ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

保育所がないと

2016-04-15 18:04:31 | 日記
「保育園落ちた。日本死ね」問題が国会で取り上げられ、保育所不足という深刻な現状を
浮かび上がらせたのは、つい先日のことである。そのほとぼりもさめないうちに、保育所
をめぐるもう一つ別の問題が、マスコミで取り上げられ、世のお母さんたちを呆れさせて
いる。今度は、近隣住民たちの強い反対にあって、保育所が開園中止を強いられるという
「事件」が起こったのだ。これは千葉県市川市で起こった出来事だが、同様の事例は都市
部の住宅街ではしばしば起こっているという。


こういう話を聞くたびに、人間とはなんと度し難く利己的な存在であることか、と思わさ
れる。つい先ごろは、幼児を持つ母親たちが、自分たちの暮らしを守るために「これじゃ
あ働けない、何とかしろ!」と叫び声を上げたかと思えば、今度は子育てを終えた高齢者
たちが、静かな生活環境を守るために、「うるさくなるのは嫌だ、何とかしろ!」と吠え
立てる。

ぶつかり合う利害を調整するのが政治の役割だが、先ごろは働く若いお母さんたちの利害を
代弁して、国会審議の場で安倍首相を立ち往生させ、民進党新総務会長の座に就いた山尾女
史は、今度は市川市の高齢者たちに対して、どう主張するのだろうか。民進党の、政党とし
ての反応が待たれるところである。


この問題を取り上げた産経の社説は、保育所の開園に反対する住民たちに対して、強い糾弾
の口調で臨むのではなく、「分かってほしい」と、あくまでも理解を求める姿勢だ。


この種の問題に対しては、私は、「まあ、そのうちに時が解決するさ」とオプティミスティ
ックに、成り行き任せの構えで臨みたいと思う。「時間の弁証法」とでもいうのだろうか。
長い目で見れば、そう、長い目で見れば、である。今の若いお母さんたちが子育てを終え
てお婆さんになる頃には、問題は解決していると私は思うのだ。問題の地区名を――保育所
の開園に近隣住民が反対する住宅街の地区名を――A地区とすれば、このA地区には若い世
代は寄り付かなくなるから、その頃、A地区は、今の高島平団地のような、高齢者だらけの
街になるだろう。

子供や若者がいないから、この街は静かである。そう、さながらゴースト・タウンのように、
静かで、そして、活気がない。街にあふれる爺さんや婆さんたちは高齢で介護を必要として
いるが、付近に介護施設はない。施設の建物はあるのだが、付近に保育園がないこのA地区
は、若い女性たちから嫌われているので、この介護施設で働く女性介護士の成り手が見つか
らないのだ。
ゴースト・タウンなのか、姥捨て山なのか、死の悪臭がぷんぷんと漂うこんな街で、あなた
は人生の終末をむかえたいと思うだろうか。

ま、そうならないためにも、保育園は自分の街に積極的に誘致したほうが、身のためだと思
うんですがね。

コメント
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