜ言い返せないのだろう。
なにせ野党も人材不足だからなあ・・・。
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