ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

原発事故  予見は可能だったか

2017-03-19 15:07:41 | 日記
きのう本ブログで取り上げたのは、2011年のフクシマ原発事故をめぐる前
橋地裁の判決であるが、きょうの新聞で、これをテーマに取り上げた社説
が2つある。朝日の《原発賠償判決 国と東電への警告だ》と、産経の
《原発避難訴訟 予見判断の混乱危惧する》である。

いつもなら社説のネタを材料にして、本ブログで提供する料理の中身を考
えるのだが、今回は順序が逆になってしまった感がある。ありあわせの材
料で料理を作った後で、新鮮な材料が届いたといったところだろうか。

2つの社説のうち、分かりやすいのは産経の社説である。タイトルが示す
ように、この社説は、「予見判断の混乱」を批判の俎上にのせている。前
橋地裁は「原発事故の予見や回避は可能だった」として国と東電に賠償を
命じたが、東京地検は2度にわたり「事故の予見や回避は困難だった」と
して、両者を不起訴処分にした。このように司法レベルで判断が真っ二つ
に割れるのでは、国民の間に混乱が生じるのは避けられず、未曾有の自然
災害に対処できるわけがない、というのである。

産経の社説は、事故の予見不可能性を盾に、国と東電を不起訴処分にした
東京地検の見解を支持し、事故の予見可能性を主張した前橋地裁の判決に
異を唱えているように見える。

しかし、事は「事故が起きれば甚大な被害をもたらす原発」(朝日)に関
わっている。きのう本ブログで述べたように、大きな自然災害の大半が予
見不可能であることを考えれば、「予見は不可能だった。だから国にも東
電にも責任はない」と言って済ますわけにはいかない。行政には結果責任
が伴う。国は、「事故が起きれば甚大な被害をもたらす」原発のようなア
ブナイ事業を、安全だと偽り、長年、官民一体の「国策」として推進して
きたその責任を、何よりもまず問われなければならない。

前橋地裁の判決について、朝日の社説は次のように述べている。
「根底に流れるのは、事故が起きれば甚大な被害をもたらす原発を「国策
民営」で推進してきた以上、事業者も国もそうした事態を招かないように
する、極めて重い義務を負うという考えだ。うなずく人は多いだろう。」

ここまで書きながら、「国策」の主体である国に対して責任を追求する姿
勢を示さない点で、朝日の社説は「帯に短し」の感を否めない
コメント
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