ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

コロナと戦争とクーデター

2021-03-05 12:02:11 | 日記
きょうの朝刊の1面に「ミャンマー 死者38人」の見出しを見た。
それが私には、「茨城県37人感染1人死亡」の見出しにダブって見えた。後者は、言うまでもなくコロナウイルスによる感染者数、死亡者数についての情報であり、前者は、軍政の横暴に抗議して立ち上がり、軍隊の銃弾に斃れたミャンマーの人々の数を示している。

つまり私は、起きがけの寝ぼけ頭で、(我々の生命と暮らしを脅かす)コロナウイルスと、(ミャンマー民衆の生命と暮らしを脅かす)軍の横暴を単純に取り違えてしまったのだが、よく考えてみれば、この二つには明確な共通点がある。

傍若無人なコロナウイルスの振る舞いは、地球の生態系から人類への「警告」であり「復讐」なのだ、という説(マクニールの「生態復讐論」)がある。この説に従えば、目下我々を脅かしているコロナ禍は、自己の欲求の、その満足を追求してやまない我々人類の、その度し難い利己的な性(さが)がもたらしたものだということになるだろう。

他方、ミャンマーにおける軍政の横暴は、自分たちの利益を確保しようとする一部の軍人たち――国軍の幹部たち――の利己的な権力欲から出ている。コロナ禍の死者が人類による環境破壊の犠牲者であるように、ミャンマーにおける死者38人は、自利を追求してやまない一部軍人の、その我欲の犠牲者なのだ。

きょうの朝日新聞に、「『小説 火の鳥』重なる戦争とコロナ」と題された記事が載っていた。「小説 火の鳥」は、漫画「火の鳥」の作者・手塚治虫が残した構想原稿をもとに、直木賞作家の桜庭一樹氏が生み出した新たな物語だが、この物語で日中戦争から太平洋戦争に向かう「戦争の時代」を描きながら、桜庭氏は、目下コロナ禍に苦しむ日本の現状を、そうした「戦争の時代」の現状と「同じようなもの」と感じたという。

コロナと戦争とクーデター、――この三者は、いずれも人間本性に根ざす我利我利の我欲がもたらしたものという点で共通している。克服が困難という点でも、三者は共通している。この閉塞状況はいつになったら終わるのか。やれやれ。
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