ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

事故のあとで 不都合な真実

2017-03-11 15:29:56 | 日記
3月11日――。この日が近づくと、テレビも新聞も一斉に「あの日」の
ことを取りあげ始める。「あの日から、もう6年が経とうとしています」
アナウンサーのその言葉を聞きながら、私は思い起こす。「ああ、あ
れからもう6年が経つのだなあ」と。

その日、救急病院の集中治療室で、私は(たぶん)目を閉じたまま、「*
*のあたりは、水道が出なくなって、大変らしいよ」などと看護師がおしゃ
べりする声を聞いた。相部屋の病室の外に(たぶん妻によって)車椅子で
連れ出され、被災地の現状を映すテレビの大画面を見た。煙が立ちのぼる
原発施設らしい映像を見た。地震によるものか、津波によるものか分から
ないが、一面が瓦礫になった光景が映し出された。病室のベッドに横にな
り、おどろおどろしい奇妙な怖い夢を幾度となく見た。妻から、私は脳出
血で倒れ、救急車でこの病院に運ばれたのだと聞いた。

あれから6年。片麻痺の後遺症は避けられなかったものの、今は自宅で、
ブログの更新に現(うつつ)を抜かす日々を送っている。6年という歳月
は、不自由になった自分の身体に、自分の意識を馴らすだけのリハビリの
毎日だったが、ブログの記事を書くという行為が、私の無聊を慰め、単調
な日々にメリハリと彩りを与えてくれている。Gooブログから、「**さ
んの1年前の記事」というメールが毎日届くので、「ああ、1年前にはこ
んなことを考えていたのだなあ」と、当時の自分の精神状態をふり返り、
懐かしく思ったりする。妙なこだわりに囚われていた自分の姿が愚かしく、
滑稽に思えることもある。私の意識は、いつまでも同じ状態にとどまっては
いないらしい。


妻が言うには、私の発病は正確に言うと、3月11日の3日前、つまり3月
8日のことだったらしい。6年前のその日の11日、私と同じように大病を
発して爆発を起こしたフクシマの原発の、その周辺に位置する地域はその後
ずっと、(片麻痺ならぬ)「不都合な真実」という後遺症に悩まされている
ようだ。放射能の除染が思うように進まず、子どもたちに甲状腺ガンが多発
するという真実。この真実がおおっぴらになると、政府の無策が明らかに
なるので、それは政府にとって「不都合」な真実である。また、この真実
がおおっぴらになると、この地域が風評被害を受け、農産物が売れなくなっ
たり、他の地域に避難している住民の子や孫が学校でイジメにあったりする
ので、それは地域の住民にとっても「不都合」な真実である。

とはいえ、この真実が地域の復興を妨げていることは、否定できない事実
である。この「不都合」から目を背け、これを無いことのように無視し放
置し続けて良いわけがない。フクシマの周辺の自然環境が事故前の状態に
復旧することは望むべくもないが、復旧未然の現状に慣れてしまうことは、
もっと酷い結果を招くような気がする。

原発事故の後遺症は、脳出血の後遺症などより数段酷いと言わなければ
ならない。
コメント
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