ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

メダルとギャンブル

2016-04-10 15:58:44 | 日記
次のオリンピックへの出場が確実視され、

メダルに手が届くと見られていたバドミントン選手二名が、

違法とされるカジノ店に出入りしていたことが明るみに出て、

この選手二名の出場は事実上、取り消されることになった。

朝日は社説でこの問題を取り上げ、

「スポーツ選手だから正しく振る舞うのではない。

社会で暮らす人間はだれであれ、

ルールを守らなければならない」と書いている。

つまり、問題の二名の選手は、「ルール違反」を犯したというのである。

スポーツ選手であれ、社会人である以上、「ルール違反」は許されない、ということだろう。

この社説は、二選手の行為を「犯罪だ」と書くのは

さすがに躊躇われたので、

「ルール違反」という弱い表現を使ったのだろう。

だが、犯罪に当たらないルール違反だと言うのなら、

その程度の逸脱行為で、なぜ朝日はこれを

大きく取り上げ、社説にまで書くのだろうか。

普通の若者がやったのなら、

記事にもならない行為である。

その扱いは全く違っていただろう。

朝日は、彼らが自分を「特別な存在と勘違いし」ていた

のではないか、と述べるが、

勘違いしているのは、朝日も含めたマスコミのほうであって、

選手の側ではない。

選手たちは、自分を「特別な存在」と見ていなかったから、

(これほどの大ごとになるなどとは思わず)競馬場か

パチンコ屋にでも足を運ぶような軽い気持ちで、

「違法」とされるカジノ店に足を運んでしまったのだ。

それが大ごとと見なされ、騒ぎの種になったのは、

彼らを、そう彼らを、マスコミが「特別な存在」と見なしたからである。

マスコミは、彼らが「著名人」という「特別な存在」であり、

その(視聴率を稼げる)「特別な存在」が「法を破った」との認識があるからこそ、

こぞってこの「事件」を大々的に取り上げたのである。

この種の「事件」が起こるたびに

いつも私は思うのだが、

「意識変革が必要」なのは、

選手の側ではなく、マスコミの側ではないだろうか。

「違法」(かどうかはともかく、そうとされている)カジノ店に出入りすることが、

なぜそれほど非難されるべき「いけない」ことなのか。

この機会に、よく考えてみることにしよう。

毎日新聞の答えは、

それが「暴力団の資金源」になり、

また、そのことで」反社会的勢力とのつながりが生まれる恐れ」があるから、

というものである。

しかし、この答えには、私は納得できない。

(つづく)
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