日弁連が死刑制度廃止の方針を打ち出したことについて、きょう
二つめの社説が出た。一つめは朝日の10月9日付の社説《死刑廃
止宣言 日弁連が投じた一石》であり、これについてはすでに本
ブログでも取り上げた。二つめは、きょう10月12日付の産経新聞
の社説《死刑廃止宣言 国民感情と乖離している》である。
こちらは、タイトルが示す通り、日弁連が出した死刑廃止宣言
を、「国民感情と乖離している」として批判するものである。こ
の社説は、「世論調査では、「死刑もやむを得ない」の容認が8
0・3%で、「廃止すべきである」の否定は9・7%にとどまっ
た」との数字を示し、自らの主張に説得力を持たせている。
朝日の社説が、「国際社会では死刑廃止の潮流が定着し、140
カ国が制度上あるいは事実上取りやめた。OECD(経済協力開
発機構)加盟35カ国で続けているのは日本と米国の一部の州だ
けだ」として、やはり数字をあげ、死刑廃止宣言を擁護するのと
は好対照をなしている。
数字だけでは、論拠として心もとない。そこで産経の社説は、こ
う述べる。「厳刑をもってしか償うことができない罪はある。被
害者遺族の強い処罰感情に司法が十分応えることができなけれ
ば、国は成り立たない。」すなわち、「死刑制度の維持は、悲惨
な犯罪を国、社会、国民が許さない、受け入れないという意志、
決意の表れ」であって、国家を維持するには、この強い国家意志
の貫徹が不可欠だというのである。
死刑廃止派の主な論拠は、「死刑は執行したら取り返しがつかな
い刑罰だ。だが人が裁く以上、間違いは必ず起きる」というもの
であったが、ではこの点については、産経はどう考えるのか。産
経は、さりげなく「冤罪(えんざい)による執行など決してあっ
てはならない」と述べるだけである。
「冤罪(えんざい)による死刑執行はあってはならない」ゆえに
「冤罪(えんざい)による死刑執行はあり得ない」と主張しよう
としているように見えるが、残念ながら歴史に照らす限り、現実
はこのエセ論理を何度も裏切ってきた。
朝日と同様、産経の社説も物足りない。こちらの社説がかかげる死
刑擁護論を読んでみても、この問題に関する私の考え方は変わらな
かった。
え、あんたの考え方だって? 読者の大方は憶えておられないと
思うので、もう一度、ここに転載しておこう。本ブログで、私は
先に以下のように書いたのだった。
死刑制度廃止派の論拠である「覆水盆に返らず」の理屈は、やは
り無視できないでしょうなあ。ならば、
(1)凶悪犯は無期懲役にして、かれを永久に社会から排除する。
(2)また、死と同等の苦役をかれに課し、死を上回る苦痛を味わ
わせる。
(3)その惨めな姿を世にさらすことで、凶悪な犯罪を予防する手
立てにするとともに、
(4)被害者の遺族には、これをもって加害者に対する処罰感情を
宥めてもらう――。
私が先に提示したのは、以上のようなプランである。これを書い
たとき、「死と同等の苦役」という言葉で私の脳裏にあったの
は、「半殺し」とか「生殺し」といったイメージであるが、戦国
時代ならいざ知らず、口当たりのいい人道主義がまかり通る昨
今、こんな言葉を使ったら、私のブログはたちまち大炎上しかね
ないので、あえて自粛した次第である。
二つめの社説が出た。一つめは朝日の10月9日付の社説《死刑廃
止宣言 日弁連が投じた一石》であり、これについてはすでに本
ブログでも取り上げた。二つめは、きょう10月12日付の産経新聞
の社説《死刑廃止宣言 国民感情と乖離している》である。
こちらは、タイトルが示す通り、日弁連が出した死刑廃止宣言
を、「国民感情と乖離している」として批判するものである。こ
の社説は、「世論調査では、「死刑もやむを得ない」の容認が8
0・3%で、「廃止すべきである」の否定は9・7%にとどまっ
た」との数字を示し、自らの主張に説得力を持たせている。
朝日の社説が、「国際社会では死刑廃止の潮流が定着し、140
カ国が制度上あるいは事実上取りやめた。OECD(経済協力開
発機構)加盟35カ国で続けているのは日本と米国の一部の州だ
けだ」として、やはり数字をあげ、死刑廃止宣言を擁護するのと
は好対照をなしている。
数字だけでは、論拠として心もとない。そこで産経の社説は、こ
う述べる。「厳刑をもってしか償うことができない罪はある。被
害者遺族の強い処罰感情に司法が十分応えることができなけれ
ば、国は成り立たない。」すなわち、「死刑制度の維持は、悲惨
な犯罪を国、社会、国民が許さない、受け入れないという意志、
決意の表れ」であって、国家を維持するには、この強い国家意志
の貫徹が不可欠だというのである。
死刑廃止派の主な論拠は、「死刑は執行したら取り返しがつかな
い刑罰だ。だが人が裁く以上、間違いは必ず起きる」というもの
であったが、ではこの点については、産経はどう考えるのか。産
経は、さりげなく「冤罪(えんざい)による執行など決してあっ
てはならない」と述べるだけである。
「冤罪(えんざい)による死刑執行はあってはならない」ゆえに
「冤罪(えんざい)による死刑執行はあり得ない」と主張しよう
としているように見えるが、残念ながら歴史に照らす限り、現実
はこのエセ論理を何度も裏切ってきた。
朝日と同様、産経の社説も物足りない。こちらの社説がかかげる死
刑擁護論を読んでみても、この問題に関する私の考え方は変わらな
かった。
え、あんたの考え方だって? 読者の大方は憶えておられないと
思うので、もう一度、ここに転載しておこう。本ブログで、私は
先に以下のように書いたのだった。
死刑制度廃止派の論拠である「覆水盆に返らず」の理屈は、やは
り無視できないでしょうなあ。ならば、
(1)凶悪犯は無期懲役にして、かれを永久に社会から排除する。
(2)また、死と同等の苦役をかれに課し、死を上回る苦痛を味わ
わせる。
(3)その惨めな姿を世にさらすことで、凶悪な犯罪を予防する手
立てにするとともに、
(4)被害者の遺族には、これをもって加害者に対する処罰感情を
宥めてもらう――。
私が先に提示したのは、以上のようなプランである。これを書い
たとき、「死と同等の苦役」という言葉で私の脳裏にあったの
は、「半殺し」とか「生殺し」といったイメージであるが、戦国
時代ならいざ知らず、口当たりのいい人道主義がまかり通る昨
今、こんな言葉を使ったら、私のブログはたちまち大炎上しかね
ないので、あえて自粛した次第である。
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