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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ああ日本 対米忖度の「どうして!」

2025-05-15 09:03:33 | 日記
日本政府はどうしてこうもアメリカの顔色を気にしなければならないのだろうか。
理由ははっきりしている。アメリカとの関係は、日本の行く末を決定的に左右するからである。アメリカは日本の生殺与奪の権を握っているといってもよい。
だから、「どうしてこうも〜ならないのだろうか」と書いたが、この「どうして」は疑問詞の why (?)ではなく、感嘆詞の how (!)に近い。

貿易の関税問題や、日米安保問題を報じるニュースを聞くとき、私はこの「どうして!」を感じるのだが、それだけではない。

きのうの朝日新聞の記事

情報管理下の外相会談 『安全面考慮』直前公表 日・イスラエル
(朝日新聞5月14日)

を読んだときも、私はこの「どうして!」を感じ、うんざりしないわけにはいかなかった。

この記事は、岩屋外相とイスラエル・サール外相との会談をとりあげ、日本政府の危うい外交姿勢について伝えている。

記事によれば、イスラエル問題に対する日本外交の基本姿勢は


イスラエルともアラブ諸国とも良好な関係を保ち、イスラエルと独立したパレスチナ国家が共存する『2国家解決』を支持する立場を取る

というものだが、

日本政府は、

親イスラエル政策を取るトランプ米政権」に配慮し、こうした基本姿勢を貫けないのだ。

記事中の立山良司氏(防衛大学校名誉教授)の言を借りるまでもなく、中東外交での日本の対応は、対米姿勢にも関係して、関税問題や日米安保の問題に飛び火しかねないからである。

とはいえ日本としてはーー中東の石油資源に大きく依存する日本としては、アラブ諸国にも「いい顔」をしなければならず、日本はイスラエル=アメリカと、アラブ諸国との間で、いわば板挟みの状態にあるといえる。

では、日本はどうすればよいのか。

イスラエル・サール外相と会談した岩屋外相のように、「2国家解決」の意義を(控えめに!)力説するとともに、「人道支援の確保など国際法の順守」を(控えめに!)「強く要請」するしかないのだろうか。

注目すべきことだが、トランプ米大統領は先日13日からサウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)の中東3カ国を歴訪している。ロイターによれば、今回の中東歴訪では、トランプ米大統領は「経済面でのディール(取引)に注力する方針」だという。

トランプ米大統領は13日、湾岸諸国歴訪の最初の訪問国サウジアラビアで事実上の最高権力者ムハンマド皇太子と会談し、サウジによる米国への6000億ドルの投資確約を取り付けたほか、約1420億ドル規模の武器売却でも合意した。
(ロイター5月14日)

この記事からも明らかなように、トランプ米大統領は親イスラエルの姿勢をとりながらも、アラブ諸国を敵視するわけではなく、むしろこれらの国との経済的関係を維持・強化しようとしている。
下部構造(経済的関係)は上部構造(政治的立場)を規定する、と言ったのはマルクスだが、アラブ諸国との経済的関係を重視するトランプは、いずれは(アラブ諸国といがみ合う)イスラエルへの立場を変える可能性がある。

こうしたことを考慮すれば、日本政府もアラブ諸国との(石油輸入という)経済的関係を重視する立場から、イスラエルに対して、もっと非難の姿勢を強めてよいのかもしれない。

もっとも、アメリカとの経済的関係も日本の屋台骨に大きな影響を及ぼすから、「親イスラエル」という目下のトランプ政権の基本方針を気にしないわけにもいかないのだが・・・。

ああ、日本政府はどうしてこうもアメリカの顔色を気にしなければならないのだろうか!
いい加減にしてくれ。

*移住先は「はてなブログ」に決めました。この記事は「はてなブログ」にも投稿予定です。


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国家と国民 その二層構造の微妙な関係

2025-05-13 09:04:18 | 日記
どの国でもそうだが、企業の経済活動はますますグローバル化の度を強めている。こうした国際社会の動向に関連して、以前私は以前、次のように述べたことがある。

経済活動がグローバル化した現在、国際社会は相互依存関係ーー互恵関係ーーのネットワークで緊密に結ばれている。たとえば、中国と日本が経済的な相互依存関係ーー互恵関係ーーで結ばれているとしたら、中国は武力で日本を侵略しようと考えるだろうか。
(5月6日《憲法問題を考える》)

経済活動がグローバル化した結果、市民レベルでは、国境の垣根はますます低くなり、異国民同士の融合がかなり進んでいる。

先日、こんな記事を読んだ。

(中国からの日本留学:下)入試枠に殺到、生徒の半分が中国籍 千葉の高校、経営再建の柱に

生徒の半分が中国籍という高校が千葉県鴨川市にある。留学生数を押し上げたのは、中国で過熱する受験戦争を避け、日本での大学進学や就職も視野に自由な教育を受けたい留学生側のニーズと、経営のために生徒数を確保したい高校側の狙いが一致したためだ。
(中略)
(留学仲介業の)袁さんは『ここ10年間で日本の受け入れ先は10倍に増えた』と言う。
(朝日新聞5月7日)

この記事にあるように、日本の高校に留学する中国人の数が増えれば、中国人と日本人が角突き合わせて反目しあうこともなくなるだろう。この傾向がさらに進み、日本の高校、大学を卒業する中国人がかなりの数になれば、日本と中国が戦争をすることなど、想像すらできない将来が訪れるに違いない。

昨夜(5月12日)に放送されたNHK「クローズアップ現代」によれば、子供の教育目的などで日本に移住する中国人はこの1年で5万人以上増え、日本全体で87万人に達したという。しかも、この人たちは、中国で食詰めた人たちではなく、そこそこ資産を持った富裕層の人たちだというのだ。
この番組を見て、私は、「こんな具合だと、中国が日本を武力攻撃するなんて、とうていあり得ないよな」と、ほっこりした気持ちになった。

ただし、これはあくまでも市民レベル、私的な個々人レベルの話である。これが国家レベルの話になると、なぜか様相はまったく違ってくる。

こんな新聞記事もある。

日中、不測の事態回避へ動いたが 尖閣領空侵犯、直前に日本の民間機飛行

沖縄県・尖閣諸島周辺での中国海警局のヘリコプターによる領空侵犯に関連し、直前に尖閣周辺を飛行した日本の民間機をめぐり、日中両政府が事前に不測の事態の回避に向けた動きをしていたことが分かった。だが、民間機は日本政府の飛行中止の要請を聞き入れず飛行を決行。結果的に中国ヘリの領空侵犯を誘発したとの見方が政府内にある。
(朝日新聞5月10日)

中国という「国」は相変わらず「尖閣諸島は我が国の領土だ!」と主張している。一方、日本の「国」も「いや、尖閣諸島は我が国の領土だ!」と主張して譲らない。
絶海の孤島をめぐって日中という2つの「国」が角突き合わせるという、愚かしくも滑稽な事態が続いている。

良い悪いは別として、こういう事態が現実としてある以上、我々は中国との戦争に備えて、武装を欠かすことができない。したがって(「戦力の不保持」を謳う)日本国憲法は改変しなければならない、ーー以前のブログで、私はそう主張したのだが(5月6日《憲法問題を考える》)、こんなことを言うと、

おまえはネトウヨか!なんてことを言うのだ!

と猛反発を受けることを、私は知らないわけではない。
むしろ、そういう反発はある意味、健全なことであり、当然のことだと思っている。

どういうことか。
「戦力を保持できるように憲法を改変せよ」という改憲論の主張を「危険思想だ!」と忌避する人たちは、「市民レベル」の発想に立って考えているに違いない。戦争を忌避するこの肌感覚は健全であり、決して間違っていない。私はそう断言する。

ただし、ただしである。(尖閣諸島をめぐる)朝日新聞の記事が伝えるような、緊張した二国関係の現実がある以上、「市民レベル」の発想に加えて、「国家レベル」の発想も必要ではないか。
私はそう言いたいのである。

*この記事は、(引越し先候補の)「はてなブログ」にも投稿を予定しています。

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今の若者 その「無知」の原因を問う

2025-05-10 09:50:03 | 日記
gooブログ」のサービスが打ち切られるというので、「ムラゴンブログ」に引っ越して、はや2週間。引越してから何度か記事を投稿したものの、私の記事は面白くないのか、なかなか「nice!(いいね!)」がつかない。この引越し先では一体どんな人種がどんなブログを書いているのか、気になったのですこし確かめてみた。

一人だけ面白い記事を書いている人がいた。お名前は割愛するが、80歳代のお年寄りである。私より一回り以上年上の人だろうか。

この人はある記事の中で次のように書いていた。

なにしろ、日米戦争があったことを知らない、どちらが勝ったかも知らない学生がいるのはもう珍しくありません。『太平洋戦争は、湾岸戦争から始まった』と書いた学生もいました。たぶん、この学生は真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争と、中東の湾岸戦争のこととがごっちゃになっているのです。共通点は『湾』があることくらい。あんまりな奇想に驚いたことがありました。遠い昔の学生のことです。

こう書いて、この人は「学生の無知」を嘆いているのだが、私が「・・・ん?」と思ったのは、この人がこの「無知」の原因を、戦後日本のいいかげんな歴史教育にあると書いていたからである。

いまの大学受験の歴史の試験範囲は、高校三年の二学期末までに学習したことだそうです。ですから、明治以降から第二次世界大戦、戦後の歴史について日本史も世界史も教科書の終りのほうでの記述ですから、『近現代は試験に出ない』という理由で習わないのです。
教師も学校も教科書の進行を、そのつもりで進めているといいます。学生たちが、先の日本の悲惨な戦争のことなんか知りませんよ、というのはやむえない面があるのです。


この記事を読んで、私は「激しく同意!」と思うと同時に、「でも、どうなのだろうなあ?」と疑問をいだいた。

「激しく同意!」と思ったのは、私もこの人と同様、「今の若者」は戦争ーー第二次世界大戦ーーについて何も知らない、と痛感しており、その「無知」を実に嘆かわしいと思っているからである。
今の若者は先の戦争ーー第二次世界大戦ーーで、日本がどこの国と戦ったのか、それさえも知らないのではないかと私は推測している。

だが、このあり得べき「無知」の原因は、もっと別のところにあるのではないかと私は考えている。
もっと別のところ、ーーそれは、学校教育以前の、ごくごく日常的な常識の世界である。この常識の世界をいびつな異常なものにしてしまった責任は、大人たちの無責任な「事なかれ主義」にあるのではないか。そう私は考えている。

このことは、きのうの朝日新聞を見れば一目瞭然である。

5月9日の朝日新聞は、第2面のほぼ3分の2ほどの紙面をさいて

(戦後80年)空襲被害者の救済、正念場 一時金法案、自民・厚労省内に抵抗

なる見出しの記事を掲載し、「2次大戦中の空襲などによる民間被害者の救済」がなおざりにされている現状を糾弾している。

にもかかわらず、この朝日の記事のどこを見ても「アメリカ」の「ア」も「米軍」の「米」も見当たらないのである。

太平洋戦争時、日本本土への空襲は44年から本格化した。一夜で約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から80年となる今年3月、云々

と書きながら、この残虐な「東京大空襲」を行ったのが、どこの国の軍隊なのかをスルーしようとするマスコミの異常さは、見逃せない。
(嘘だろ、と疑う人は、アプリ「朝日新聞紙面ビューアー」を使えば、きのうの新聞記事を丸ごと読むことができる)

私は「gooブログ」に住んでいた当時に投稿した記事の中で、何度となく、

「日本はアメリカと戦争をして敗けた」という歴史の現実

隠蔽しようとする、マスコミの歴史修正主義に異をとなえた。
この異常な「隠蔽工作」の元凶は、戦後日本政府の、対米追従の姿勢にあると考えている。

今の若者の、戦争に関する無知は、政府・マスコミに代表される、大人たちの「事なかれ主義」のへなちょこな弱腰に原因があると私は思っているのだが、いかがだろうか。


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トランプ 自称「平和の使者」の困難

2025-05-08 09:04:13 | 日記
おとといの朝日新聞に、興味深い記事がのっていた。こんな見出しである。

トランプ氏、ちぐはぐ『核軍縮』 対中ロ協議に意欲、『力による平和』とは矛盾
(朝日新聞5月6日)

見出しにあるように、トランプ米大統領は目下、中国、ロシアとの話し合いによる核軍縮交渉に意欲を見せている。
ところがアメリカは、ずっと「核抑止論」の立場をとり、核の〈力〉によって中国やロシアの武力行使を抑止しようとしてきた。
力による平和」というこのアメリカの基本的立場に、トランプ米大統領のディール(取引=核軍縮交渉)への意欲は「矛盾」しているというのである。

第2次トランプ政権のこうしたディールの企てに対して、米軍の幹部たちはヒヤヒヤしているに違いない。この核軍縮交渉の企ては、第1次トランプ政権のときと同様、難航するばかりで、からきしうまく行っていないからである。

トランプ大統領の狙いははっきりしている。軍事費を削減しようとしているのだ。軍事費に大枚をつぎ込んでいる現状では、国の懐具合はさびしくなるばかりで、「MAGA(メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン)」どころの話ではない。
先ごろアメリカ国防総省は、米軍の最高位である大将クラスを今後20%削減すると発表したが、国の懐具合が冷え切った現状は、そんなことではとても是正できない。

「なあ、軍事費に巨額をつぎ込んでいる今の状態を続ければ、お互い、国の財政は苦しくなるばかりだ。あんたの国だって、同じだろう。だから、なあ、お互いに軍縮の方向で折り合おうではないか。軍縮を実現すれば、国は豊かになる。そうなれば、あんたも国の指導者として株を上げるはずだ。」

だが、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トランプのこの誘いに乗ろうとはしない。
軍拡競争は一種のチキンゲームに似ている。軍拡の方向につき進めば、その先には「国家財政の破綻」という絶壁が待ち受けている。
だが、この絶壁から転落するのを避けようとブレーキを踏めば、先に踏んだほうが負けになる。我慢して、歯を食いしばった方が勝ち残るのだ。

絶壁から転落するのを避けようとして、ブレーキを踏むのか、それとも歯を食いしばり、勝ち残ろうとするのか、ーートランプは今、プーチや習近平と愚かなチキンゲームの只中にある。だから彼は、「この先は絶壁だ」とわかっていても、先にブレーキを踏むわけにはいかない、ーー敵に弱みを見せるわけにはいかないのである。愚かだよなあ。

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憲法問題を考える

2025-05-06 10:03:25 | 日記
世はゴールデンウィークの真っ只中。テレビをつければ、どこそこの行楽地が人気だ、などと脳天気なニュースが流れている。だが「サンデー毎日(毎日が日曜日)」の私には、ゴールデンウィークも行楽も関係がない。憲法記念日もこどもの日も関係がない。

ただ、憲法記念日はブログのネタとして使えそうだ。せっかくだから遅ればせながら、憲法問題について考えてみよう。

日本国憲法に対しては、大きく2つの態度がある。護憲か改憲か、その2つの相反する態度である。

護憲派はこう主張する。第9条で「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を謳い、平和主義をかかげる日本国憲法は、実に素晴らしい。世界には戦争のきな臭い匂いがただよっているが、日本はこの憲法のもとでひたすら平和を追及すべきだ、云々。

他方、改憲派はこう主張する。日本国憲法がかかげる平和主義の理念はたしかに素晴らしい。だが、そういう理想が通用しないのが国際社会の現実なのだ。
我々はリアリストの目を持たなければならない。
すぐ隣には、武力で覇権を拡張しようとする膨張主義国家・中国が、我が国の領土を侵略しようと虎視眈々と狙っている。
我が国が憲法の規定する通り、戦力を持たなかったら、我が国はたちどころに悪辣な中国の餌食になってしまうだろう。そういう悲惨な事態を避けようとすれば、我が国は戦力を持たなければならず、そのためには日本国憲法の、特に第9条を改めなければならない、云々。

さて、我々はどちらの主張に与すべきなのか。さる5月3日、朝日新聞にこんな意見広告がのっていた。「武力で平和はつくれない」。この意見広告が言うように、「平和をつくるのはただ平和主義の理念だけだ。この理念に基づいた外交だけが平和をつくることができる」と考えるべきなのか。

それとも、そんな主張は、現実を見ようとしない「お花畑の妄想」に過ぎない、と考え、「他国による武力行使を抑えるのは、ただ武力だけだ」と言うべきなのか。

後者の見解は、究極的には、「核抑止論」の発想に行き着く。これこそ核保有国(米、露、英、仏、中)の発想であり、核保有国・アメリカの「核の傘」に頼ろうとする現在の日本政府の考え方にほかならない。

う〜む。我々はどう考えるべきなのか。へそ曲がりのリアリストである天邪鬼爺の私としては、護憲派の主張は「ふてほど(不適切にもほどがある!)」と思えてならない。
もっとも、経済活動がグローバル化した現在、国際社会は相互依存関係ーー互恵関係ーーのネットワークで緊密に結ばれている。たとえば、中国と日本が経済的な相互依存関係ーー互恵関係ーーで結ばれているとしたら、中国は武力で日本を侵略しようと考えるだろうか。
かつてマルクスが言ったように、下部構造(経済関係)は上部構造(政治的関係)を規定する。下部構造がグローバル化すれば、個別国家間の武力衝突の芽も自ずから消滅し、平和がもたらされるのではないか。そんな気がしている。

*同じ記事を「ムラゴン」にも投稿しています。
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